シベリアの強制労働収容所(gelug)でMendel Futerfasというラビと綱渡り師がこんな会話を交わしたという話を聞いたことがある。
ラビ: 「綱渡りをマスターするには何が必要なんだい?バランス?スタミナ?集中力?」
綱渡り師:「秘訣は常に行き先(destination)に集中すること。
綱の反対側の端に目を据え置かなければならない。
ところで一番難しいのはどんなときだと思いますか?」
ラビ: 「真ん中あたりにきたときかな」
綱渡り師:「違うんです。ターンするときなんですよ。
なぜならほんの一瞬行き先を見失うから。
行き先を見失うときが最も落ちる可能性が高くなるときなんです。」
この話を聞いたとき、体に稲妻が走ったような気がした。(大げさでなく;笑) 自分は綱渡りをしているようだと感じることがよくある。まあ色々な面で実際日々綱渡りなのだけれど、象徴的な意味での綱渡りということ。(笑)
現実的に目に見える「行き先」というのも様々決めてあるわけだけれど、それらを統合するような本当の「行き先」は目の前の外ではなく、内にある。目の前の「様々な現実的行き先」はその「内の行き先」の「表れ」のようなもの。
綱渡り師のように「行き先」を見据えて、一歩一歩。
ラビ: 「綱渡りをマスターするには何が必要なんだい?バランス?スタミナ?集中力?」
綱渡り師:「秘訣は常に行き先(destination)に集中すること。
綱の反対側の端に目を据え置かなければならない。
ところで一番難しいのはどんなときだと思いますか?」
ラビ: 「真ん中あたりにきたときかな」
綱渡り師:「違うんです。ターンするときなんですよ。
なぜならほんの一瞬行き先を見失うから。
行き先を見失うときが最も落ちる可能性が高くなるときなんです。」
この話を聞いたとき、体に稲妻が走ったような気がした。(大げさでなく;笑) 自分は綱渡りをしているようだと感じることがよくある。まあ色々な面で実際日々綱渡りなのだけれど、象徴的な意味での綱渡りということ。(笑)
現実的に目に見える「行き先」というのも様々決めてあるわけだけれど、それらを統合するような本当の「行き先」は目の前の外ではなく、内にある。目の前の「様々な現実的行き先」はその「内の行き先」の「表れ」のようなもの。
綱渡り師のように「行き先」を見据えて、一歩一歩。
車の運転もこれに近いかな、なんて思いました。それに、引っ越しも似てる・・。
期限があって、それに向けて調整するけど、とりあえず荷物を移動させたら「片付け」にターンしなければならない。私、今回の引っ越しではその「ターン」がうまくできなくて、三重を出た時点で目的を見失ったというか。
ああ、また身近な出来事におろしてきてしまった(笑)
落ちても本当のところは大丈夫なんだけれどね。それでも自身最大限を出し切りながら綱の上を精一杯歩いていけたら。
引越し。そうか東京についてターン、なるほど! 東京へ、という大きな目的はひとまず終えて、ほっと一息、同時にアンバランスになってるときでもあるのかもしれないね。目先の小さな目的が溢れていっぱいいっぱいになってることもあるのかもしれないね。ひとまずやっておく必要のあることはむちゃくちゃありそうだものね。
一つ一つの目的にゆっくりと。私もグラグラするときほど目的地を確認していきたいです。
具体的な物事に照らし合わせて考えるとまた新しい気づきもあるね。ありがと~。
新地での暮らしが素晴らしいものとなりますように!また近況楽しみにしてます。