超人少年伝説

源氏物語千年 紫式部が突然現れ 紫式部氏思想を書くことになった

正しい事故 事故は正しかった

2010-02-25 06:26:02 | Weblog
事故は正しさの証明であった。

事故は否定の肯定である。
即ち、事故はパラドックスである。

この文章は嘘である。
人類はこのパラドックスに陥った。
そしてダブルバインドに陥った。

*。
電子装置には問題なかった。

死者には深くお詫びする。

即ち、この文章は嘘である。

    *。
これが決定論と確率論の階型の違いが生むパラドックスである。

この結果、ダブルバインドの陥り、
何やっても死者が出る。
即ち、支離滅裂となった。

*。
これがパラドックスの意味である。
パラドックスは意味不明である。
即ち、人類を支離滅裂とした。

環境問題も、パラドックスの結果である。
環境問題は、人類をダブルバインドに陥れた。

何やっても死である。
対策ととっても、取らなくても、人類は死ぬ。

       *。
ダブルバインドは神の怒りである。

人類は死を選んだ。

どう抜け出たいいのだろう。

*。
人類は矛盾したことをやる時だけ、無矛盾である。
即ち、間違ったことをやる時だけ、正しいのだ。

*。
この対策は、ゲーデル・モラルである。
即ち、人はやることをやる。
人はやってはいけないことはしない。

即ち、命を生きる。
即ち、妄想をしない。

二つのno 欠陥はない 証明できない

2010-02-25 05:41:09 | Weblog
noに二つの意味がある。
欠陥がない、欠陥を証明出来ない。
これはパラドックスである。
この文章は、この文章は嘘である、と同型等価だ。

欠陥がないは嘘である、
文字通り取れば欠陥がある。
それが嘘であるから、欠陥はない。

これはダブルバインドである。
どっちをとっても、自己否定の肯定となる。
即ち、パラドックスである。

     *。
トヨタは、電子装置に欠陥は無いといった。
それは電子装置の欠陥確率はゼロであるといったことだ。

ゼロ確率なら、それは証明できる。

*。
それをアクセルとフロアマットの問題とした。
それは証明を逃げたことだ。

それはダブルバインドに逃げたことだ。
否定しても肯定しても、否定の肯定となる。
即ち、ダブルバインドとなる。

*。
それはアメリカもダブルバインドに掛けた。

トヨタを否定しても、死人が出る。
トヨタを肯定しても、死人が出る。

どっちをとっても、死人が出る。
即ち、支離滅裂だ。
即ち、パラドックスだ。

*。
これがパラドックス・システムだ。

     *。
問題はパラドックスにならないようにすることだ。

パラドックスを解消することだ。
それは非常に困難だ。

*。
これはトヨタだけでなく、人類の問題だ。
トヨタの苦しみは人類の問題だ。

トヨタはこの苦しみを白状・自白して、
人類に助けを求めなくてはならない。

*。
日本は世界の悪を純粋培養し、純結晶化する。
それによって世界の問題を処理するのが、日本忍者脳である。

トヨタは、人類の問題を圧縮した。
それは人類の問題だ。

      *。
人類は、新しい世紀に到達した。
人類は、新しい英知の機会を得た。

これは決定論から確率論への進化である。
即ち、ニュートン系から量子力学系への深化である。

現実の喪失 メディアの作る偽自己

2010-02-24 06:52:21 | Weblog
現実の問題を感情の問題に還元し、
即ち、妄想に還元し、ここにいい気持ちを作る。
ここには現実はない。

メディアは雑音であり、この雑音に自己が削除され、
ここに偽自己、嘘自己が形成される。

これは自己のガンである。
ここに悪性新生物が成立する。
この悪性新自己が、偽善と欺瞞の演技をする。

    *。
命をガンに還元した。
これが現代世界である。

このガンが本来自己を食い尽くす。
そして人は自分で立てなくなった。
金の点滴と覚せい剤の刺激で生きる状態だ。

これが現代のガン生活である。

*。
命を排除した現代文明であり、
この回復がクール・ジャパンの使命である。

命の保存が第一だ。

*。
メディアの崩壊は健全なことだ。

経済の崩壊が引き起こしたことでなく、
文明が崩壊して、
即ち、偽自己が崩壊して、現代が崩壊したのだ。

    *。
現実の削除は、現実が削除出来ないことの否定の肯定だ。

現実がガンに罹ったのだ。

*。
命題が矛盾していれば、命題は無矛盾である。
命題が間違っていれば、命題は正しい。

このゲーデルの不完全性定理が検証されたのだ。

支離滅裂であることは 支離滅裂でないことである

2010-02-24 06:07:42 | Weblog
正しい支離滅裂と間違った支離滅裂がある。
どういうことだ。

人は支離滅裂に存在し、そこに正負の極性がある。
正は負と結合し、正同士は反発する。
これは磁石の場合である。
電子の場合は、モノポールであるから、いろいろの組み合わせが出来る。

