根が凝り性なせいか、フィルムにはまると、デジタルと同じように、ついたくさんの写真が撮りたくなる。すると、コストの問題がのしかかる(;_;)
現在の使用比率は10:1くらいだろうか? むろん10がデジタル。それでもたとえばブローニーフィルムを使い、現像し、フィルムスキャンすると、けっこうな出費となる。プリントまで手を広げたら、とてもとても――たばこや酒を断ったとしても、お財布がもつかどうか(?_?) もたないだろう。
・・・というわけで、ブローニー、35mmとも、撮影のペースを少しダウンさせることにした。集団「はぐれ雲」をやっていた時代と比べると、年収は半分以下に下がっているし、プアマンたる三毛ネコさん、このままでは、とても二泊三日の青森撮影旅行になど、いけるわけがない(=_=)
何ヶ月もかかって、一枚のタブローを制作するような絵画とは違い、写真の宿命として「数をこなさないとベストショットが生まれてこない」という現象があるし、気分がおもむくままバシバシと撮影しまくっていると、しばらくしてそのツケがまわってくる。
ヤシカマット124Gによって、6×6のスクエア・フォーマットがつくり出す世界に目覚め、無理してローライフレックス3.5F(プラナー)まで手に入れたので、本音をいえば、しばらく6×6だけで撮影をつづけたい・・・というくらい、魅了されている。
気になる街角に立って、ウエストレベルファインダーに映し出される外界を眺めていると、日頃のストレスがみるみる吹き飛んでいく・・・という錯覚に陶酔できるのであ~る(笑)。
というわけで、ブレーキをかけ、ゆったり、スローペースにもどることにした。
もう一枚、ローライフレックスの写真をピックアップしておこう。
写真といってもデジタルとフィルムでは、光のとらえ方、質感表現、色再現、シャープネスなど、ずいぶんいろいろなところがことなっている。
愉しみは、まずフィルムを選ぶところからスタートする。
選んだフィルムを装填し、ピントを合わせる。絞り・シャッタースピードを合わせる。撮影条件によって、経験や勘を働かせ、露出を補正する、場合によっては被写界深度をつかって置きピン撮影する、そしてその都度、撮影したフィルムを巻き上げる。
レンズはなるべく単焦点がいい。
「いま何ミリのレンズをつけているのか」によって、見えてくる世界が、微妙にことなることすら体感できる。
人びとの跫音や、わたし自身の鼓動が、デジタルを使うときとは違った、スローテンポな音楽を奏でてくれる。
こういった撮影のプロセスを、一つひとつ愉しんでいく。たまには失敗もして、経験やデータを積み重ね、お気に入りの一枚を手に入れたときデジカメとは比較にならない満足感にひたる(笑)。
暗室作業をやっている人は、もっともっと大きな満足感や手応えを感じることができるだろう。そういったところに、撮影というある意味でスポーツに似た行為の、ほんとうにディープな愉しみが、たくさんかくれている。
出番が少ないカメラやレンズを処分し、たまには遠方まで出かけてみたいのだけれど、さてさて、どうしたものか?