無矛盾は、言葉の上の妄想である。
無矛盾という言葉はあり、
現実で矛盾しているという言い方はあるが、
無矛盾ということは言葉の現象で、現実にそれに対応する現象はない。
言葉にあって、現実にない。
これが言葉の自由性だ。
言葉は現実にないことを書ける。
これが国家や文学…を生んだ。
それは妄想であった。
人類は妄想で、いろいろの事をなした。
それは人間の自由性であろうか。
このため現実が破壊された。
*。
気持ちいい妄想、
これは妄想であるから、現実に成り立たない。
この気持ちいい妄想を生きて、人は現実を失った。
即ち、統合失調症となった。
*。
精神修養は、精神修養の否定の肯定を精神修養することである。
精神修養は、精神修養をしないことで存在する。
本来精神修養は必要ない。
それが命だ。
命を無くして、精神修養が必要になった。
それは無間地獄に嵌ったことだ。
いくら精神修養をしても、精神修養は達成されない。
*。
自分の中に、自分が作った敵を作り、これを殲滅する。
これが実存であった。
偽の自己を作り、これを殲滅する。
ここには自分があるが、自分で無い自分を自分としている。
その摩り替わりは気が付かない。
ここに豊かな世界が出来た。
それが自己破壊であることは理解できない。
*。
自分を壊して作った豊かな世界。
それを感動を持って受け取る。
ここには命がない。
これがゲーデルの不完全性定理であった。
*。
現存在はヒトラーであり、実存はスターリンであった。
現存在も実存も妄想であった。
妄想であるから、それは現実の排除に成立する。
*。
ヒトラーもスターリンも、現実を排除する妄想であった。
ヒトラーもスターリンも、排除した現実の死体や化石である。
即ち、民主主義も市場主義も、排除した現実の生む妄想だ。
ヒトラーと民主主義は同質だし、
スターリンと市場主義は同質だ。
これらは対偶のパラドックスだ。
両方合わせて、パラドックスである。
意味がない。
即ち、支離滅裂だ。
*。
現代人は妄想の世界を生きていた。
その眠りから覚ましたゲーデルの不完全性定理だ。
無矛盾という言葉はあり、
現実で矛盾しているという言い方はあるが、
無矛盾ということは言葉の現象で、現実にそれに対応する現象はない。
言葉にあって、現実にない。
これが言葉の自由性だ。
言葉は現実にないことを書ける。
これが国家や文学…を生んだ。
それは妄想であった。
人類は妄想で、いろいろの事をなした。
それは人間の自由性であろうか。
このため現実が破壊された。
*。
気持ちいい妄想、
これは妄想であるから、現実に成り立たない。
この気持ちいい妄想を生きて、人は現実を失った。
即ち、統合失調症となった。
*。
精神修養は、精神修養の否定の肯定を精神修養することである。
精神修養は、精神修養をしないことで存在する。
本来精神修養は必要ない。
それが命だ。
命を無くして、精神修養が必要になった。
それは無間地獄に嵌ったことだ。
いくら精神修養をしても、精神修養は達成されない。
*。
自分の中に、自分が作った敵を作り、これを殲滅する。
これが実存であった。
偽の自己を作り、これを殲滅する。
ここには自分があるが、自分で無い自分を自分としている。
その摩り替わりは気が付かない。
ここに豊かな世界が出来た。
それが自己破壊であることは理解できない。
*。
自分を壊して作った豊かな世界。
それを感動を持って受け取る。
ここには命がない。
これがゲーデルの不完全性定理であった。
*。
現存在はヒトラーであり、実存はスターリンであった。
現存在も実存も妄想であった。
妄想であるから、それは現実の排除に成立する。
*。
ヒトラーもスターリンも、現実を排除する妄想であった。
ヒトラーもスターリンも、排除した現実の死体や化石である。
即ち、民主主義も市場主義も、排除した現実の生む妄想だ。
ヒトラーと民主主義は同質だし、
スターリンと市場主義は同質だ。
これらは対偶のパラドックスだ。
両方合わせて、パラドックスである。
意味がない。
即ち、支離滅裂だ。
*。
現代人は妄想の世界を生きていた。
その眠りから覚ましたゲーデルの不完全性定理だ。