Kオジサンの新・山歩きの記

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西穂独標の思い出

2020-08-21 23:36:31 | アウトドア

昨日、西穂独標へ行ってきましたが、西穂独標へ出かけた思い出が有ります。
初回は90.08.04です。この時は子供のスポーツ少年団の行事で出かけたのですが、西穂山荘までで、西穂独標までは行っていないのではと思います。(記憶が曖昧です)。
2回目が96.08.03でした。単独で出かけたのですが、山の知識に乏しく怖いもの知らずで出かけました。3回目は99.07.22で、オジサン5人組でした。そして今回20.08.20です。
初回は西穂独標までは行っていないと思われますのですが、都合4回西穂山荘までは行った事となります。

①90.08.03~04
息子は小学生の時、野球のスポーツ少年団に入っていました。
私はその野球スポーツ少年団のコーチの1人でした。
野球スポーツ少年団では、毎年8月に1泊でキャンプに出かけてるのが恒例となっていました。
息子が小学6年生の時に1泊2日で西穂山荘へ出かけました。前日はどのような所に泊ったのか覚えていませんが、西穂山荘まで行き、山を背景にした二人で写っている写真が残っています。子供たちには独標まで無理ですが、丸山までは登ったのだろうか。
記憶に残っていません。


30年も前の写真です。
息子と一緒に写真に納まりました。



霞沢岳を写した写真が残っていました。
山の知識が乏しく、写した山の名を知らなかったのです。


西穂山荘に向かう前夜。
90.08.03の事で、スポ少のキャンプです。
針金を軸にして荒縄を結び付け灯油を浸しました。
そして火を付け闇に浮かんだ文字です。
両側は花火を回転させています。
荒縄を灯油に浸す器。タライでも持って行ったのだろうか。
アノ時の記憶が残っていないのですが、コーチ、皆が一致団結していました。


アノ時
90.08.03から04にかけて行きました。前日、大きな部屋で子供たち、そしてコーチが一緒に夕食を取っている写真が有ります。記憶が段々薄くなっています。西穂山荘に向かう前夜の事なのですが、どのような場所に宿泊したのか記憶に残っていません。
スポーツ少年団の行事で出かけて親子で写真に納まることが出来ました。
親子の写真が撮れて良かったと思っています。


②96.08.03
山の知識に乏しい状態ながら単独で西穂独標に出かけました。
今から思うと、よう出かけたなと言う気がします。

笠ヶ岳をバックにした写真です。
西穂高口駅へ降りて直ぐに写ったのでしよう。



西穂山荘を過ぎてから、これから登って行く方向です。



西穂独標に於いての写真でしよう。
一面の雲海となっています。




焼岳と乗鞍岳方面です。
まだまだ、山の知識に乏しい時期です。
見える山が何山か考えていませんでした。



西穂独標を見下ろす場所に来ていると思われます。
と言う事は、ピラミッドピーク。或いはそこまで行っていなくても、独標より先に行ったのでしょう。



右隅の山が奥穂高。
中央の山は西穂高岳なのでしょう。



西穂や奥穂の頂きだと思います。

雲海の写真が有ったり焼岳がハッキリ見えたりする写真。
ネガが残っていませんので時間的な推移が不明です。


アノ時
あの頃。今のようにストックが豊富な時代ではなかったのではなかろうか。アノ日、2.5センチほどの角材を杖代わりに持っていきました。独標に登るとき、男性が杖は下に置いておいた方が良いよと声を掛けてくれました。男性に言われて杖を下に置き、登って行きました。
今から思うと、アノアドバイスを貰えて良かった。何も知らない時代だったのです。
それに、(写真からすると)独標を超えて更に進んだみたいなのです。
今は高い岩の上などは怖いです。
今なら、独標より先へ進むのは止めます。
怖いもの知らずというか、よう行ったナ~という感じです。



③99.07.22~23 
名古屋のバスセンターを23時過ぎに出発して、早朝に上高地に着く深夜バスが運行されていました。上高地に向かう途中、新穂高のロープウエイ駅や平湯温泉に寄って行くコースです。
そんな夜行バスを使い、オジサン5人組で向かいました。



フィルムカメラで撮った写真です。何枚も撮影したのですが、破棄してしまったのか、この写真しか見当たりません。
何処かの中学から来ています。


アノ時
バスから降りてロープウエイで上がり、西穂山荘へ。そして西穂独標に向かいました。西穂独標では水戸だったか、関東から来たと言う女性が居ました。旦那さんと来たのだが旦那さんは西穂に寄って来るので、自分は先に来たとか話していました。
20年も前の話し。曖昧となっています。
5人で西穂独標へ向かう途中、女性にシャッターを押して貰いました。その事を新聞社に投稿しましたのが下の記事です。

西穂独標から下山してきて西穂山荘へ来ました。
そして、上高地側に下山しました。
その日、泊ったのは河童橋の西にある西糸屋山荘と言う宿でした。
もう、記憶が薄くなっていますが、確か2段ベッドの部屋でした。
山荘と言うだけ有って安価で泊まれたのではなかろうか。
今、西糸屋山荘を検索すると、畳の部屋で3万円以上するようです。
アノ時、部屋でトランプをしたのではなかったか。(記憶が曖昧です)
翌日、上高地を散策したか、どうか覚えていません。
でも、上高地から名古屋へのバスで帰って来たのは覚えています。
上高地を何時ころの出発だったか不明です。(前夜、名古屋から向かったバスが引き返してくるのです)
覚えているのは、帰りにトラブルが有ったのだろうか、途中、犬山市の五郎丸バス停で下ろして貰えました。本当なら、途中下車は認められないです。そこからタクシーを呼び、犬山駅へ向かいました。
断片的な記憶。
変なところが記憶に残っています。



5人で出かけた西穂独標です。
新聞社に投書しましたら、取り上げて貰えました。



④20.08.20
山に誘って貰え、久しぶりに西穂独標に出かけました。
西穂独標を見上げるこの地点。
思い出が蘇ります。




最後に
山に対する知識が何もなかった時期でした。
そして、今日となりました。
思い出深い西穂独標です。
私の山に対する経験の積み重ねのように感じます。

90年の西穂山荘。
私が山と向き合う。
それがキッカケになった時と言えるかも知れません。

コメント (2)
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