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二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

乳と卵   川上 未映子

2010年01月06日 | 小説(国内)
女が「女であること」にとことんこだわると、こういう作品になるのかという感想がまず浮かんできた。身体感覚、もっといえば皮膚感覚のオンパレード。ぬるぬる、すべすべ、しっとり、ざらざら。
長いセンテンスを、句点だけでつなげていくから、センテンスの途中で主語と述語が変化し、コアをつかませない。眺める角度によって色の変わる鱗粉のような文体であるが、むろん、作者によってしたたかに選び取られた文体である。

森鴎外や中島敦の文体にあこがれているわたしのような読者からみると、その対極にあるような饒舌体といっていいだろう。印象散漫になりかけては、踏みこたえて、最後までひっぱっていく力はもっている。町田康さんを思い出すという評もあるから、大阪弁による典型的な饒舌体なのかもしれない。わたしは町田康さんは立ち読みで数ページ読んだだけなので、あたっているかどうか判断は保留しよう。いずれにせよ、作者は「しゃべるように」書いている。むちゃくちゃで、エネルギッシュで、粘着力のある大阪弁が、臨場感あふれる生々しさをつくり出していく。

登場人物は三人。語り手「わたし」と大阪から豊胸手術をうけるためにやってきた姉巻子、その娘で「しゃべる」ことを拒否し、必要があれば筆談するという自閉症気味の姪緑子の三人。しかし、この三人の人物の輪郭は、かなり曖昧。どこまでが「わたし」でどこから巻子なのか、あるいは緑子なのか、作者はある意図をもって、そのあたりをつきまぜてしまう。パレットのなかで、三色が入り混じる。
村上龍さんの小説には、こういった手法で書かれた秀作がある。
「大阪弁」はこの作品のなかでは、うまく機能している。この上っ滑りしそうな「語り」は、大阪弁によって、現実感をもつ、・・・とわたしは見るからである。
成長することに対する嫌悪。そして「女」であることへの不安がクローズアップされ、それがしだいに身体としての生に対する不安や悲哀にむすびついていく。
ことばは生々しく、ときにそれじたい両生類のように、ぬるぬる動きまわる。表現はしばしば、皮膚につけられたひっかき傷のような感触を読者にもたらす。

「文藝春秋」掲載号を読むと、池澤夏樹さんがいちばん好意的な選評を寄せ、石原慎太郎さんがその逆。
mixiのレビューには1400件をこえる書評があるから、かなり読まれている。ところが、平均点3.15。ストーリーがあまりに恣意的だし、登場人物は感情移入をまったく拒んでいるので、作中にひきずりこまれることはなく、「おもしろい小説」というにはほど遠いから、この評価はやむを得ないだろう。
わたしの場合も、あとでもういちどていねいに読みかえしてみようかという気にはなれなかった。こういう作品を書いた女性作家が、今後どんな作家に成長をとげていくのか、興味はほぼその一点に収斂される、・・・とだけ書いておこう。


評価:★★★

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