    *。
パラドックスは、意味を成さない。
即ち、支離滅裂である。

これを自由と定義すると、正義はその拘束である。

*。
即ち、自由は正義を異物排除する。
両者はパラドックスであり、意味のない空間を作った。

即ち、命題に矛盾があれば、その命題には矛盾がない。
命題が間違っていれば、その命題は正しい。

これが支離滅裂の正体だ。

*。
自由と正義は、支離滅裂の実体だ。

自由と正義を主張する国家は、支離滅裂となった。
それが現代だ。
現代は自由と正義によって、破壊された。
即ち、現代を死体と化石にした。

即ち、現代は命を奪った。

    *。
自由にしても、正義にしても、正しいモードと間違ったモードがある。

命を保存した自由と正義と、命を死体にした自由と正義がある。
文章にすると、すべて死体になる。

*。
モノポールとして扱う電子系と、ダイポールの磁石系がある。
支離滅裂にも、この二モードがある。

人間は、人間性と野獣性からなる。
これが精神性と身体性であろう。

精神はモノポール、身体はダイポール。
これが人間であろう。

*。
人間はパラドックスに存在する。

人が命を回復することは、このパラドックスを消すことだ!

支離滅裂に命はない。
これが現代文明の誤りであった。

トヨタ欠陥車 パラドックスは否定の肯定である

2010-02-24 05:04:47 | Weblog
トヨタ問題は、確率論を決定論で論じたことだ。
ある状態で起きる問題を、あるかないかの決定論にした。

これは階型が違うので、パラドックスを作る。
決定論では、事故が起きるか起きないかである。
確率論では、可能性を論じる。
可能であるかどうかを、あるかないかにした。

