二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

そのときわたしは・・・

2011年03月13日 | Blog & Photo
平成23年3月11日、午後2時46分。
東北地方太平洋沖地震が発生したそのとき、わたしは前橋市北部にいて、マンションの管理をまかされている大家Fさんの庭でセツブンソウの撮影を終え、カンズセンを眺めたあと、見事な枝ぶりのサンシュウの黄色いつぼみにレンズを向けたところだった。肌を切り裂くような北風が強く吹いていた。「おやおや。風にあおられて体がゆれるのか。ん? 目眩? いや、地震だ!」
Fさんも「お、おおっ。すごい地震だぞ、これは。あー、クルマがあんなに揺れている」
敷地にあったトラックが、地震の波をうけて、ボートのようにゆらゆら・・・。
つぎに掲げる写真のうち、サンシュウ(サンシュユ)の写真二枚が、第一波がややおさまりかけたころに、ISO800に感度をあげて撮影したカット。






「すごい揺れている。怖くて家のなかにはいられない」といいながら、Fさんの奥様が自宅から飛び出してきた。
「震源地はどこでしょうね」
「どうです? お茶でも。TVをつけたら、地震情報が流れるでしょう」
そんなことをいっているあいだにも、第二波、第三波。わたしは先日のニュージーランドの大震災のニュースを見ながら、今年あたり、日本にも神戸・淡路大震災級の地震がやってくるだろうと、漠然と予感していた。

日本は地震国だから、震度4、5クラスの地震にいちいち驚き、おそれてはいられない。
しかし、今回はこれまで経験した中で、いちばん強い揺れ。
クルマのラジオをつけると、宮城県沖の太平洋が震源で、M8.3と報道されていた。このマグニチュードは、その後8.8、本日になって9.0という未曾有の大地震であったと修正されていった。



これは帰路に立ち寄ったBOOK OFFの入口ドア。
6:30まで仕事をし、それから帰宅するためクルマに乗ったが、市内はあちこちで渋滞が発生し、1.5倍以上時間がかかった。停電が発生し、信号機がとまってしまっていたらしい。途中にあるコンビニも大賑わい。
前橋市では市の西部が、夜半(深夜2時ころ)まで、大停電があったとのこと。オール電化にしている家では、暖房もつかえず、クルマの中に避難していたらしい。食事は電気が普通につかえる市街地までやってきて、レストランで食べた。

こちら群馬県では桐生地区の揺れがいちばんはげしく、震度6弱。
その地区に、Lというわたしの管理物件がある。
一夜明けた昨日、そのLの住人から「室内壁に亀裂がはしり、ドアの開け閉めができない」と連絡が・・・。
午後になって桐生のアパートへ出かけ、約半日がかりで被害状況を調査、確認し、オーナーに報告した。空室4室もすべてドアをあけて中を調べた。
アパートの近隣では、屋根に損傷を受けたり、ガラス窓が割れたり、屋根のソーラーパネルがずり落ちたりといった光景が見られた。被害は予想より少なかったのでホッ。しかし、2室では壁などの修復工事が必要な状況である。

それにしても・・・。
TV映像に映し出された岩手、宮城あたりの沿岸市町村は、すぐにはことばが出ないような惨状である。わたしには義捐金を出すくらいの支援しかできないから、現段階ではあまり多くのコメントはしたくない。文明がすすめばすすむほど、地震による被害は拡大するだろう。つぎはどこか?
日本中地震の心配がまったくない地域はない。
快適・便利を追求してやまない人間の欲望。それに対する、まことに深刻な警告としてうけとめることができる。いろいろなことが脳裏を横切っていく。
いずれにせよ、平成23年3月11日は、日本人の多くにとって、忘れられない日付となっていくだろう。

いまこうして、あのとき写したセツブンソウを落ち着いて眺めていられる運命に感謝しよう。群馬では稀少種とのこと。自生地がかなり限られている代表的な山野草である。



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