靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

子育てノート(親と子ども)

2011-06-30 01:52:41 | 子育てノート
昨夜女友達と夜中まで話していた話題、

自身の親と、親としての自身と。


問題の根は自身と親との関係にあることがある、そしてその根はまたその親と親との関係にあったりする。


自身と親との関係を、まずは掘り下げる。

辛いこともえぐるように掘り下げ、いかに貴いたくさんのことを与えられてきたかも自覚し、

そこから、自身と子どもとの関係を、築いていける。


伝えていかなくてよいもの、伝えていきたいもの、掘り下げていくことで見えてくる。




最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
そうだね (テッサー)
2011-07-01 13:09:27
自分が子供をもって、親の気持ちが少しはわかったような気がするよね。私はもう両親がいないから、親にフィードバックできないのが残念だけど、親から受け継いだものは確実に私の中に残っている。
私のいとこは、子供を生んでから拒食症を発症したの。子供がアレルギー持ちで自分の母乳が与える影響を考えるのもきっかけの一つだったのかなって推測するけど、やはり親との関係が自然に思い出され、そのうち、煮詰まったのかな、とも思う。
時々ママ友でも、母親との関係が自分に与えた影響(多くの人はそれにうまく対処する術を得ているが)を今でも話すし、まだその渦中にあってもがいている人もいる。

ある過酷な生育環境を過ごした友人(今はとっても幸せ)は、「子育てって何がいいかわからないよね」って言う。良かれと思ってあれこれするのも良し、とんでもない親に育てられるのも反面教師ととらえれば、それもあり。
でも、結局彼女もずっといい子でありつづけたために、思春期に体調を崩し、この4,5年でやっと元気になってきたそう。
親の与える影響って本当に深い。

そこを掘り下げる作業は、病気を持つ人にはなかなかつらくてできないみたいだけどね。

私はある意味、親が亡くなって久しいのでけっこう「美化」してる部分もある(笑)
それに自分が子供のときどんなに我がままだったか、我が子に語られる心配もなし(笑)

自分の子供が大きくなったとき、どのように親を語るんだろうねー。
返信する
テッサーさんへ、コメントありがとうございます! (マチカ)
2011-07-02 01:37:47
本当だね、子供を育てながら初めて見えてくることたくさんある。テッサーさんの親は亡くなられていて、フィードバックできないという気持ちがあるんだね。私には想像するだけしかできないのだけれど、きっとテッサーさんがこうして一生懸命生きている姿勢がフィードバックになるのだと信じています。

私は親と10年近く会っていなくてね。メールや電話で時々やりとりはしているのですが。この10年を通して、様々な整理ができたように思います。今は感謝しかないです、どれほど貴いものを受け継いできたかと。どうお返ししていけるのかと、現実的に色々な困難があるなかで何ができるのかと、考えあぐねています。

多くの精神疾患を治してきたある医者が「親を治さないことには治らない、そしてまたその親を治さないことには。親が自分自身が絶対だと思っていないと治る望みがある」と言っていたのを思い出すよ。その医者は「親が死んだらけろりと治る場合が多い」とも。誤解を生むような言い方だけれど、その方は自身の両親を早くになくしていてね。

テッサーさんの周りにも自身と親との関係にもがいている人がいるんだね。自分の子どもを前に苦しくてしょうがない人、反面教師にしてたくましく進んでいく人、次の世代を前にしたとき、一人一人が掘り下げる必要がある問題なのかもしれません。辛すぎる場合は、せめて親から距離を置いてゆっくりと整理する時間や場があるといいね。

自身の問題、自身と子どもとの問題を掘り下げていくと、必ず親と自身の関係に行き当たると思ってます。そこで自分は何を選択していくのか、目の前の子どもたちへ、次の世代へ何を伝えていくのか、自分の問題をどう生かしていけるのか、自分は中継地にいる、そう考えるのが突破口の一つになるように感じています。

>親の与える影響って本当に深い。
本当にそう思うよ。

じゃあ、この子どもたちを前に、親としてどうしていくか。自身の全てを精一杯広げてみせ、あとはそれが絶対的なものではないと学んでいってもらうこと、どんな道を選んだところで、例えそれが私の望まない道だとしても、超えたところでいつも愛しているのだと、そんなことを感じてくれるといいな、と思ってます。

ああ、そうは言ってはみるものの、言葉だけ、にならないようにしていかないとね。(笑)

