靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

出産という体験

2011-09-19 01:00:04 | 子育てノート
長男妊娠7ヶ月のときアラスカへ移住した。

一人で降り立った空港、久しぶりに会った夫にとって初めて見る私の妊娠姿だった(結婚してすぐ2年間の別居、時々アラスカ日本を互いに行き来していた)。

右も左も分からない二人、出産に向けて準備。病院の手続きを済ませ、マタニティクラスへ出かけ、呼吸法の練習をし、本を何度も読み返して。

自然志向を決めた私は、出産の際医師や看護婦に配る手紙のようなものも用意した。「極力自然に。極力薬剤を使わず。会陰切開もなしで。母乳をすぐにあげる。産後母子ずっと一緒に。」そんなことを書き綴って。

頭で何度もシュミレーション、痛みを呼吸法でうまく逃し、ゆったりと生まれたばかりの赤ちゃんを抱いて感動する自分を想像しながら。新しい命の誕生のため、どんな痛みだって大丈夫だ。大昔から果てしない数の女性が乗り越えてきたこと。

夜中に破水、なかなか強い陣痛が来ず朝になると陣痛促進剤を入れ始める。痛みが増していく。午後になって促進剤の量を増やす。破水から24時間以内に生む必要があると、感染などを防ぐためにと。

「ヒーヒーハーハー」必死の呼吸法も勢いを増し、過呼吸を心配する看護婦に止められる。リラックスも瞑想も色々習った姿勢も、全部吹き飛んだ。身体が裂ける。

「エピデラル(無痛分娩に使う麻酔)~!」「もうどうでもいいから帝王切開してくれ~!」そう叫んでいた。この痛みから逃れられるなら何だってする。付き添う夫の腕からは私の爪がめりこんで血が流れている。

多分「自然志向の手紙」を配ったせいか、エピデラルはやってこず・・・。夜8時過ぎ、子宮口は全開ではないものの赤ちゃんがすぐそこまで下がっているということでいきみ始める。「会陰切開するとすぐに出てくるよ、どうする?」そう聞く医師に「お願いします」即答。

破水から21時間。無事生まれた長男をぎこちなく抱く。それまで感じたことのない気持ちがじわじわとこみ上げる。これが私の中にあった新しい命。とまどいと奥の底から湧き出る愛おしさと。


「あれは一体誰だったのだろう?あの病室で取り乱し叫んでいたのは?命の誕生などそっちのけで。」自分のアイデンティーティーのようなものを回復するのにしばらく時間がかかった。頭だけで作り上げていた私と現実の私。認めたくない自分と向き合う。身体の痛みより心の痛みを癒していくほうが時間かかったように思う。この出産の体験がどれほど私を謙虚にしてくれたか。

普段自然とかけ離れたライフスタイルをおくりながら、お産だけ自然に、というのも随分と無理があるのかもしれない、そう思った。

自分の弱さに向き合い、普段の生活をより意識し始めると同時に、もっと理想的なお産がどうしたら可能になるのだろう、そう考え始めた。


促進剤で急激に起こす人工的な陣痛は母体にかなり無理があるのではないか。時間をかけて自然な陣痛を待つことでその母体に合った速度でお産が進むのではないだろうか。日本では破水したとしても24時間以内にということはあまり聞かない。

2人目からは助産院や助産婦付き添いの自宅出産も考えたのだけれど、「破水後24時間」は同じ決まりのようで、微弱陣痛が続き結局病院に回され間に合わず帝王切開になったというケースを何件か聞いた。強い陣痛が中々来なかった自分には踏み切れず、結局2人目からも病院で産むことに。促進剤を入れることになったら「エピデラル」を入れるという方法をとった。


下の子の出産になるほどより自然に強い陣痛がつくようになっていった。促進剤も徐々に出産間近に少しという程度に。そして5人目にして初めて促進剤なしで産むことができた。4回の出産を経て子宮口が開きやすくなっているということもあるだろうけれど、下の子の妊娠生活ほど動き回る毎日、ここアラスカの自然の中で「出産直前まで畑仕事」というような昔のライフスタイルに少し近づいていったことも大きいのじゃないかと思っている。

命の始り、親としての人生の始り。どんな出産でもかけがえのない新しい命の誕生ということに変わりはない。その大前提の下、より多くの人々がそれぞれ描く「理想の出産」に一歩でも近づけるよう願っている。


