■「ふしぎなキリスト教」橋爪大三郎 大沢真幸(講談社現代新書 2011年刊)
Amazonのレビューを参照しようとクリックしたら、何となんと、142件ものカスタマーレビューがあった。これだけあれば、わたしの出る幕はないだろうなあ(。・_・)
すでに何人かが、同じようなことをレビューしている。
15万部突破とオビに誇らしげに書いてあった。それからさらに売れているだろう、現在いったい何万部になったか!?
超初心者をターゲットにした現役社会学者のお気楽対談なので、寝転がってスラスラ読める。
難解な哲学的論議はまったくない。だから、これを読めばキリスト教が“わかった”気になる。
だけど、そんなに簡単ではありませんぞ。“わかった気”というのが、曲者なのだ。
ここから先に、理解の困難が待ち受けている。
《キリスト教がわからないと、現代日本社会もわからない――。
イエスは神なのか、人なのか。
GODと日本人の神様は何が違うか?
どうして現代世界はキリスト教由来の文明がスタンダードになっているのか?
知っているつもりがじつは謎だらけ……
日本を代表する二人の社会学者が徹底対論!》
出版社のキャッチをそのまま引用したが、たしかにまれに見るとっつきやすさ。
大沢さんが宗教社会学の先輩である橋爪さんにインタビューしているような対談、それに「エイヤッ!」と、大ざっぱに回答する。たいした基礎知識、読解力は必要としない。
《昔むかし、あるところに、七人の家族が暮らしていました。「戦後日本」と、表札が出ていました。
家族は両親と、五人の兄弟。「日本国憲法」「民主主義」「市場経済」「科学技術」「文化芸術」という名の、いい子たちでした。
でもある日、五人とも、養子だったことがわかります。「キリスト教」という、よその家から貰われてきたのです。
そうか、どうりで。ときどき、自分でもおかしいなと思うことがあったんだ。そこできょうだいは相談して、「キリスト教家」を訪問することにしました。本当の親に会って、自分たちがどうやって生まれたか、育てられたか、教えてもらおう。忘れてしまった自分たちのルーツがわかったら、もっとしっかりできるような気がする・・・。》
本書のあとがきで、橋爪さんはそう書いている。うまい! 座布団一枚、といてみたくなる絶妙な例え話だと思う。
ところが、この一冊だけでキリスト教が理解できたと思ったら大間違い(^^ゞ
おもしろいことはおもしろいが、はっきりいえば、「読まないより、読んだ方がいい」というレベルである。キリスト教を真に理解するには10年でも足りない・・・とわたしはかんがえている。「わかった」部分と、かえって「謎が深まった」部分があるからだ(^^ゞ
評価:☆☆☆
■「女は何を欲望するのか?」内田樹(角川新書 2008年刊)
「フェミニズムは私の『宿敵』である」
単行本(2002年径書房刊)のあとがき冒頭に、内田樹さんは、そうはっきりと書いておられる。
そうなのだ、フェミニズムの論客は「いわなくてもいいこと」をことあるごとにあげつらって、多くの男たちを敵に回した。そんなこと、目くじら立てていうことで、世の中の仕組みが変わるものか?
何しろあらゆる民族、あらゆる国家、いやあらゆる文明を貫いて、二千年、三千年に渡る仕組みなのだから。
長大な堤防に穴を開けるくらいならできるだろうが・・・。安倍政権がいう「一億総活躍社会」を実現するという美名を、やすやすと信じてはいけない。男女をふくめた人間の、サバイバル大競争時代が幕を開けるということだ。
わずか1%の勝者と、99%の敗者を生み出すために、例外なしのサバイバル戦(ノ_・)。
女たちは、男になりたいのだろうか? ひどい差別ばかりをこうむって「女に生まれ、いいことはなにもなかった」といいたげなフェミニズムの“闘士”たちの言動を、わたしも眉をひそめて聞いていた一人なのだ。
「女であること」を羨ましがる男はたくさんいる。「おかまさん」といわれる男の大部分は、「もうやっていられねえ」とばかり、“男であること”から逃げ出した男たち。
内田さんは、本書において、真剣勝負を挑んでいるように見える。よほど腹に据えかねる経験なり、反感なりがあったのだろう。第一部「フェミニズム言語論」を読んだだけだが、まるでねじり鉢巻きし、腰を低く構えて、フェミニストたちに論争を挑んでいる・・・そういう書である、とわたしには思われた。
まわりくどい、込み入った論理をものともせず、ほとんど哲学の領域にまで踏み込んで、フェミニズム言語論の不備を執念深く追窮している。いや~、少しびっくり。
恨みつらみが、そーとーたまっているのかな(☍﹏⁰)。
論争を挑むなら別だが、そんなにムキにならなくてもいいのにねぇ。賢い女はすべて呑み込んで、艶然と笑っている。
女は女ばかりでなく、男も生むのだ。世の中の男のほとんどは、総理大臣であろうが、財界の大立者であろうが、著名なアーチストであろうが、おふくろ、すなわち女に頭が上がらない(^^ゞ
ところで、映画は観ない人間なので、第二部は読んでいない。
評価するなら、読んでからすべきだろうが、目安をつけるため、星マークを付けたしておく。
評価:☆☆☆
Amazonのレビューを参照しようとクリックしたら、何となんと、142件ものカスタマーレビューがあった。これだけあれば、わたしの出る幕はないだろうなあ(。・_・)
すでに何人かが、同じようなことをレビューしている。
15万部突破とオビに誇らしげに書いてあった。それからさらに売れているだろう、現在いったい何万部になったか!?
