二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

レヴィ=ストロース講義(現代世界と人類学)   C.レヴィ=ストロース

2010年01月07日 | 哲学・思想・宗教
こんなにおもしろかったのか。
もっとはやく読んでおくべきだった本の一冊。
主著は難解でなかなか手に負えないけれど、講演録だけあって、本書はとてもわかりやすく、入門書にうってつけ。これなら、哲学音痴のわたしにもわかる。
いやはや、文化人類学とは、こういう学問だったのね。
ものの考え方をゆさぶらないではおかない、叡智に満ちた洞察と、天才的な啓示の数々に満ちあふれている。

3回に分けておこなわれた講義のタイトルは、つぎのようになる。
第1講「西洋文明至上主義の終焉」 人類学の役割
第2講「現代の3つの問題」 性・開発・神話的思考
第3講「文化の多様性の認識へ」 日本から学ぶこと

最近いくらか下火になったが、数年前まで、グローバル・スタンダードという思想が、いろいろなジャンルで言論界をおおったことがある。「世界標準」に達するための大競争社会の開幕というわけである。大型ブルドーザーが、世界中を駆け回って、未開地を開発し、真っ平らな、見通しのよい平地にしてしまおうという、こういった「野心」は、アメリカにじつに都合よくできていた。

世界中がアメリカ化してどうする?

勝者と敗者がはっきり分かれて、数パーセントの勝者が、途方もない物質的富を手にし、残りの大部分は置いてきぼりをくらうサバイバル・ゲーム。株価狂乱時代と拝金主義の横行は、目に余るものが、たしかにあった。
これをわたしはアメリカ的プラグマチズムと考え、ずっと疑問をかかえながら生活してきた。反米というわけではないのだが、日本に勝機などあるはずのないこのゲームの向こうに、アメリカ的欲望・・・、果てしない欲望の連鎖を見たのは、わたしひとりではないだろう。なにしろ、相手は世界の消費エネルギーの3分の2を消費しているマンモス国家なのである。

しかし、そういった21世紀初頭の潮流に対し、何ら思想的根拠を見いだせぬまま、「ディズニーランドくそ食らえ!」「おれは株になんか手はださねえぞ」「所詮はアメリカ映画じゃないか。銀幕の向こうのきらびやかな幻影にしてやられるんじゃない」と吠えたくなる気分をかかえていた。むろん、ガリバーに対するコビト、いや蟻の抵抗のようなものだと承知のうえで・・・。

レヴィ=ストロースは、欧米型の文化が、唯一最高の文化であるという幻想を打ち砕く。
「長いあいだ、少しの疑いもさしはさまれずにきたはてしない物質的、精神的進歩に対する信仰は、今までになく深い危機に見舞われています。西欧型の文明は、自らに課してきたモデルを失い、またこのモデルを他の文明に示す勇気をも失いました」
「人間とは抽象的人間性のなかにおさまるものではなく、時と場所によって異なる具体的伝統文化のなかで、はじめてその本性を実現するのだ」

西欧型文明は、ほかに数多く存在する文明・文化の一モデルにすぎない、と彼は考える。こういった判断の基準が変われば、その社会に対する考え方や、人間像や、ものの価値が転倒するのだ、と。「西洋文明至上主義の終焉」を、ほかならぬフランスの人類学者が、フィールドワークなどを通じて発見していく道筋が、どれほどスリリングな思想と感受性の冒険であったかを想像しないわけにはいかないだろう。
「生産は消費を呼び、消費がまたいっそうの生産を求める。全人口のうち、工業の直接、間接の要求にいわば吸い寄せられた部分はますます大きくなり、巨大都市に集中し、人工的で非人間的な生活を強いられることになります」

どこかでこの「人類滅亡」へのシナリオの連鎖を断たなければならないのである。わたしはそのためのヒントの多くを、本書から得ることができたと確信する。天文学者ほどではないが、レヴィ=ストロースの思想の射程距離は長く、大きいといわねばならないだろう。


評価:★★★★★

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