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12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (旅人パンダ)
2011-09-19 02:38:39
女性の強さを感じます!
自分の弱さに向き合う~日々向き合って弱さを克服しようと頑張っています!
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Unknown (OYABAKA)
2011-09-19 08:01:29
もうひとり産んだらもっと自然に近づけるんじゃない?(笑)

私も促進剤経験しました。
あれきついよね~!(結局、私もエピデラル使ったけど)

んんん~理想の出産ねえ~~?
私は二人ともエピデラルを使ったから、自然でもなく理想でもない出産だったのかも。
でも長男の時は、そのおかげで冷静に陣痛、出産時の、一時一時を夫婦で楽しめました。
あとで、エピデラル使わない方がよかったと何度も後悔したこともあるけど(今でも、使わないですめばその方がいいと思っている)、その時は、私達夫婦にとって、(マチカさんとは違う意味かもしれないけど)理想的な出産だったと思います。

でもやっぱり、痛みを乗り越えて出産することは、その後の母子の関係を深めるのに重要な役割を持っているのでしょうね。





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涙目になりました。 (ちゅうりんげん)
2011-09-19 11:07:13
マチカさんの哲学に同調して、読んでいたら、不覚にも感涙!
母の強さを感じながら、同時に人間の脆さも感じる複雑な思いで読み終えました。
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Unknown (よっちゃん)
2011-09-19 21:54:25
私が出産で思った事は何一つとして自分自身の力では産めなかったという事。

予定日より二週間超過して、強制入院で風船なる陣痛を起こす処置をするも痛みだけで全く頭が降りてこなくて。破水もなく破膜してもらい、無痛して促進剤打ってね。
風船入れてからすでに55時間経ち、ようやくの強い陣痛も、りきむ力が無くて看護婦さんが馬乗りでりきむと同時にお腹を押してくれた。

ハッキリ言って運動会かと思った(笑)

フルコースだったよ

取り上げてくれた助産婦さんは1500人くらい取り上げたらしいけどね、難産リストにランクインするって(笑)
でも「赤ちゃんやお母さんが亡くなる人も沢山見てきたから、難産でもなんでも母子無事に生まれたんだから良しとしなきゃ」って

みんな命懸けだよね

理想の出産もいいけどどんな手段を使ってもまずは無事に…それだけ!

ちなみに馬乗りで押してもらうのかなり楽チンです。二人目なんて自らリクエストしちゃいました。6人目でお試しあれー(笑)

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出産体験は (テッサー)
2011-09-20 09:26:50
母性看護の世界ではね、どんなお産でもその人が前向きに捉えられるよう援助するっていうのがあるの。もちろん、死産とかかなしい出産もあるから、すべてを「よかったよかった」で済ませられないんだけど、マチカちゃんが言うように「理想」と違ってしまった出産体験をした人って多いからね。そういう人に、それでも「最善」を尽くした感を持ってもらえるような。

私も医療職でありながら、しかも一緒に働いた産科医のもとで、「絶叫」分娩しちゃったよ~。二人目のときも、友達も立ち会う中、またもや絶叫・・。どうしても最後の最後、頭が出てくるときは大声だしたくなるのよね。だって、まさに鼻からスイカ状態、体がバラバラになりそうなくらい痛いもんね(笑)→今だから笑っていられるけど。
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旅人パンダさんへ、コメントありがとうございます! (マチカ)
2011-09-21 00:16:20
随分と鍛えられました。

自分の弱さ、私も日々向き合っていきたいです。そこから底力が生まれます。パンダさん、応援してます。ありがとう。
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OYABAKAさんへ、コメントありがとうございます! (マチカ)
2011-09-21 00:33:12
それは私の意図することではなく、まあどうしてもそういうことになったのなら受け入れますが。(笑) 私なりに学んだこと、今度は娘たちに伝えていけたら。

促進剤、きついよね。身体がついていかない。エピデラルは本当に天国だったよ。

「理想の出産」はそれぞれの人の数だけあるのだと思うよ。Hさんと手を取り合いながら笑顔での落ち着いた出産ができたんだね。それでもOYABAKAさんはエピデラル使わない方がと思うことあるんだね。今のエピデラルの危険性を考えるとやっぱり使わなくていいのなら使いたくないと私も思います。