超初心者をターゲットにした現役社会学者のお気楽対談なので、寝転がってスラスラ読める。
難解な哲学的論議はまったくない。だから、これを読めばキリスト教が“わかった”気になる。
だけど、そんなに簡単ではありませんぞ。“わかった気”というのが、曲者なのだ。
ここから先に、理解の困難が待ち受けている。
《キリスト教がわからないと、現代日本社会もわからない――。
イエスは神なのか、人なのか。
GODと日本人の神様は何が違うか?
どうして現代世界はキリスト教由来の文明がスタンダードになっているのか?
知っているつもりがじつは謎だらけ……
日本を代表する二人の社会学者が徹底対論!》
出版社のキャッチをそのまま引用したが、たしかにまれに見るとっつきやすさ。
大沢さんが宗教社会学の先輩である橋爪さんにインタビューしているような対談、それに「エイヤッ!」と、大ざっぱに回答する。たいした基礎知識、読解力は必要としない。
《昔むかし、あるところに、七人の家族が暮らしていました。「戦後日本」と、表札が出ていました。
家族は両親と、五人の兄弟。「日本国憲法」「民主主義」「市場経済」「科学技術」「文化芸術」という名の、いい子たちでした。
でもある日、五人とも、養子だったことがわかります。「キリスト教」という、よその家から貰われてきたのです。
そうか、どうりで。ときどき、自分でもおかしいなと思うことがあったんだ。そこできょうだいは相談して、「キリスト教家」を訪問することにしました。本当の親に会って、自分たちがどうやって生まれたか、育てられたか、教えてもらおう。忘れてしまった自分たちのルーツがわかったら、もっとしっかりできるような気がする・・・。》
本書のあとがきで、橋爪さんはそう書いている。うまい! 座布団一枚、といてみたくなる絶妙な例え話だと思う。
ところが、この一冊だけでキリスト教が理解できたと思ったら大間違い(^^ゞ
おもしろいことはおもしろいが、はっきりいえば、「読まないより、読んだ方がいい」というレベルである。キリスト教を真に理解するには10年でも足りない・・・とわたしはかんがえている。「わかった」部分と、かえって「謎が深まった」部分があるからだ(^^ゞ
評価:☆☆☆
■「女は何を欲望するのか?」内田樹(角川新書 2008年刊)
「フェミニズムは私の『宿敵』である」
単行本(2002年径書房刊)のあとがき冒頭に、内田樹さんは、そうはっきりと書いておられる。
そうなのだ、フェミニズムの論客は「いわなくてもいいこと」をことあるごとにあげつらって、多くの男たちを敵に回した。そんなこと、目くじら立てていうことで、世の中の仕組みが変わるものか?
何しろあらゆる民族、あらゆる国家、いやあらゆる文明を貫いて、二千年、三千年に渡る仕組みなのだから。
長大な堤防に穴を開けるくらいならできるだろうが・・・。安倍政権がいう「一億総活躍社会」を実現するという美名を、やすやすと信じてはいけない。男女をふくめた人間の、サバイバル大競争時代が幕を開けるということだ。
わずか1%の勝者と、99%の敗者を生み出すために、例外なしのサバイバル戦(ノ_・)。
女たちは、男になりたいのだろうか? ひどい差別ばかりをこうむって「女に生まれ、いいことはなにもなかった」といいたげなフェミニズムの“闘士”たちの言動を、わたしも眉をひそめて聞いていた一人なのだ。
「女であること」を羨ましがる男はたくさんいる。「おかまさん」といわれる男の大部分は、「もうやっていられねえ」とばかり、“男であること”から逃げ出した男たち。
内田さんは、本書において、真剣勝負を挑んでいるように見える。よほど腹に据えかねる経験なり、反感なりがあったのだろう。第一部「フェミニズム言語論」を読んだだけだが、まるでねじり鉢巻きし、腰を低く構えて、フェミニストたちに論争を挑んでいる・・・そういう書である、とわたしには思われた。
まわりくどい、込み入った論理をものともせず、ほとんど哲学の領域にまで踏み込んで、フェミニズム言語論の不備を執念深く追窮している。いや~、少しびっくり。
恨みつらみが、そーとーたまっているのかな(☍﹏⁰)。
論争を挑むなら別だが、そんなにムキにならなくてもいいのにねぇ。賢い女はすべて呑み込んで、艶然と笑っている。
女は女ばかりでなく、男も生むのだ。世の中の男のほとんどは、総理大臣であろうが、財界の大立者であろうが、著名なアーチストであろうが、おふくろ、すなわち女に頭が上がらない(^^ゞ
ところで、映画は観ない人間なので、第二部は読んでいない。
評価するなら、読んでからすべきだろうが、目安をつけるため、星マークを付けたしておく。
評価:☆☆☆