
(「芥川龍之介」ちくま日本文学全集 1991年刊 「戯れに」が収録されている文庫本はこれだけ)
たしか吉本隆明さんにうながされてだったと思うけど、芥川の“通奏低音”に耳をましたことがあった。
《戯れに(1)
汝(な)と住むべくは下町の
水(み)どろは青き溝(みぞ)づたい
汝が洗湯の往き来には
昼も泣きつる蚊を聞かん》
《戯れに(2)
汝と住むべくは下町の
昼は寂しき路地の奥
古簾(ふるす)垂れたる窓の上(へ)に
鉢の雁皮も花さかむ》
芥川がこんな詩を書いていたのは、そのときまで知らなかった。ファンであってもなくても、これが彼の生活の底をずうっと流れつづけた“通奏低音”であったことは一目瞭然だろう。
渾身の力をふり絞って、帝国ホテルで原稿と取り組む芥川は、かなり難解な小説家といわざるをえない。太宰もそうだが、自ら死を目前にひかえているのである。
「玄鶴山房」「河童」(後者は紙で100枚を超えているという)「歯車」「文芸的な、余りに文芸的な」「西方の人」とその続編が、これらにあたるが、「河童」「歯車」は、わたしにとって格別難解である。
筆者の関口安義さんは、新史料を駆使して、芥川周辺の女性たちを2人3人あげているが、その最後の一人が松平ます子である。
《芥川龍之介は最後の輝きを「玄鶴山房」「河童」などの小説、そして谷崎潤一郎との論争「文芸的な、余りに文芸的な」で示していた。彼が当時仕事場として用い、遺稿「歯車」などを書いた場所は、先にちょっとふれた帝国ホテルであった。》205ページ
評伝なので実在の人物が大勢登場する。
中村真一郎や吉田精一世代が文庫本の解説をあちこちで書いているため、わたし自身がそういうものの見方で芥川を眺め、読んできた。
晩年の彼は向うをむいたまま、振り返らない。すなわち背中しか見えない。その一部が、本書
読むことで炙り出されてきた、といえないこともない。
索引を別にして220ページ。これだけのボリュームでまとめたのは、なかなかの手腕といっていいかもしれない(^^;;)
第7章「時代への関心」の章で、
《芥川は鷗外の歴史小説に学ぶことが実に多かった。初期の「尾形了斎覚書」から晩年の「古千屋(こちや)」に至るまで、彼の歴史小説には鷗外の影響が常につきまとっている。ストーリーもさることながら、文体の影響が色濃いのである。》162ページ
半信半疑だったが、このあたりから、実直な研究者・関口安義さんのペースにのせられていく。
まあ、晩年の思想に思いをはせないと、芥川は難解のまま、目の前に立ち塞がることになる。やむをえないが、もう一度チャレンジしてみる価値は十分ある。
《本書は大量の新史料の出現や事実の解明による研究の進展、さらには時代の変化による芥川像の変遷をふまえて、新たな角度からその生涯と文学に迫ったのである。》あとがき 219ページ
筆者・関口安義さんは、控えめにそう述べている。
索引がついているから、教材として授業でお使いになったかもしれない。新潮社の文学アルバムも、小学館の参考書も関口さんの息がかかっている。わたしの「芥川龍之介」は、2005年の第5刷りアンコール復刊である。
《「蜘蛛の糸」や「鼻」の話、知っていますか? 黒澤明監督の名画「羅生門」の原作も芥川です。35歳で自殺するまで、彼は短編小説の可能性に挑戦し、大正期の流行作家として活躍、芥川賞の名にもなったほど。毒気のある香りを放つ名文、古今東西の素材を使った技を味わってみませんか。》文豪ナビ「芥川龍之介」BOOKデータベースより

(若者向けとはいえいささかミーハー的といえないこともない)

(気が向いたらつぎは、中村真一郎のこれを読もう♪)

