二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

昨日・今日・明日

2013年02月16日 | エッセイ(国内)
「写真集を振り返る」というのをまた企画しようかとおもって、過去ログ・・・つまり昨年の記録を参照したら、こんな記事がならんでいた。
1月から3月まで、写真まっただ中、仕事以外では写真を撮ったり写真について考えたりと、そんなことばかりしていた(^^;)

1.2012年2月19日(第1回)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1823379752&owner_id=4279073

2.2012年2月22日(第2回)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1824237018&owner_id=4279073

3.2012年2月26日(第3回)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1825222659&owner_id=4279073

4.2012年3月11日(第4回)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1828984742&owner_id=4279073

一冊、一冊にはほんの短いコメントしかつけていないが、長く書くためには資料を探したり、写真集をじっくりと見直ししたりしないといけないので、いっぺんに数冊ずつ取り上げるなんて、たっぷりと時間があるときでないととても不可能。

いままであまりふれたことのないウォーカー・エバンスが数日まえから気になっているんだけれど、この写真家について語るにはかなりの準備が必要になる。アメリカン・フォトグラフの最高峰を極めた一人だし、あまりいい加減なアプローチは避けるべきだと、そんな配慮が働く。

昨日・今日・明日。
忙中閑ありというのが、日常生活のおもしろいところ。
そうすぐには気持ちは切り替わらないのも事実だが、俳句の本を読みながらモーツァルトを聴くことくらいは、朝飯前といっていい(笑)。こういうとき、わたしは自分が日本人であることを、よくも悪くも痛感する。

買った本を、しばらく寝かせて、1年、2年後にふっと手に取って読みはじめる。
3年以上ほったらかしてある本がいくらだってある。種田山頭火の「行乞記」なんかもそういった1冊だ。このあいだ高浜虚子の本を読んでいたら、「俳句は芭蕉の文学である」などと、ぬけぬけと書いてあったので、のけぞってしまった。「ぬけぬけと」と感じたのは、あまりにもべたな口吻だとおもったからである。ところが、そういった「芭蕉の文学」であったものを、破滅型で漂泊の生涯を送った山頭火が、少し変えた。自由律俳句が・・・と、やや拡大して考えても同じ。ここには雪月花、花鳥諷詠にとらわれない小さな天地が封じ込められてある。
5年間せっせとmixiで日記を、gooでブログを書いていたから、大抵のことはすでに書いてしまった。一歩まちがえると、気分が煮つまって、動きがとれなくなる。あるいは自己模倣の惰性の中に落ち込んでいく。
そんな“危機意識”が、このところ芽生えはじめている。はて、どうしたものか?

写真と文学と音楽。
どれもわたしにとっては「心のご飯」であるのだが(~o~)


※写真左:「俳句の世界」山本健吉(講談社文芸文庫)
写真右:「死をを前にして歩く」行乞記(二) 種田山頭火(春陽堂)
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