超人少年伝説

源氏物語千年 紫式部が突然現れ 紫式部氏思想を書くことになった

国家のパラドックス

2010-04-09 06:08:51 | Weblog
権力と人権はパラドックスである。

アメリカや日本は、このパラドックスを発振させて存在する。
ヨーロッパは、このパラドックスを解消した。

*。
日本では、権力と人権は交わらない平行線であり、
これが国家原理主義である。
即ち、国家は間違っていても正しい。
従って、外敵には戦争、内敵には死刑で成り立つ。
それが間違いなのだ。

即ち、国家は異物排除システムである。
国家はそれに反対するものがないと成立しない。

    *。
国家は国家だけでは成立せず、
それに抵抗するものを、潰して成立する。

即ち、国家は国家でないものによってもたらされる。
即ち、これが実存である。

国家は内外に敵を作り、その敵によってもたらされる。
即ち、国家は統合失調症であり、社会のガンである。

*。
こんな国家の存在に疑問を持たない。
だから国家は存在する。

国家は破壊因子である。

    *。
唯我独尊は、唯我独尊の否定の肯定である。
唯我独尊は、自己と他己のパラドックスである。
それを発振させて存在する。
それを解消させたものが、人間性である。

*。
国家は人間性の否定である。
その否定によって国家は成立する。

唯我独尊は人間性の否定である。
唯我独尊は、人間性の排除によって成立する。

*。
「この文章は嘘である。」
国家も唯我独尊も、嘘であった。

嘘が嘘を言ったことで成立する嘘は本当か。
矛盾は無矛盾である。

人間性には、それが起きることもある。

    *。
嘘と本当のパラドックスがあり、
これを発振させることも解消することが出来る。
これが人間である。

*。
矛盾を発振させた嘘と解消した嘘がある。
前者では人間性は、
爆発発散し、後者では安定する。

発散した場合は、ゼロ・リセットせよ。
これが朝永の繰り込み理論だ。

     *。
経済世界は、発散した。
これはゼロ・リセットしなくてはならない。

戦争によるか、人の意思によるか。
どちらかしかない。

非実在青少年は 非か可か

2010-04-09 05:08:56 | Weblog
非実在青少年は、許されるか、許されないか。
これは証明不能・決定不能である。

許されないとなると、それを証明せねばならない。
それは出来ないのだ。

非実在青少年を排除することは、無矛盾である。
それは証明されない。
それは矛盾であるから。

     *。
人間に関わることは、ゲーデルの不完全性定理の問題だ。

両義論に立てば、何事も賛成と反対がある。
それが人々の実在だから。

だから賛成と反対の矛盾を設定し、
そこで議論を深め、両方が納得するところにまとめる。

すると両者は、両方とも納得しないものとなる。
これが第三空間への展開だ。

これがパラドックスの解消だ。

     *。
一方に立つと、パラドックスは発振する。
これも第三の方法だ。
それは賛成でも反対でもなく、議論を殺すことだ。

これがファシズムであった。

ここに国家原理主義がある。
国家は間違っていても正しい。

これが絶対権力で、それはただの暴力でしかない、

*。
即ち、国家原理主義は妄想であり、反対排除を生きる。
即ち、国家原理主義は、反対があるから成立する。
反対がなければ成立しない。

即ち、間違っているから正しい。
これが自己否定の特異点だ。

   *。
この世には不良少年と大人がいる。

国家原理主義は不良少年の方法だ。
だが不良ほど楽しいものはない。
人を殺し強盗が出来る。

これをしないのが大人だ。
弱者を救済し、死刑をしない。
皆で生きる方法だ。

*。
不良少年の方法は、自己修養の方法だ。
これをやっても何も変わらない。
そこには自己満足しかない。

その不満を、不良行為で晴らす。
これがアメリカと日本だ。
我が道を行く。

ここには特異点になる場合と、不動点になる場合がある。

*。
大人の方法は、真理探究だ。
そこに社会を作る。
誰もが納得する世界だ。

これが知性の自主性だ。
それは賛成と反対を合成した世界だ。

これが人間性の不動点だ。
即ち、両義性のパラドックスの解消点だ。