超人少年伝説

源氏物語千年 紫式部が突然現れ 紫式部氏思想を書くことになった

憲法・法律、判決や調書は 嘘と妄想である

2010-04-16 06:33:52 | Weblog
法律や判決は、現実で実証されたものでなければならない。
現実で検証されない法律や判決は、ただのお呪いだ。
この魔術で国家を運用することが国家原理主義だ。

法律や判決は、現実と交差していなくてはならない。

*。
現実に成り立たない法律や判決で国家を運用する。
即ち、国家は間違っていても正しい。

この国家は外敵に戦争、国家への犯罪を死刑にして成り立つ。

国家こそは、国家の否定の肯定であり、即ちガンだ。
国家は全滅する手続きだ。

民主主義と資本主義は、全滅した。
これが現代の大恐慌だ。

   *。
またぞろ国家を立ち上げる。

国家は神のダブル・バインドである。
国家は国家を殺し、国民を殺す手続きだ。

それを法として行うのだ。

*。
人類は社会を作って、大人になる。

国家は人を大人にさせない手続きだ。

*。
この自縄自縛をどう超えるか。

人の人類意識や人間意識の問題だ。

    *。
自由貿易は、国家権力が市民を殺す道具だ。
国家権力だけが栄え、国民は死を持って応じる。

自由貿易、自由と正義は、
世界市民を奴隷・家畜・乞食にする道具だ。

*。
その対偶を読めば、これは直ちに明らかだ。

自由と正義は、その人類破壊思想を、
人類の福祉厚生と上書きし、世界に公然と晒し、
人類はこの金融と自由貿易で、
豊かになると思い込まされ、
現実に人類を呑み込んだ。

自由と正義こそは、人類を酔わせ、すべてを奪う酒だったのだ。

*。
金融と自由貿易は、人類をアルコール中毒にする仕掛けだった。
こうやって死ぬまで働かせ、国家権力は強欲に溺れられる。

      *。
かくして人類は、国家権力の奴隷・家畜・乞食となった。
実にうまく騙したものだ。

対偶読みができない祟りだ。

この知性の壁をプチ抜いた「パラドックスの解消」理論だ。

*。
人類は、アホ・バカ・間抜けの三本の矢であった。

やっとこれを克服できる知性が身についた。

大人とは 癒しや救いを求めないことである

2010-04-16 05:42:26 | Weblog
部分は全体である。

部分の中にも部分であるものと部分でないものがある。
それは証明できないが、部分の中に二つの部分がある。

これが絶対矛盾の自己同一性だ。
これは現実に成立しないが、意識の中で成立する。
これが文章の自由性だ。

これは現実で実証することはできない。
即ち、文章現象と現実現象は、不確定性原理で遮断されている。

*。
即ち、文章は嘘や妄想の自由である。
その中に真実もあれば、嘘であることもある。

これは現実で検証しなければならない。
すると嘘や妄想は検証されない。

文章の自由性は、妄想の自由性であった。

    *。
この妄想を使って、自由文学ができる。
これは文化の豊かさであることもあり、そうでないこともある。

文学とは文字の発振であることが分かる。
これが学問芸術となることもある。

そうでないこともある。
この狂気や犯罪は文章の多様性でもある。

*。
金・官能・感動が犯罪や狂気であることもある訳だ。
そうでないこともある。
それは証明できない。

この自由性を使って、人間を拡大したり、歪めることもできる。

   *。
殺人と強盗を、愛とか魂とか上書きできる。
そこに癒しや救いも作れる。

それは現実にはないことだ。

*。
ここに愛や魂、癒しや救いを求め、幸福感・躍動感・解放感を得ることができる。
そこに充実感や満足感を感じる。

だがこの対偶に、
孤独感・無力感・寂寥感・喪失感・不安感が生まれる。

両者はワンセットで、現実となる。

*。
即ち、癒しや救いは現実からの脱走であったことが分かる。
これで現実が癒し救われることはない。

    
    *。
現実を生きるのか、現実否定を生きるのか。

後者の文学は、現実否定であった。
即ち、嘘や妄想であった。

*。
これが永遠の少年症候群であった。
そこには大人がない。

*。
大人になることは、癒しや救いを求めないことだ。
これを求める児童文学だ。

だがこの世には子供もいる。
彼らは優しさを求め、だが残酷である。

    *。
優しさと残酷の共存は、畜生性であり、人間性ではなかった。
それは児童文学の世界だ。

*。
お上日本は、子供の世界であった。
そこは屁理屈の世界だ。

大人になることは、ここに癒しや救いを求めないことだ。

*。
この事情は、1Q84に書いてある。