「システム」論をもとにした「閑話」
(追加、補筆)
先ほどの記事に関して、私をよく知る数少ない読者の皆様方に、ご報告がありました。やっと私はこの4月から、特別支援愛媛県立松山盲学校の保健理療科の2年生となります。長かったです。こんなにも進級するのが難しいとは。帯状疱疹で苦しんでいましたし、今もなお痛みはありますが、なんとか、あんま師の国家試験合格を目指すべく、少し近づきました。私のこの記事は私の安否確認(少し前は、私の父に対して私が確認していましたが)。それも合わせて書いていますが、ここにご報告しておきます。とにかくほっとしていますが、なお、まだまだ紆余曲折の道のりには変わりませんね。
村田邦夫です。後ろから読むとオニクタラムです。今回は前回の続きではなく、少し話を変えてみたいと思います。最近いろいろな政治学研究者の(そこには大学院時代や、それ以後に知り合った研究者も含まれていますが)過去といいますうか、過去にどんなことを書いていたとか、話していたかということを思い出すのです。今となっては皆どうでもいいようなことになってしまいますが、それでも当時において、それはどうでもいいようなものではなく、むしろ重要な話であったのですね。(その一番の原因は、村田邦夫と言いますかオニクタラム自身のオリジナルのようなものが何もでき上っていなかったからなのです。)
一言で言えば、斎藤和義さんのの歌詞の文句ではありませんが、「ずっと嘘だったんだぜ」となりますか。思いつくままに挙げてみれば以下のようなものがありました。---日本社会は「柔らかい個人主義」がなんとか、ナチス経済は「狂った資本主義」何とか、アメリカ民主主義を支えているのは「プルーラリズム」、「利益団体」がどうだとか、欧米のデモクラシーは(あるいはポリアーキーは)「正常な・ノーマルな発展」の経路をたどったのに対して、日本のそれは「不正常な・アブ・ノーマルな発展」の経路を歩んだとか何とか、それこそ、みんな嘘ばかりだったのですよ、少なくとも今の私はそう言わざるを得ないのですよ。
私はそうした知的閉塞状態、状況の中で大学、大学院時代を過ごしたのですが、いま振り返るとき、運よくその時代の主流とされたアメリカ政治学の洗礼を受けることなく、生き延びることができたと、つくづく思うのです。勿論、その代償といいますか、主流に位置していませんから、さりとてマイナーにもなれませんでしたから、それこそ私の精神状態は面白くもないままに、それこそ研究生活のほとんどを孤独のままに過ごさざるを得なかったのですよ。自分が選択した道とは言え、とても寂しい者でした。
そうした私の何よりの救いは、学生や院生との会話であったのですね。授業というか講義というか、ゼミというか、そうした中で、私の思考は鍛えられたのですが、それを思いますと、私を養ってくれた大学組織には感謝するのみです。そうした中で私は〈「システム」とその「関係史(関係の歩み)〉に関するモデルを試行錯誤するうちに何時しか描くようになっていたのですよ。
寄る年波には勝てないと言いますが、私もそれに似た感情を抱きます。しかし、生来が天の邪鬼ですから、それに逆らおうと試みますが、やはり勝てませんね。泣く子と地頭には勝てない、とこれまたうまくたとえられてますよ。安倍内閣には勝てません。安倍さんが退陣しても次の内閣の権力には勝てません。たとえ、(その権力の源泉が主権者である国民だとする考えに依拠したとしても。私はその国民にはなれませんから。)そうした政権交代を国内・国外で引き起こす波には逆らえません。そしてその波を何百年、何千年にわたってつくり出してきたグローバルな仕組みと、それを担い支えてきた地球上の人間と人間の〈「衣食足りて(足りず)礼節を知る(知らず)」〉の営為の関係には従うしかありません。
別に勝ち負けではないと思いますが、政治は結果がすべてなんです。そこにはやはり、生殺与奪の権を巡る自己決定権の争いと言いますか、争奪戦がありますから、やはり、個人、集団、国家レベルにおける勝ち、負けと言いますか結果が付いてくると思うのですね。
少しここで、今回の大事な要点に戻ります。アメリカ政治学とそれを素直に継承した日本の政治学のウソは、1970年代までは{[A]→(×)[B]→×[C]}の、そして70年代以降は{[B]→(×)[C]→×[A]}(いずれのモデルも省略形、共時態モデル)のセカイとその関係の歩みを不問に付したままで、70年代は、70年代のモデルのA、B、Cの関係から勝手にAだけを引き抜いてきて、そのAの米国の政治は経済は社会はどうのこうのの議論に終始してきたのです。
私が驚くのは、21世紀のこの地点においても、70年代以降のモデルを用意する事もないままに、相変わらず70年代以前においてしか通用しない「システム」とその関係の歩みをもとにして、その関係から勝手に恣意的に取り出したAの米国をみて、ああだこうだと臆面もなく、今なお論じているのです。付言すれば、英国を考察する視点もまったく同様なのですから、イギリス研究者の議論は的外れになるのは最初から予想できることなのですね。
私が拙著や拙論、そしてこのブログ記事に置いて語ってきたのは、そうしたみんな嘘だったに関する話です。そろそろ政治学も「一国(一帝国)枠の殻を打ち破って、政治や歴史を語り直すときが来ているのではありませんか。
私が今後、杞憂しているのは、中国が名実ともに覇権国となった21世紀の中頃の中国政治学は、おそらく20世紀の中頃以降のアメリカ政治学がそうであったように、プルーラリズムは何であるとか、デモクラシー、ポリアーキーの「正常な発展」の経路はどうだとか、自らを覇権国、超大国へと導いた70年代以前のA、B、Cの関係及び、70年代以降のB、C、Aの関係を無視して、あたかも中国と中国人自身が自らの手と足でデモクラシーを実現したとする見方が支配的にならないかと、そうした思い上がりというか傲慢さなのであります。
そうした時に、中国と中国人に対して、また中国政治学に対して、「王様は裸だ」と的確に主張できる「日本」と「日本人」と「日本の政治学」であればいいのだが、と。しかしながら、日本政治学の60年代、70年第80年代、そして90年代、いやいまもなおそうなのですが、米国一辺倒の御用政治学の過去を解雇するとき、これまた仕方がないと心中思いながらも、祈念しているオニクタラムなのです。もうその時には、残念ながらあの世に旅立っているでしょうが。