超人少年伝説

源氏物語千年 紫式部が突然現れ 紫式部氏思想を書くことになった

経済には 正帰還と負帰還しかない

2010-04-07 07:03:36 | Weblog
経済には、正帰還=発振と、負帰還=安定しかない。
然も経済は発振させてはいけない。

*。
金融危機とは、経済を発信させて、サチュレーションした現象だ。
これは経済の否定の肯定であり、ガンであり、経済の死だ。

*。
金融は、アメリカの駅馬車強盗団であった。
低開発国に金を乗せた駅馬車を走らせ、これをアメリカが襲うのだ。
アメリカは、発展途上国に、軽工業品を沢山乗せて走らせ、
それを襲い奪っていた。
これが自由経済であった。

これを自由と正義と上書きしていた。

      *。
アメリカは、金融と自由経済で、
低開発国を走らせ、
それを襲って奪っていたのだ。

アメリカ金融駅馬車強盗団。
世界の国家権力は、これを知っていて、国民を走らせていた。

その利益をアメリカと七三で分けたいた。

これが悪の帝国だ。
アメリカと各国国家権力は、たくさんの弱者を殺して食っていた。

*。
ナッシュに均衡理論。
世界の悪徳国家権力が勝利する方程式は、弱者を殺して食うことだ。

これをアメリカと世界の国家権力が、一致団結して行っていた!

これが新自由主義だ!

    *。
経済は発振させてはいけない。
発振させると、国家権力に殺させて食われる。

これを世界市民が見抜いて、これを超えるかどうかが問題だ。

*。
世界市民が成立すかどうか。
これが地球社会の問題だ。

*。
経済を発振させるな。
弱者は殺して食われるぞ。

これが対偶読みだ。

*。
レバレッジは、発振の言い換えの上書きだった!

決定論と確率論

2010-04-07 06:22:00 | Weblog
水俣病が、有機水銀中毒なら、すべての人に症状が出る。
ここで魚を食べない人が抜け落ちる。

それにある症状とある症状が、打ち消すこともあり、強化することもある。
しかもそれが経時変化をすることもある。
症状が固定することもあり、変化することもある。

このような事象が、確率論である。
それはサイコロを振る現象である。
ルートが一意でない。
物事が一対一に対応していない。

*。
例えば、決定論だた、ヒトラーは異常者で済む。

だが確率論で考えると、
ヒトラーにもいろいろの特徴があり、
その組み合わせに異常があったのであろうとなる。

然も周囲のものと、同期したり、それと共振することもある。

それらの総体としてヒトラーが捕らえられる。
ヒトラーが異常な人間でなく、国家の中に異常があった。
それが国家を占拠した。

*。
今の自動車は、機械系と電子系のパラドックス系だ。
機械系の触れに、電子系が追従しないこともある。
そこで異常が起きる。

だがその異常は決定論で現せない。
サイコロを振る現象だから。

異常が起きたときが異常であり、それは常に再現できない。
いくつかの原因が重なり合って、
然もその原因は変化する。

結果が一意で決定できない。

   *。
ブラジルで蝶が羽ばたけば、アメリカで台風になる。
誰もイメージできない。
蝶と台風に関係があるかも分からない。

*。
人はこういう確率論の世界に入った。

自動車は時々異常な現象を起す。
機械系の自動車でも、とんでもないはずれが起きる。

*。
つまり、部分と全体が、釣り合わない。
とんでもないはずれを掴むことは、機械系と電子気でも起こる。

10万キロ問題なく走る車もある。
なにやかにやと修理しないといけない車もある。
然もここにメーカーのごまかしもある。

ユーザーには分からないが、メーカーで分かって誤魔化していることもある。
メーカーの方が強いのだ。

*。
メーカーと国家が共同して誤魔化すと、ユーザーは対応不能だ。
サイコロを決定論にしてしまう。

ここが日米の決定的違いだ。
アメリカはユーザーに立つこともある。
日本にはこれが全くない。

       *。
日本は国家決定論であり、
国家は間違っていても正しいのだ。

国家自体が確率世界に対応を拒否している。

*。
この日本が世界の常識に叩かれた。

これを日本バッシングというのだ。

被害と加害が入れ違った日本が世界に明らかになった。
これが日本バッシングだ。

*。
日本はまだ国家原理主義という決定論を生きている。

世界は確率論化した。

     *。
国家決定論の隘路を打ち抜いた、確率論だ。
日本は遅れた世界であった。
アメリカも遅れたいた。
日本は更に遅れた世界であった。

*。
アメリカは孤独死し、日本は過労死した。

自殺は 不殺生か身を投げうつことか

2010-04-07 05:23:24 | Weblog
自殺は、いのちを絶つことを戒めているのか、
他者のために身を投げうつことを称えているのか。
これは証明不能、決定不能である。

もし自殺することが、無矛盾であるとすると、
それは証明できない。
何故ならそれは矛盾しているからだ。

   *。
この世には、善悪がある。
善だけ成すことは、この世の否定であり、
それはこの世の否定の肯定だから、
支離滅裂となる。

現に現実はそうなっている。

*。
善悪は矛盾であり、それを如何に最適化するか。
それが現実の問題だ。

善だけ成す倫理や道徳は、現実の否定の肯定であり、成立しない。
人を称えあうエチケットは、世界を悪の帝国とした。

エチケットこそは、悪の培養器であった。

*。
善だけするという考えは、成り立たなかった。

     *。
人の生き方は、善悪のパラドックスの解消にあることが分かる。

悪に対する悪意は、悪意かそうでないか。
少なくとも善は、悪意の否定の肯定である。
それは悪事か。

これは「この文章はうそである」のパラドックスとなる。
パラドックスが連鎖反応する。
それは善でも悪でもない。
善悪が発振したのだ。

*。
善悪がパラドックスとなり、それを解消することは、負帰還である。
するとそこに安定が生まれる。

善悪を為すのでなく、安定を作るのが人の仕事であることが分かる。
即ち、人の生き方は、パラドックスの解消である。

   *。
善が勝つ戦略は、悪を駆逐することだ。
そこには現実がない。

何をやっているのだろう。
現実の破壊をやっていた。

現代はこれを見事に達成した!

*。
道徳や倫理で、世界は破壊された。
これが現代である。