二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

「家霊」岡本かの子著(ハルキ文庫)レビュー

2015年05月27日 | 小説(国内)
「家霊」は以前から手許にあり、「老妓抄」だけを読んだまま長らく寝かせてあった。
ちょっとした気まぐれから三浦しおんさんというライトノベルの小説家の作品を2冊読み、レビューですでに書いたように、物足りない思いをしていたので、書棚の奥から引っぱり出して読みはじめたら、これが凄かった!
本書には「老妓抄」「鮨」「家霊」「娘」の4編が収録され、解説(巻末エッセイ)をふくめて、全120ページという薄さであるのがいい。
集中して読めば、2時間たらずで通読できる。

「娘」だけ少々出来が悪いが、ほか3編はやや気むずかしい読書家でも、十分愉しめる佳品ぞろい。これぞ“ブンガク”という手応えがえられること請け合い(^^)/
訴求力、イメージの展開、文章・・・どれをとっても一級品である。
ハルキ文庫に付せられた内容紹介を引用する。
《夜な夜などじょう汁をせがみにやってくる不遇の老彫金師と、どじょう屋の先代女将の秘められた情念を描いた表題作「家霊」、
自らの力で財を築き、齢を重ねてなお生命力に溢れる老妓が、出入りの電気器具屋の青年に目をかけ、好きな発明を続けさせようとする「老妓抄」、
鮨を食べることで母との思い出に浸る鮨屋の常連・湊の一時の交流を通して人の世の姿を描き出す「鮨」など、人間の生命力と業があぶり出される名短篇四篇を収録。》
・・・ということになる。

とくに今回の読書で驚嘆したのは、「鮨」であった。
鮨という食物がカゲの主役。これは近代文学の中でも屈指の名短編であるとわたしもおもう。
文庫本でわずか28ページ、そこにギュッとつめ込まれた人生の縮図が鮮やかに浮かび上がる。
ときおり「てにをは」がおかしいところがあるとはいえ、研き抜かれた日本語の表現力は並大抵のものではない。

《東京の下町と山の手の境い目といったような、ひどく坂や崖《がけ》の多い街がある。
 表通りの繁華から折れ曲って来たものには、別天地の感じを与える。
 つまり表通りや新道路の繁華な刺戟《しげき》に疲れた人々が、時々、刺戟を外《は》ずして気分を転換する為めに紛《まぎ》れ込むようなちょっとした街筋――
 福ずしの店のあるところは、この町でも一ばん低まったところで、二階建の銅張りの店構えは、三四年前表だけを造作したもので、裏の方は崖に支えられている柱の足を根つぎして古い住宅のままを使っている。》(引用は「青空文庫」)

わたし自身がカメラをさげて町歩きしているから、この冒頭で地形がふわっと脳裏に浮かんでくる。文章の密度が濃いため、一字一句を見逃せないという緊張感がある。

「家霊」ではどじょうがカゲの主役となっているが、講談社学芸文庫には「食魔 岡本かの子食文学傑作選」がある。むろん美食や食通のための小説ではない。
「家霊」においても、老いて落ち目となった鏨師(たがねし)の哀切な人生模様が、読む者の胸を痛切に抉るが、そこにあるどじょうの描写は眼を瞠らせるものがある。
彼女は現代美術の巨匠岡本太郎の母でもあるが、元来は歌人であった。

桜ばないのち一ぱい咲くからに生命(いのち)をかけてわが眺めたり

「そうだろうな、そうなんだよ」とわたしも激しく同意したくなる。わたしのフォトグラファーとしての魂のようなものが・・・。
林芙美子、幸田文、円地文子たちが伐り拓いてきた近代(明治から昭和の高度成長期前)の女流文学は、わたしにとっては見過ごすことができない大いなる遺産である。しかし、そうおもってはいても、まだろくすっぽ読んではいない。これからの“お愉しみ”である。

それにしても「鮨」そして「家霊」、すばらしいの一語です。ご馳走様でした!(^^)!


評価:☆☆☆☆☆(5点満点)

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