
(右は娘時代の、左は夫ペッピーノとのツーショット)
須賀さんの没後20年にあたる今年、書店に須賀敦子コーナーが設置され、たくさんの本たちがならんでいる。
それで「トリエステの坂道」と出会ったころを思い出した。
BOOK OFFの書棚の前に立って、立ち読みするクセがわたしにはある。
そうして手にとって、ぱらぱらと中身検索をする♪
■https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/6613459e3d4fdb5344508c3dcbeed731
「トリエステの坂道」2010年1月6日up
400字詰原稿用紙にして、20枚か30枚、「雨の中を走る男たち」は非常に印象鮮やかなすぐれたエッセイであった。
読みおえたとき、わたしは自分がいまどこにいるのかを忘れた。
深い感動が、わたしの胸をつらぬいてしまい、大げさな表現かもしれないが、数十秒その場を動く事が出来なかった。
くり返しとなるけど、「なんだろう? ここには何が書かれているのだ!」
そう思いながら、「コルシア書店の仲間たち」をつづけて手にしたことを漠然と覚えている。
明晰で、稀にみる美しい日本語であった。
名文といえば名文だろうが、これほどのしなやかで、絹のような手ざわりをもつ日本語があやつれる日本人は、あまたいる現代の作家の中でもめずらしいだろう(^^)/
そして、トリエステの坂道を、わたしもいつか、須賀さんの面影を追いながら、カメラをもって歩いてみたいと夢想するようになった。
そうしたら、数週間前、こういう写文集を見かけたので買って帰った。

タイトルは「須賀敦子のトリエステと記憶の町」。
岡本太郎さんという写真家(画家の岡本太郎とは別人)が、須賀さんの記憶に招かれ、イタリア北部、最東端の町トリエステへと出かけ、撮影したもの。
そうなのだ・・・記憶とおもかげ、思い出が須賀敦子の最高のキーワードなのだ。
一連のエッセイを執筆しはじめたとき、彼女はすべてを失っていたのだから。

過去との再会。いや、むしろ創造というべきだろう。
彼女の指先からピュアな水滴が一滴、一滴したたり落ちる・・・そのようにしながら、須賀さんはペンを原稿用紙に走らせる。
単純な回顧談ではなく、老人の思いで話という繰り言のたぐいでもない。まるでつい数日前の出来事であるかのように、彼女は書いている。よく読めばわかってくる、ノスタルジーの情だけに引きずられているのではないことが・・・。
過ぎ去ってしまった日々を、このようにいきいきと、輪郭鮮やかなものとして蘇らせることができるのだ。わたしにとっては発見! といっていい出来事だった。
過去ログを検索してみると、「トリエステの坂道」のほか、つぎのページがヒットした。
■ https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/d3df1d3466b39eeb58b0fe9538103622
須賀敦子ふたたび ~ピュアなまなざしと美しい日本語を称える

松山巌さんの「須賀敦子の方へ」(新潮文庫)もスタンバイしてある。
記憶の奥の方に、小さな香しい岬がある。
その岬を訪ね、波打ち際を歩いたり、遠い地平線を眺めたり、岩に腰をおろして、深々と深呼吸しながらドリンクを飲んだりする人たちが、いまも絶えることがないし、これからさきもそうだろう。
香しき記憶の岬。
そこに、須賀敦子はいまも住んでいる。
しばらくご無沙汰していたが、そろそろまた、須賀さんを、その岬に訪ねてみよう。
読んではいない須賀さんや、須賀さんについて書かれた本たちが、少しずつたまってきた♪
※ 須賀敦子さんご自身の画像はWebの「画像検索」よりお借りしました。
ありがとうございました。
須賀さんの没後20年にあたる今年、書店に須賀敦子コーナーが設置され、たくさんの本たちがならんでいる。
それで「トリエステの坂道」と出会ったころを思い出した。
BOOK OFFの書棚の前に立って、立ち読みするクセがわたしにはある。
そうして手にとって、ぱらぱらと中身検索をする♪
■https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/6613459e3d4fdb5344508c3dcbeed731
「トリエステの坂道」2010年1月6日up
400字詰原稿用紙にして、20枚か30枚、「雨の中を走る男たち」は非常に印象鮮やかなすぐれたエッセイであった。
読みおえたとき、わたしは自分がいまどこにいるのかを忘れた。
深い感動が、わたしの胸をつらぬいてしまい、大げさな表現かもしれないが、数十秒その場を動く事が出来なかった。
くり返しとなるけど、「なんだろう? ここには何が書かれているのだ!」
そう思いながら、「コルシア書店の仲間たち」をつづけて手にしたことを漠然と覚えている。
明晰で、稀にみる美しい日本語であった。
名文といえば名文だろうが、これほどのしなやかで、絹のような手ざわりをもつ日本語があやつれる日本人は、あまたいる現代の作家の中でもめずらしいだろう(^^)/
そして、トリエステの坂道を、わたしもいつか、須賀さんの面影を追いながら、カメラをもって歩いてみたいと夢想するようになった。
そうしたら、数週間前、こういう写文集を見かけたので買って帰った。

タイトルは「須賀敦子のトリエステと記憶の町」。
岡本太郎さんという写真家(画家の岡本太郎とは別人)が、須賀さんの記憶に招かれ、イタリア北部、最東端の町トリエステへと出かけ、撮影したもの。
そうなのだ・・・記憶とおもかげ、思い出が須賀敦子の最高のキーワードなのだ。
一連のエッセイを執筆しはじめたとき、彼女はすべてを失っていたのだから。

過去との再会。いや、むしろ創造というべきだろう。
彼女の指先からピュアな水滴が一滴、一滴したたり落ちる・・・そのようにしながら、須賀さんはペンを原稿用紙に走らせる。
単純な回顧談ではなく、老人の思いで話という繰り言のたぐいでもない。まるでつい数日前の出来事であるかのように、彼女は書いている。よく読めばわかってくる、ノスタルジーの情だけに引きずられているのではないことが・・・。
過ぎ去ってしまった日々を、このようにいきいきと、輪郭鮮やかなものとして蘇らせることができるのだ。わたしにとっては発見! といっていい出来事だった。
過去ログを検索してみると、「トリエステの坂道」のほか、つぎのページがヒットした。
■ https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/d3df1d3466b39eeb58b0fe9538103622
須賀敦子ふたたび ~ピュアなまなざしと美しい日本語を称える

松山巌さんの「須賀敦子の方へ」(新潮文庫)もスタンバイしてある。
記憶の奥の方に、小さな香しい岬がある。
その岬を訪ね、波打ち際を歩いたり、遠い地平線を眺めたり、岩に腰をおろして、深々と深呼吸しながらドリンクを飲んだりする人たちが、いまも絶えることがないし、これからさきもそうだろう。
香しき記憶の岬。
そこに、須賀敦子はいまも住んでいる。
しばらくご無沙汰していたが、そろそろまた、須賀さんを、その岬に訪ねてみよう。
読んではいない須賀さんや、須賀さんについて書かれた本たちが、少しずつたまってきた♪
※ 須賀敦子さんご自身の画像はWebの「画像検索」よりお借りしました。
ありがとうございました。