虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

子育てで気をつけていたもうひとつのこと 1

2009-09-27 22:16:15 | 教育論 読者の方からのQ&A
前回の続きです♪

私の母は、
私が何を言っても、何をしても、
良いように解釈して、ひたすらかわいがってくれました。
ですから、私には母から叱られたリ、注意を受けたという記憶が
皆無といっていいほどありません。

そんな風に猫かわいがりに愛してくれる母に対して、
私はいつも複雑な気持ちを抱いていました。

というのも、私のふたつ年下の妹は、
それはそれは極端なほどに、朝から晩まで叱られ通し~と言っていいほど、
毎日毎日、母とぶつかり合っていたのです。
それは妹がまだ赤ちゃんで、昼夜を問わず一日中わめくように泣き続けていたころからはじまって、2~3歳の反抗期も、幼稚園児、小学生、中学生となっても、
どの時期として落ち着いた良い関係というのはなくて、
いつも母と揉めていたからです。

ですから、私は母から特別にひいきにされる度に、胸が苦しくて、
うれしさと同じくらいさみしく悲しい気持ちを感じていたのです。

母にすれば、内気で、けっして反抗しない私の態度に、
自分が良い母であるという証明や癒しを求めていたのかもしれません。

私をひたすらかわいがることで、
理想どおりいかない妹の子育てを頭から抹消して
理想の子育てを自分はしているのだと思い込みたいようなふしがありました。

母は、おとなしくてまじめで気が優しい性格で、良い子良い子した子どもが
そのまんま正直で純真な心のままで大人になったような人でした。

そんな母が父のような荒っぽいギャンブル漬けの人と結婚したのですから、
それまでの成長の中でどれほどバランス悪く
『良い人』としてしか生きてこなかったのか
わかります。
母は自分の中に『悪い人』をほんの少し受け入れることさえ
拒絶して、
自分の人生のバランスを取るように『悪い人』を自分の代わりにすべて引き受けて生きてくれる父と結婚しました。

そうして生まれた長女の私には、自分の『良い人』のイメージをかぶせ、
父似の妹には、自分の中の『悪いもの』をすべて押し付けて見ていました。

そんな子ども時代の暮らしの中で、
私はいつも変わらぬ愛情を降り注いでくれた母に対し、
どこか屈折した思いを抱いていて、
母の死に際に私が間に合わず、
妹が心を振り絞るように泣きながら最後を看取った事実に、なぜか、ほっとする気持ちを抱いたのです。

私が母に屈折した思いを抱いていたというのは、
母はとにかく優しい人ではあるけれど、周囲に可愛がられて育った
未熟で弱さも残った性格で、

普段はとても優しくて、
食事のことでも、服のことでも、習い事や友だちのことでも
それは気を配ってくれるというのに、

肝心かなめの、子どもが大きな問題にぶつかったようなときには、
自分が一番パニックを起していて全然頼りにならなかったことでした。

中学に上った妹が
たびたび問題を起したときには、
教師や相手側の言うことを鵜呑みにして、簡単に妹の気持ちを踏みにじったり、裏切ったりする一面もありました。

それで、私は自分が子どもを育てるときには、

大きな問題が起こったときこそ、

しっかりと親になろう!

誓いました。

いつ自殺するかもしれない母をなだめたり
はげましたり、母に向かって妹の良い面を話して聞かせたりしながら過した
思春期に強く強く覚悟した言葉でした。

そうして、親になった私は、
普段はかなり手抜きだけれど、
肝心の子育ての急所には、自分の精神力の全てを振り絞って、
覚悟して挑むようにしています。

受験なんかでも、子どもがうまくいかなかったときに、
親まで泣いていたのでは、子どもは苦しみから立ち直るだけでなく、
親の不安まで背負い込まなくちゃなりませんから……
そうした時ほど
けろっとしています。
だからいつもは適当な親なんですが、
こうした本当に子どもがSOSのときは、子どもたちがしっかり頼りにしてくれるので、うれしく感じています。

