二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

山田登世子「メディア都市パリ」藤原書店(2018年刊)レビュー

2021年04月26日 | エッセイ(国内)
さきに結論をいってしまえば、本書は現代の名著と称する資格があるだろう。
読みながら、あちらでもこちらでも知的興奮の渦に吸い込まれた。
山田登世子さんといえば、鹿島茂さんと藤原書店のバルザック全集を編集した人として、お名前は存じあげていた。存じあげていたどころでなく、「バルザックがおもしろい」という対談をじつにたのしく拝読してもいる(^^♪

本書が最初にまとめられたのは、1991年青土社からであった。そのあと、1995年ちくま学芸文庫に収録。今回読むことになった藤原書店版が3回目の刊行ということになる。
モードやファッションについての著作が多く、そういったジャンルにうといわたしには、関心が持てなかった。
だけどいま振り返ってみると、「『フランスかぶれ』の誕生 『明星』の時代 1900-1927」(藤原書店)とか「ブランドの条件」(岩波新書)とか、ほかにおもしろそうな本をいくつかお書きになっている。

山田登世子で検索すると、フランス文学者、エッセイストと定義されている。
しかし、本書「メディア都市パリ」を読み終えた現在、この人は文芸批評家として十分通用することを確信した。
フランス仕込みの知識を切り張りし、フランス語を日本語に変換し、それでなんとなくお茶を濁して事足れりというレベルの物書きではなかった、と思う。

この「メディア都市パリ」が、短期間のうちに3回もリメイクされているのを見ても、相当高い評価を勝ちえているのは明らか! 惜しまれつつ、2016年に70歳で亡くなられた。
女性読者には忘れられないお名前だろう。
ここに山田登世子おすすめ55品というLinkがある。
https://booklog.jp/author/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E7%99%BB%E4%B8%96%E5%AD%90

というわけで、「メディア都市パリ」である。

《「新しいものは面白い」 ――瞬間(エフェメラ)の都市、19世紀パリの熾烈な言説市場の実相。
19世紀の流行通信『パリ便り』ほか、当時の資料を駆使して迫る、新聞王ジラルダン、文豪バルザック、デュマらの「ニュース」「小説」生産の生々しい現場。虚実を超えた情報の「新しさ」が席巻する都市とメディアを描いた名著が、SNS・フェイクニュース全盛の現代に蘇る!》(BOOKデータベースより)

ついでにもくじも引用させていただこう♪

1 トピックスの発明
2 メディアの市場
3 名の物語 ――「ロマン的魂」虎の巻 I
4 市場の中の芸術家 ――「ロマン的魂」虎の巻 II
5 文の興行師たち
6 「言説市場」繁盛記
7 都市の物語 物語の都市
8 モードあるいは〈真実〉の漸進的横滑り
9 モードの専制

ひとくちにいえば、本書はパリを発信源とする19世紀都市論である。またタイトルにもある通り、メディア論、マスコミ論、作家論でもある。
新聞王ジラルダンのみならず、その妻デルフィーヌを大きく取り上げたところが最大の肝である。デルフィーヌって何をした人? わたしも本書によって、はじめてその存在を知った。

ちょっとのけぞってしまうような強引な論法もある。しかし、「ほんとうの後書き」というあとがきを読むと、ご本人が十分承知のうえでやったことであることがわかる。なかなかのお転婆だとわたしは苦笑せざるをえなかった^ωヽ*
さきに書いたように、わたしはモードには関心がない男なので、もっぱらフランス文学の側から本書を眺め、そして大いに興奮させられた。
内在的な作家論ではない。社会的な条件という外部の“要因”を梃にして、ユゴーやデュマやバルザックを論じてゆく。
「それはちょっといいすぎだろう」という部分もあるが、その方法論が、全体としてじつに鮮やかに決まっている。だから現代の名著といってみたくなる。

一か所だけ引用してみよう。
《えてして作家の文体は、テクストの外を考慮することなく、あたかもその作家の才能や資質の問題としてのみ論じられることが多い。けれども、彼らの文のスタイルは、それが生産され消費される<場>のスタイルのなかにはめこまれている。<市場の中の芸術家>はあくまで市場にむけて自分の製品を仕立てあげなければならないのだ。かれらが紙のうえに書いてゆく文は、一行一行が市場むけの商品であり、意識するしないとにかかわらず、いわばメディアの書式設定を課せられている。ロマン派の作家たちはいずれもそろって<文の興行師>であることをよぎなくされていたのである。》(138ページ)

現在からみるとそれほど卓越した指摘とは思えないが、本書オリジナルは1991年の段階で刊行されている。書籍商、出版社の側から・・・つまり市場の側から作家を眺めるこういう視点はそれほど行き渡ってはいなかったはずだ。
山田さんは、モード、服飾の流行現象を基準に文学をとらえなおしている。
だから、


   (村田京子さんのホームページからお借りした画像です)

この女性デルフィーヌ・ド・ジラルダンを発見したことで、山田さんは本書を書くことができたのである。そしてその12年分の「パリ便り」の記事を、退屈をこらえてすべて読んだ・・・というのだから、その執念たるやすさまじいものがある(´Д`;)
バルザックの作品なら10回でもそれ以上でも読めるが、「こちらは1回だけでたくさん」ともいっている。

エフェメラ(ephemera:一瞬にして過ぎ去っていくもの)都市としてのパリ。
山田さんはほとんど言及していないが、わたし的にはこれはベンヤミンの「パサージュ論」とも重なる、都市論のキーワードである。“新しいもの”は正義なのである。それが巨大都市のダイナミズムと直結する。

田舎者っであり、古きものを愛するわたしからみると、その対極のようなところに存在する景物であり、文化である。
また本書には、参考資料としてじつにたくさんの挿絵(おそらく100点を超える)がある。
挿絵に凝縮する“リアル”をこころゆくまで愉しむことができるのだ。
さらりと書いたようだが、「ほんとうの後書き」を読むと、かなりの悪戦苦闘があったことがわかる。
本書は鹿島茂「馬車が買いたい」(白水社刊 サントリー学芸賞)とならぶ、輝かしき名著である・・・と評価しておこう。



評価:☆☆☆☆☆


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