「出産の痛み」については、色々考えるところがあって。「痛み」を和らげるような技術はどんどん進んでいけばいいのだと思う。「のた打ち回る苦しみを越えてこそ母になる資格が」というようにも思ってなくて。

ただその「技術」がより身体の声、自然の声みたいなものから遠ざかるのか、それともより添った形で進んでいくのか、そういうことなのじゃないかと思ってます。より新しい安全な身体の自然に添った麻酔法の開発がされていけば。科学もそういった方向に進んでいくときじゃないのかな、そしてそうあってほしい。

これからの世代にかかっているね、そしてその世代を育てるのも今の大人たちで。

何だかきれいごとな理想話みたいになってしまうけれど、聞いてくれてありがとう。そしていつも考えさせられるコメントありがとう!



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ちゅうりんげんさんへ、コメントありがとうございます! (マチカ)
2011-09-21 02:37:23
そんな風に読んでいただいてありがとうございます。私も思い出すと涙が出ます。

>母の強さを感じながら、同時に人間の脆さも感じる複雑な思いで
押し寄せる痛みの渦の中では、もうとにかくその痛みから逃れることしか頭にありませんでした。朦朧とした意識の中でどんなことをしてでもとにかく逃れたいと思う瞬間がありました。その後そんな自分を許せなく思う自分に苦しみ。

それでも確かにそこから何かが始まったのだと思います。私自身に幻滅したところから。本当に貴い体験でした。

読んでくださってありがとうございます!





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よっちゃんへ、コメントありがとうございます! (マチカ)
2011-09-21 03:14:47
>私が出産で思った事は何一つとして自分自身の力では産めなかったという事。

私もまさしく同じように感じたよ!

風船に促進剤にエピデラルに最後は馬乗りで55時間!「運動会みたい、フルコース」、ほんとだね。母子無事に生まれて本当によかったよ。難産リストにランクインだったんだね、1500人取り上げてきた助産婦さんの言葉が胸に響きます。つい最近友人の一人も超難産で生死の境をさまようなお産をしてね、今までも何件か聞いたりして、うん、お産は命がけだね。

>理想の出産もいいけどどんな手段を使ってもまずは無事に…それだけ!
この言葉、とてもよく分かります。まずは母子の安全が一番にくるべき。そしてどんな産み方をしようが生まれ方をしようが、かけがえのない命に変わりはない。

そういった前提をおいた上でね、私はこの「自分自身が何もできないお産」というのに疑問を持ってます。「理想の出産」は人の数だけあると思うけれど、私にとってはベッドに横になって取り上げてもらうというものから、もっと母体の声に母親が耳を澄まして進めていけるようなお産へ移っていくことだったのだと思う。と身体的な痛みに弱弱の私が言うのもほとんど様にならないんだけれど。(笑)

よっちゃん、2人目、馬乗りリクエストしたんだ!(笑) 私は後産の胎盤を出すときにナースが二人かがりでギューギュー押してたの覚えてるくらいだな。次を試すのは、娘たちへのアドバイスとしてね。(笑)

体験シェアしてくれて、スカンと抜けるようなコメントしてくれてありがとう!

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テッサーさんへ、コメントありがとうございます! (マチカ)
2011-09-21 03:35:37
母性看護の世界では、どんなお産だったとしても最後に母親が前向きになるよう締めくくろうということになっているんだね。こうでないと母親はたまらないよね、親としての始まり、そして身体の回復をゆっくりと待つ前にもう目の前には寝ず食わずの新生児の世話生活が待っている。

テッサーさんも「絶叫」だったんだね。そうか、よく知った医師や友人に囲まれてか。きついね。(笑)でも皆慣れてるから暖かく見守ってたんだろうね。テッサーさんも信頼できる人たちに支えられて幸せだったよね。「鼻の穴からスイカ、身体がバラバラ」、うんうん、あの痛みは言葉を越えてます。

テッサーさんは最後がきつかったんだね。私はね本当に今でも不思議なんだけれど最後のいきみに入ったところから恍惚感のようなものを感じ始めてね。会陰切開も頭が出るのも不思議な恍惚感の中で。医者にも「こんな状態で何で微笑んでいられるんだい」と言われてね。いきみ始めるまではそれこそ絶叫で髪の毛振り乱してのた打ち回っていたんだけれどね。(笑)

看護の現場からの声、ありがとう!
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