超人少年伝説

源氏物語千年 紫式部が突然現れ 紫式部氏思想を書くことになった

自殺は 不殺生か身を投げうつことか

2010-04-07 05:23:24 | Weblog
自殺は、いのちを絶つことを戒めているのか、
他者のために身を投げうつことを称えているのか。
これは証明不能、決定不能である。

もし自殺することが、無矛盾であるとすると、
それは証明できない。
何故ならそれは矛盾しているからだ。

   *。
この世には、善悪がある。
善だけ成すことは、この世の否定であり、
それはこの世の否定の肯定だから、
支離滅裂となる。

現に現実はそうなっている。

*。
善悪は矛盾であり、それを如何に最適化するか。
それが現実の問題だ。

善だけ成す倫理や道徳は、現実の否定の肯定であり、成立しない。
人を称えあうエチケットは、世界を悪の帝国とした。

エチケットこそは、悪の培養器であった。

*。
善だけするという考えは、成り立たなかった。

     *。
人の生き方は、善悪のパラドックスの解消にあることが分かる。

悪に対する悪意は、悪意かそうでないか。
少なくとも善は、悪意の否定の肯定である。
それは悪事か。

これは「この文章はうそである」のパラドックスとなる。
パラドックスが連鎖反応する。
それは善でも悪でもない。
善悪が発振したのだ。

*。
善悪がパラドックスとなり、それを解消することは、負帰還である。
するとそこに安定が生まれる。

善悪を為すのでなく、安定を作るのが人の仕事であることが分かる。
即ち、人の生き方は、パラドックスの解消である。

   *。
善が勝つ戦略は、悪を駆逐することだ。
そこには現実がない。

何をやっているのだろう。
現実の破壊をやっていた。

現代はこれを見事に達成した!

*。
道徳や倫理で、世界は破壊された。
これが現代である。


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