LX5とニコンの単焦点レンズを手に入れたことで、撮影モードに切り替わり、
休みというと、カメラを2台ぶらさげて、町並みウォッチングをつづけている。
「散歩写真」というジャンルがあるようだが、あれに近いのだろう。
おもしろい(とわたしが直観した)被写体を探しながら、近隣の町の、おもに旧市街を、ぶらぶらと歩く。10月の終わりから、12月の半ばにかけては、こういった「街撮り」にはうってつけのシーズンなのだ。
斜光線をいっぱいにあびて、町の景物は深い陰翳に満たされ、
観客のいないステージとなる。
シナリオライターも、演出家もいない。
それを発見するのは、フォトグラファー。
あえていえば、時間という、ことばのない、最強の演出家が作りだしたステージなのだ。
ぽかぽか陽気の、お天気のいい日は、まさに「カメラ日和」。
空気はすんでいて、ものの形がとても立体的に見えてくる。
「あれれ、こんなところに、こんなものがあるぞ」
影が主役になることも、もちろんある。
「観客のいないステージ」という題を思いつき、横位置3枚で、秩父の写真をもう一度組んでみたので、upしておこう。

フレーミングを決めすぎると、写真のおもしろさが殺がれる。
夾雑物があったら、それをそのまますくい取る。
ソシアル・ランドスケープの場合、それがネイチャーとは違った視覚効果をあげる。
塀に対しては、-1/3補正ではやや露出オーバーかな?
影は道の反対にある蔵の屋根。

昔ながらの写真館の入口。
まるでカメラのミニ博物館である。
暗箱タイプの8×10や4×5が椅子のうえに置いてあり、危険というのは「触れると崩れる」という意味だろう。
LX5の広角側だが、左上の格子から、盛大なハロが出ている(^^;)コンデジの広角側は、色収差の補正がむずかしいのだろう。

石屋さんの石置き場。
明暗差が非常に大きく、ハイライト部に対しては、オーバーとなっている。
左側の影の奇怪な形状、ツタモミジの赤に見とれながら、何枚か写したうちの一枚。
これもフレーミングはいいかげんがいい(笑)。決まりすぎは、スタティックな印象が強調されるだけ・・・というケースが多いからだ。
おやおや、この影は口を尖らせた小鬼の横顔に見えるぞ(?_?)
休みというと、カメラを2台ぶらさげて、町並みウォッチングをつづけている。
「散歩写真」というジャンルがあるようだが、あれに近いのだろう。
おもしろい(とわたしが直観した)被写体を探しながら、近隣の町の、おもに旧市街を、ぶらぶらと歩く。10月の終わりから、12月の半ばにかけては、こういった「街撮り」にはうってつけのシーズンなのだ。
斜光線をいっぱいにあびて、町の景物は深い陰翳に満たされ、
観客のいないステージとなる。
シナリオライターも、演出家もいない。
それを発見するのは、フォトグラファー。
あえていえば、時間という、ことばのない、最強の演出家が作りだしたステージなのだ。
ぽかぽか陽気の、お天気のいい日は、まさに「カメラ日和」。
空気はすんでいて、ものの形がとても立体的に見えてくる。
「あれれ、こんなところに、こんなものがあるぞ」
影が主役になることも、もちろんある。
「観客のいないステージ」という題を思いつき、横位置3枚で、秩父の写真をもう一度組んでみたので、upしておこう。

フレーミングを決めすぎると、写真のおもしろさが殺がれる。
夾雑物があったら、それをそのまますくい取る。
ソシアル・ランドスケープの場合、それがネイチャーとは違った視覚効果をあげる。
塀に対しては、-1/3補正ではやや露出オーバーかな?
影は道の反対にある蔵の屋根。

昔ながらの写真館の入口。
まるでカメラのミニ博物館である。
暗箱タイプの8×10や4×5が椅子のうえに置いてあり、危険というのは「触れると崩れる」という意味だろう。
LX5の広角側だが、左上の格子から、盛大なハロが出ている(^^;)コンデジの広角側は、色収差の補正がむずかしいのだろう。

石屋さんの石置き場。
明暗差が非常に大きく、ハイライト部に対しては、オーバーとなっている。
左側の影の奇怪な形状、ツタモミジの赤に見とれながら、何枚か写したうちの一枚。
これもフレーミングはいいかげんがいい(笑)。決まりすぎは、スタティックな印象が強調されるだけ・・・というケースが多いからだ。
おやおや、この影は口を尖らせた小鬼の横顔に見えるぞ(?_?)