するとゲーデルの不完全性定理で、
決定論で矛盾があれば、確率論で矛盾はない。
即ち、確率論を決定論で論ずることは出来ない。

決定論と確率論は、階型が違い、それを同一文にすると、パラドックスが消える。
即ち、間違っているから、正しいとなる。
即ち、正しく間違っている。

   *。
判決や調書は嘘である。
この嘘を世界に堂々とついた。

判決や調書は、文章にすると無矛盾になる。
それは嘘の塊だからだ。
即ち、文章が嘘である時、その文章は正しい。
正しい嘘をついているのだ。

これがゲーデルの不完全性定理である。

*。
文章と現実は階型が違う。

文章は現実で実証、検証せねばならない。

トヨタは現実で事故はないということを検証していない。

*。
トヨタは、パラドックスを解消していない。

パラドックスをそれが成立しない文章で、ないといっているのだ。

即ち、文章に矛盾があれば、その文章は正しい。
即ち、正しく間違っているのだ。

     *。
アメリカの公聴会は、ゲーデルの不完全性定理をどう処理するのだろう。

公聴会が支離滅裂であれば、トヨタは正しいのだ。
即ち、公聴会が正しければ、トヨタは間違っている。

即ち、公聴会自体が、パラドックスにある。
即ち、決定論と確率論が、同一化されている。
同一化できないものを、同一化しいているのだ。

*。
即ち、公聴会が支離滅裂になった時、トヨタの誤りが証明されるのだ。
即ち、公聴会が正しければ、トヨタは誤りだ。

即ち、決定論を確率論を同一化する誤りは、このように実証される。
即ち、泥仕合になった時、トヨタの誤りが証明されたのだ!
トヨタは正しい嘘をついたのだから。

*。
これがゲーデルの不完全性定理である。

トヨタはトヨタの誤りを白状することだ。
即ち、コンピュータのすべてのバグを検証することは出来ない。

    *。
前にも言った通り、チャコール・キャニスターが揺れている時、
スロットルは共振を起こし、事故を起す。

多変数パラメータで、それが共振しないことを実証せよ。
それが問題の本質である。
これでパラドックス解消できるのだ。

*。
それは人知では出来ない。

これはカオスの問題であり、それは既に論じた。

生存権≫自由貿易

2010-02-23 06:01:57 | Weblog
自由貿易を唯一無二とすることは、人間の生存の異物排除である。

人の生存があって、自由貿易が存在可能となる。

人の生存を無視した自由貿易は、人類の生存を排除する。
これが悪の帝国である。

これで利益を上げるものがいる。
これが悪の帝国である。

女と男のパラドックスとゲーデルの不完全性定理

2010-02-23 04:32:41 | Weblog
先ず浮気を考えよう。

男が浮気現場に踏み込まれた時、何というか。
何もしていない。何もしていない。
これが常套句である。
即ち、男は間違って、正しい。
或いは、正しく間違っている

女は、真っ赤に燃える恋を求めている。
これはどんな女にも成り立つ。
女の愛は何時も正しいのだ。
即ち、女は正しく、間違っている。
或いは、間違っていても、正しい。

*。
男は浮気に行く時、何というか。
役所に行く、出張する、ゴルフに行く。
これは光源氏も言っていた。
千年経っても、変わらぬ真理である。

即ち、男は間違って、正しい。
或いは、正しく間違っている。

女は灼熱の恋を一生求める。
女は正しく間違っている。
或いは、間違って正しい。

*。
男と女のパラドックス。
パラドックスであるから、意味はなく、支離滅裂である。

支離滅裂は、男女機会均等法である。
そこに男女は合体する。

即ち、男女関係は妄想である。
これは合体であるから、唯一無二である。
それ以外は、排除される。
即ち、否定の肯定である。
即ち、パラドックスである。
即ち、意味を成さないから、意味がある。
即ち、異常であるから、正常である。
狂っていることが、狂っていないことである。

*。
皆の衆、よく聞け。
これがゲーデルの不完全性定理である。

一体、男女は何をやっているのか。
何もやっていない。
否、やっていないことをやっている。
これが実存である。
即ち、妄想である。
だから排除する。
それは自分の排除である。
これが現存在である。
即ち、唯我独尊である。
これが否定の肯定である。
即ち、パラドックスである。

否定と肯定はウロボロスの口と尻尾であった。

*。
人は何もしないことを行い、しないことをいている。
これが絶対矛盾の自己同一である。

これが悟りである。
何もしないことをする。

おかしいじゃないか。
そこにはウロボロスがある。
これは循環論法であり、永遠に続く。

人は何もしないことをしている…。
これが念仏かもしれない。

優しさは残酷のお菓子である

2010-02-22 06:20:36 | Weblog
優しさと残酷は、ダイポールであり、パラドックスであり、
パラレル・ワールドである。
これらは対偶であるから、両方合わせて成立する。
即ち、意味のない世界であり、支離滅裂である。

優しさと残酷は文章にすると、違うものになる。
だが人間の中では、同一である。
即ち、極性が違うが、同じ人に存在する。
対象によって、どっちの極性が反応するかの違いである。

*。
残酷は優しさの否定の肯定である。
優しさは、残酷の肯定の否定である。
両者はウロボロスである。

     *。
だから判決や調書や法律は、ただの作文というより、嘘というのが正しい。

即ち、間違っている時だけ、正しいのだから。

こんなことをやって、世界は支離滅裂になった。
法律はない方が、ましであった。
世界はこれで狂わされた。

*。
法律で狂わされた世界がある。

日本はそれを純粋培養し、その純結晶を精製した。

これを世界に掛けると、世界から法律が消える。
それが日本忍者の使命だ。
その為世界から隔離されて、日本は生存して来た。

   *。
実存は、実存の否定の肯定である。
即ち、実存はないものを妄想で有らしめることだ。

即ち、文章は間違っている時だけ、正しい。
即ち、文章は否定の肯定である。

*。
ニートや引きこもりは、その脱出である。
ないものを有らしめている。
妄想への反作用であり、免疫現象であり、
負のエントロピーを食べているのだ。

こうして本来の自己を定在させている。
ここに調和振動が成立し、
世界は安定する。

    *。
安定は、存在である。

成長経済は、安定の否定であり、
否定の肯定であり、自己破壊=ガンであった。

*。
成長はガンであり、自己否定であり、病気であった。

ガンという自己否定は、悪性新生物を作っていた。
自己を否定する血管を作っていた。

それが成長である。

成長は、間違っているから起きる正しい現象だ。

   *。
ゲーデルの不完全性定理でこれらが解読された。

ゲーデルの不完全性定理は、生命の観測・解読装置であった。

妄想論 文章は間違っている時だけ正しい

2010-02-22 05:16:31 | Weblog
パラレル・ワールドは、対偶であり、パラドックスである。
パラドックスであるから、意味のない世界であり、支離滅裂である。

