二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

カフカ・フィーバーがやってきた <その2>

2024年07月22日 | エッセイ(国内)

長くなってしまうので、2回に分けて掲載させていただく。

村上春樹さんに「海辺のカフカ」があり、この作の影響で、女の子がフランツ・カフカを読むという現象が、以前あったようだ。
わたしは村上春樹は、とくに好き嫌いはなく、ひとくにいえば“関心がない現代作家”である。谷崎潤一郎や三島由紀夫にも、関心がない。

池内紀の「となりのカフカ」(光文社新書)は、わたしの関心をあらためて目覚めさせ「うん、そうだった。そうだった」といまさらながらうろたえている。

《カフカの両親にとってカフカの小説は最後まで「困った道楽」を出なかった。カフカは生前に出版した本の一つに「わが父に」の献辞をつけたが、その父はついぞ献辞をよろこばなかったし、息子の小説を読んだこともなかっただろう。せいぜいのところ、仕事の気味なさを埋めあわせる「ひまつぶし」と考えていた。カフカの小説にもっとも冷淡だったのは、もっとも身近にいて、ハラハラしながら見守っていた人たちだった。
カフカの夕食は主としてヨーグルト。木の実、バナナやオレンジといった果物、それに麦芽バン少し。》(「となりのカフカ」36ページ)

「変身」を読んでいると、グレゴール・ザムザの立ち位置がわかってくる。日本人の作家でも、倉橋由美子さんをはじめ、多くの小説家が露骨に影響をうけている。高校時代、あるいは20代の前半は、わたし自身“カフカみたいな小説を書きたい”と思って、習作に類するものを、2、3篇書いたのを思い出す。

《カフカはユダヤ人だった。祖父と祖母はボヘミアの小さな村にいた。このタイプは「村落ユダヤ人」と呼ばれていた。父の代でプラハ市民になった。「都市ユダヤ人」である。母もまたユダヤ人だった。のちのナチス・ドイツが制定した「ユダヤ人分類表」に従えば、フランツ・カフカは「100%ユダヤ人」というのにあたる。
当時、プラハの人口は約四十万、その一割あまりがユダヤ人だった。》(「となりのカフカ」120ページ)

カフカがユダヤ人であったことは、カフカの文学の必須の眼目である。しかし、彼の作品は、このユダヤ人による、ユダヤ的なものにはほとんどふれられていない。表面を撫でただけではわからないが、作品の裏に、用心深く秘められていたのであろう。

本書は全部で12章から組み立てられてある。
第1章  サラリーマン・カフカ
第2章  カフカの一日
第3章  虫になった男
第4章  メカ好き人間
第5章  健康ランドの遍歴
第6章  手紙ストーカー
第7章  性の匂い
第8章  ユダヤ人カフカ
第9章  独身の選択
第10章  日記のつけ方
第11章  小説の不思議
第12章  カフカ・アルバム ―プラハ案内とともに

池内さんには「となりのカフカ」のほかに、手許にあるだけでも「カフカの彼方へ」「ちいさなカフカ」「カフカ事典」など、ずいぶんいろいろとカフカ本をお書きになっている( ´◡` )
最初に「となりのカフカ」を買ったとき、巻末に「カフカ・アルバム」があるのに興奮した。
そこにこういう一節がある。

《保険協会に古くから掃除にきていた女性が伝えている。
「カフカさんは、まるで二十日鼠のように、ひっそりとめだたず消えていかれました」
住居、勤め先、カフェ、散歩の道筋・・・一巡するとわかるが、おそろしく狭いのだ。せいぜい数キロの範囲であって、これがカフカの生きた世界だった。》(「となりのカフカ」203ページ)

さらに気になることといえば、カフカの手紙は残っているのに、カフカが女性にもらった手紙の方は残っていないこと。
決して一歩通行だったわけではないのだが。

「カフカにはフェリーツェ、ミレナ、ユーリエ、ドーラの4人の恋人の他にも様々な女性体験があった事が、残された日記、手紙等から分かっている。」(ウィキペディア)
亡くなったカフカを看取ったのは、ドーラ・デイマント であった。
ウィーン近郊の二つのサナトリウムで、 ドーラはカフカを2年にわたって献身的に看病したそうである。

ところで全集には別巻で手紙というのが付属している。
■フェリーツェ (カフカ全集第10巻 第11巻)
■ミレナ (カフカ全集第8巻)
この二人に、手紙魔のカフカは熱心に手紙を送った。その大部分が、今日残っているのは、ご存じの方が多いだろう。


   (労働者傷害保険協会プラハ局)


   (海辺のカフカ)


   (カフカ商会の商標。上はプラハ王国のとき、下はチェコ共和国になってのち)


   (婚約したころのカフカとフェリーツェ)


   (3人の妹。左よりヴァリ、エリ、オトラ。オトラが主として兄を支援した)


   (カレル橋より、王城を望む)


   (カフカの有名ないたずら書き)

この2人の女性たちは、カフカと結婚はしなかったものの、その死にいたるまで、カフカからの手紙を保存していたのだ。
わたしが読んだ範囲では、この事実を正面切って取り上げた批評家はいないようだが、一つの驚異とかんがえていいだろう。

こういう狭い範囲で生き、満40歳で亡くなったカフカは、いまや世界中で読まれている。
日本では、新潮文庫(頭木弘樹)、光文社文庫(丘澤静也)でカフカの短篇、断片を読める。角川文庫も昔からラインナップされていた。
いずれにせよ、池内紀さんがいなかったら、わたしのカフカは、ほぼ存在しなかった。
カフカ・アルバムをくり返し横目で見ながら、「となりのカフカ」を読み、そんなことをしきりとかんがえた。

すばらしい1冊を、残しいってくれたな、池内さん。
前後が逆になったけど、これら短篇集とともに、「カフカのかなたへ」(講談社学術文庫)も、この機会に読んでおこう(^ε^) 


   (頭木弘樹さんが蘇らせた「カフカ短篇集」と、編訳の「カフカ断片集」)

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