(新潮文庫は何度も買いなおしているが、わたしが一番好きなのはこのあたり)
たしか吉本隆明さんにうながされてだったと思うけど、芥川の“通奏低音”に耳をましたことがあった。
《戯れに(1)
汝(な)と住むべくは下町の
水(み)どろは青き溝(みぞ)づたい
汝が洗湯の往き来には
昼も泣きつる蚊を聞かん》
《戯れに(2)
汝と住むべくは下町の
昼は寂しき路地の奥
古簾(ふるす)垂れたる窓の上(へ)に
鉢の雁皮も花さかむ》
芥川がこんな詩を書いていたのは、そのときまで知らなかった。ファンであってもなくても、これが彼の生活の底をずうっと流れつづけた“通奏低音”であったことは一目瞭然だろう。
渾身の力をふり絞って、帝国ホテルで原稿と取り組む芥川は、かなり難解な小説家といわざるをえない。太宰もそうだが、自ら死を目前にひかえているのである。
「玄鶴山房」「河童」(後者は紙で100枚を超えているという)「歯車」「文芸的な、余りに文芸的な」「西方の人」とその続編が、これらにあたるが、「河童」「歯車」は、わたしにとって格別難解である。
筆者の関口安義さんは、新史料を駆使して、芥川周辺の女性たちを2人3人あげているが、その最後の一人が松平ます子である。
《芥川龍之介は最後の輝きを「玄鶴山房」「河童」などの小説、そして谷崎潤一郎との論争「文芸的な、余りに文芸的な」で示していた。彼が当時仕事場として用い、遺稿「歯車」などを書いた場所は、先にちょっとふれた帝国ホテルであった。》205ページ
評伝なので実在の人物が大勢登場する。
中村真一郎や吉田精一世代が文庫本の解説をあちこちで書いているため、わたし自身がそういうものの見方で芥川を眺め、読んできた。
晩年の彼は向うをむいたまま、振り返らない。すなわち背中しか見えない。その一部が、本書
読むことで炙り出されてきた、といえないこともない。
索引を別にして220ページ。これだけのボリュームでまとめたのは、なかなかの手腕といっていいかもしれない(^^;;)
第7章「時代への関心」の章で、
《芥川は鷗外の歴史小説に学ぶことが実に多かった。初期の「尾形了斎覚書」から晩年の「古千屋(こちや)」に至るまで、彼の歴史小説には鷗外の影響が常につきまとっている。ストーリーもさることながら、文体の影響が色濃いのである。》162ページ
半信半疑だったが、このあたりから、実直な研究者・関口安義さんのペースにのせられていく。
まあ、晩年の思想に思いをはせないと、芥川は難解のまま、目の前に立ち塞がることになる。やむをえないが、もう一度チャレンジしてみる価値は十分ある。
《本書は大量の新史料の出現や事実の解明による研究の進展、さらには時代の変化による芥川像の変遷をふまえて、新たな角度からその生涯と文学に迫ったのである。》あとがき 219ページ
筆者・関口安義さんは、控えめにそう述べている。
索引がついているから、教材として授業でお使いになったかもしれない。新潮社の文学アルバムも、小学館の参考書も関口さんの息がかかっている。わたしの「芥川龍之介」は、2005年の第5刷りアンコール復刊である。
《「蜘蛛の糸」や「鼻」の話、知っていますか? 黒澤明監督の名画「羅生門」の原作も芥川です。35歳で自殺するまで、彼は短編小説の可能性に挑戦し、大正期の流行作家として活躍、芥川賞の名にもなったほど。毒気のある香りを放つ名文、古今東西の素材を使った技を味わってみませんか。》文豪ナビ「芥川龍之介」BOOKデータベースより

(若者向けとはいえいささかミーハー的といえないこともない)

(気が向いたらつぎは、中村真一郎のこれを読もう♪)

(新潮文庫は何度も買いなおしているが、わたしが一番好きなのはこのあたり)