二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

「すきま写真」がおもしろい

2012年06月29日 | Blog & Photo

いろいろな被写体がある中で、わたしがひそかに「すきま写真」と呼んでいる一群の写真がある。まあ、あえてそういったジャンルを分けて考える必要はないのだけれど、「へへえ」とか「ほう」とかいいながら、ほんの一瞬立ち止まり、レンズを向けてそういった光景をすくい撮ってみる。
トップの一枚もそうだけれど、たとえば、こんな写真。







「シニカル」だったり「けなげ」だったり、「なんだ、こりゃ?」だったり、名状しがたいイメージの断片だったりする。
よく知られたものに、赤瀬川原平さんの「路上観察」がある。
あれも「すきま」の中にユーモアを見いだした世界だし、街の無意識をさぐろうとするユニークな試みであった。
「犬も歩けば棒にあたる」ではないけれど、ほんのわずか視点をずらすと、見えていたものが消えてしまう(^^;)
あえかなものだし、不確実なものである。

歩いていると、人びとやモノが近づいてきて、また遠ざかる。
街も人もモノも、たえまなく変化している。
あったものが消えたり、新たに誕生したり、変形したりする。
四季折々の変化・・・というのもある。カメラを持たなかったら、わたしはこんな変化には気がつかなかったろう。カメラアイは、普通にいう意味での「肉眼」とは違う。



一億総カメラマン時代といわれ、net上におびただしい数の写真が日々アップされ、またたくまに消費されていく。有名なプロの写真家もいれば、ケータイのアプリで撮っているだけの消費者もいる。これだけ写真が洪水のように氾濫してしまうと、自分が見たい写真、見てよかったと思える写真、眼の快楽といえるような写真にたどりつくのは、逆に容易ではない。
ベンヤミンではないが、世は「複製時代」なのである。
たとえば、話題となった映画を100万人の日本人が見て、同じような感想を抱き、同じような感慨にふける。それは仕掛け人がいて、大衆をそんなふうにコントロールしているからであろう。
ポピュリズムとは、そういったものである。このポピュリズムによって殺されたカエサルのような人物がいる。あるいはタレント出身の無能な政治家が、やたら眼につく・・・という現象が起こる。

かつて金子光晴は、こういう詩を書いている。

《だんだら縞のながい陰を曳き、みわたすかぎり頭をそろへて、拝礼してゐる奴らの群衆のなかで
 侮蔑しきったそぶりで、
 ただひとり、 反対をむいてすましてるやつ。
 おいら。
 おっとせいのきらひなおっとせい。
 だが、やっぱりおっとせいはおっとせいで
 ただ
 「むかうむきになってる
 おっとせい。」》

わたしはこういう「おっとせい」ではないが、金子さん同様、こういう「おっとせい」に対するあこがれのようなものを心に潜めている。
・・・“むかうむきになってる おっとせい”には、どんな世界が見えているんだろう?

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