考えさせられました。いつもありがとう!
返信する
親の治療 (テッサー)
2011-07-03 23:18:37
こちらこそ、いつもありがとう。
「親を治さないと治らない」ってすごく心に響きました。今読んでいる精神科関連の本でも、本人の状態が膠着状態にあるとき、まずは家族や身近な人へのアプローチを試みるって書いてあった。時には本人不在で家族が何度も世間話しに受診にくる場合も、みたいな(笑)
「他人を変えるにはまず自分から」っていうようなこと、昔よく耳にしたけど、そういうことなのかもね。

これって今の私にはまるかもしれない状況で、息子は好きなようにしてるのに、自分が過剰な期待をしすぎてヤキモキして、それをみた息子が「自分ってそんなにダメ?」って思ったりする。私が「こうあってほしい」っていう思いを少しずつ遠ざけて彼自身のありようと受け止めてあげればいいのに、そうなってないとどんどん彼は私の期待からずれていく。
でもねー、すぐ泣いて弱虫の息子・・強くなって欲しいと思ってつい厳しくしちゃうんだ・・。

私のエゴが彼を窮屈にさせているってわかるんだけど、ありのままを受け止めることが、もっと甘えん坊にさせてしまうのでは・・と心配しちゃうんだよね。
ああ、いちいち一喜一憂しないでいられるようにブレない心を持ちたいわー。アタマではそう思っても、実際に休み時間ポツンと教室で絵を描いている彼をみたとき、胸が痛くなっちゃったのよね・・。

長くなった。人生相談だね・・。
私も親として、人間として、鍛えられてるんだという実感があるわ。
マチカちゃんが言うように、子供がどのような道を選んでも、それを超えたところでいつも愛していられるだろうか、私は彼らに「愛される条件」をつけていないだろうか、ふと思いました。
こうやって書いていて、少しずつ整理できてきたよ。本当にありがとう(涙)
返信する
テッサーさんへ、コメントありがとうございます! (マチカ)
2011-07-07 06:01:15
この精神科医かなり過激なことを言ったりもしますが、私にはとてもしっくりときます。親がまずは変わらないことには本人は変わらない場合が多い、いくつになっても。そして根はその親から、そのまた親からと引き継がれていると。

どんな親でも多かれ少なかれ「いらんもの」(笑)を渡してるんだと思うよ。完璧な親なんていなくて、そして「完璧な親」と思ってる親が一番やっかいなのだろうね。

私はこのだめだめな親を早く越えて行っておくれ、と思っている情けない母なのだけど、でもわかる、ここまで生きてきてやっぱりこれだけはゆずれないこと、こうしたらいいと思うこと、こういう人生がいい人生、みたいな価値観があるものね。それらを必死で伝えていこうとする自分もいます。そして自分のそういった理想からはずれる子に失望する。子供は母の失望を敏感に察知して自分はだめなのだと思う。すご~くわかります、私もこんな繰り返しかも。

小さな時は人に迷惑をかけないという最低限のマナーを守らせ、あとはできるだけのびのびとさせるのがいいのかもしれないと最近思うよ。その子自身であるようにさせる。反省も含めて。中学年高学年になるうちに親自身の価値観なりを話していって、子と親と、ぶつかりもしながら進んでいく、そして最後は子どもが子ども自身の道を選んでいくんだろうね。

こういった一連の変化を超えたところで、期待や失望を繰り返すなかでそれを超えた愛みたいなものでつながっていられたらいいなと思うのだけれど。まだ家にとっても先のことで、皆が成人したらまた違うこといってるのかもしれないね。(笑)
 
息子君すぐ泣いて、休み時間に一人で絵を描いていたりするんだね。優しくて感受性の豊かな子なんだろうね。彼の持っているものがスクスクと伸びていくといいね。

でもテッサーさんの気持ちもよく分かる。長男も小さな頃本当に泣き虫でね、こんなことで?!と思うようなことにピーピー泣きまくってました。私もああどうしてこんな、と一緒に泣く、みたいな。(笑) ところがある時、中学年の頃だったと思う「僕泣くことを卒業したみたい」と言ってね、それ以来ほとんど泣かなくなったよ。今回手首骨折した時に歯を食いしばって周りを気遣うような様子もみせてね、小さな頃からは想像もできない姿。そのまま泣き虫だとしても何の問題もないと思うけれど、散々泣いた後はころりと変わるという場合もあると思うよ、うちの長男みたいに。

まだまだこれから。今の様子でその子自身なんて何にも決まらない、大人だって日々変わっていけるのだから、と自分に言い聞かせてます。と言いながら目の前の事象に毎日キーキーと振り回されているのだけれど。(笑) 

ゆったりとお互い頑張ろうね。ありがとう、シェアしてくれて。私も整理ができてきました。また話聞かせてください、楽しみにしてるね。
返信する

コメントを投稿