国家とか文学…は、支離滅裂からいい気持ちになる方を取り出す。
だがこれはパラドックスであるから、
いい気持ちを取り出すと、反対成分を作ることになる。

*。
例えば、文学が生きる意味を創造する。
すると文学者以外の人は、生きる意味のない人とされる。

生きる意味のない人は、自分で作った自分の中の敵であり、
現実にもそういう人を認める。

だがこれは妄想である。

*。
つまり対偶を取ると、それはパラドックスであるから、
対偶の両方を取ると、
意味のないことであり、
ただの支離滅裂をやっているのだ。

だが人類の意味創造者にとっては、
そうでないとするものを排除せねばならない。

その時、創造者にとっては、それが実存となる。
実存を創造していない時は、何もない。

即ち、妄想であった訳だ。

    *。
この現象はゲーデルの不完全性定理である。

無意味であるから意味がある。
意味は意味がないから、意味がある。

即ち、意味に二つの階型があり、
文章の階型とこの文章は嘘である階型との二つがある。

即ち、どんな文章を書いても、この文章は嘘にしかならない。
それが意味を持つには、ただ記録している時だけだ。
それを超えると、妄想になる。

*。
関係が関係自身に関係する関係。
これはウロボロスともいえる。

矛盾と無矛盾はウロボロスであり、
それは絶対矛盾の自己同一性であり、
これはパラドックスである。

*。
文章は意味がない時だけ、意味がある。

即ち、文章は支離滅裂な時だけ、意味がある。
これが文章の意味であった。

つまり、文章は記録だけにしか使えない。

意味を考えると、妄想にしかならない。

    *。
こんな程度の悪いことを、人類はずいぶん長くやってきた。

やっとゲーデルの不完全性定理に目を覚まされた。

*。
妄想の正当化に、戦争や死刑まであるのだ。
それしないと妄想は成立しない。

妄想の代償が、殺人であった。

日本はこれを純粋培養した!
妄想を妄想で免疫した。

やっと人類は、妄想から解放される。

男と女のパラドックス 草食と肉食

2010-02-21 06:53:16 | Weblog
男は草食一直線。
純情丸出し。

女は多様化。
妻子ある男と一生このままでいたい。
イケメン(いい男)をかったっぱしから口説き、セックスする。
恋愛を繰り返し、女を磨く。
この先どうするのだろうか。
刹那の満足でいいのだろうか。

  *。
いいセックスと悪いセックスがある。
それは証明できない。

悪いセックスがある時、いいセックスが可能である。

*。
いいセックスと悪いセックス、
合わせるとなにもない。
パラドックスであるからだ。

パラドックスは証明できないことの証明であり、
或いは、証明できることを証明できなくすることだ。

*。
純情な男は、証明できることしかしない。
それがオタクであろう。
それは関わらずに関わることだ。

    *。
女もこれをやっていないか。
際限なくセックスにのめりこむ女。
何もやっていないことに等しい。

絶えず失神しエクスタシーを感じる。
遂にエクスタシー中毒だ。
何もしていないことと等価同型だ。

*。
ゲーデルの不完全性定理あら見た男と女。

セックスや恋愛で、完全性を証明できない。
のめりこむことと何もしないことは、同じである。

消点vanishung pointは同じだ。
ただ一人を求めることは、何もしないことと同じだ。

これが人の存在の理法か。
即ち、絶対矛盾は自己同一である。

    *。
人は何をやっているのだろう。
特別いい人がいるとすることは、何もしないことと同じである。

即ち、文章に矛盾がある時、その文章には正しい。

*。
実存も、現存在も、妄想である。

ただ生きていればいい。
そう言うことでした。
これが命である。

皆命するしかない!