これが、私が子育てで二つ目に気をつけてきたことです。
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目には見えない力関係とエネルギーの流れ 2

2009-09-27 12:48:21 | 100均グッズで学ぶ
目に見えない力関係とかエネルギーとか無意識とか言うと、
何だかもやもやと捉えにくい感じがするでしょうね。

テレビやインターネットや宣伝広告があたり前となった現代は、
こうした
目には見えない力やエネルギーが乱用されている時代です。

人工的でクリーンで無害そうに見える場所にも、
操る側の意図があって、
無意識レベルで操られる側のひとりへと仕立てあげられてしまう
仕組みがいっぱいです。

無意識というのは意識されないから無意識です。
テレビで自分よりずっと立派に見えるタレントたちが、
口をそろえて、出された食べ物に「おいしい~!」と笑みを浮かべるのを見続ければ、自分の味覚と関係なく、
みんながおいしい~と言うときには、「おいしい~」と言うべきなんだな~
と知らないうちに学習してしまいます。

食品会社の思惑で、食品添加物いっぱいの新製品を「おいしい~おいしい~」と食べさせられてしまうくらいはかわいいもので、
しまいには政治や戦争への参加、不参加を決めるような
大きな決断をくだす際も、
自分がお留守のまま反射的にみんなに合わせる人が増えていくのかもしれません。

話がずいぶんそれてしまったのですが、
子育ての話にもどりますね。

大人の場合、自分が感じていることを無視して、
操る側や力を乱用している側に同調する悪い癖がつく程度ですむものの、

子どもの場合、操る側や力を乱用している側が期待していることが、
自分が楽しいことなんだ、うれしいことなんだ、欲していることなんだ~と
間違っちゃうこともよくあります。

そうして子ども時代から自分がスカスカのまま、周囲の思いを
自分の思いと勘違いして育ってしまった子の
犯罪や自殺や心の病があとを絶ちません。

だから私は、わが子が何ができるようになったか とか、
何ができないか とか、
先生からどう評価されているか とか、
何を食べ、何を着て、どんな家に住んで、どんな学校に通うのか、
なんてことは、ほとんど気にかけませんが、

自分の心には細心の注意を払っています。

エゴに絡め取られて、間違った判断を下さないように、
時々周囲のノイズから離れて、

なるべくクリーンな
状態を保つように気をつけています。
それはけっしていつも良い人、良い親でいることではないです。

良い人、良い親であろうという思いだって
惰性で仮面のように貼り付けていれば、

叱るときに叱れないし、ルーズなくらいでいいときにやりすぎてしまいますから……。

ある程度ダメな親でも、
子どもの人格や魂に対して、
純粋で正直な気持ちで向き合えたなら、
子どもはとても幸せなんだと思うのです。

私も子どもの頃、最も幸せに感じたのは、母が自分の好きな針仕事に
夢中になって、母自身の夢を生きているのを
感じるときでした。そうしたときは、
私は私で、自分にとって
大事な何かを探しに行きたい気持ちに駆られるのです。

しかし、母が果たせなかった自分の夢を私の上にかぶせて
あれこれ期待するときには、
心が萎縮し、
この世は何て退屈でつまらないところだろう!
と感じていました。

そんなわけで、私が子育てで、気をつけてきたことのひとつは、

自分の心に注意する、です。
子どものことで問題にぶつかった時には、
必ず、子ども時代の自分(インナーチャイルド)の気持ちに
おうかがいを立てています。
どんな親であってほしかったのか、子ども時代の私は今の私に訴えます。
すべてを呑むわけにはいかないけれど、正直に対応するわ~……と、現代の私はインナーチャイルドと会話しています。

あとの2つは、また次に書きますね。


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前回の続き  目には見えない力関係とエネルギーの流れ 

2009-09-26 16:14:00 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)
前回の続きで、私のかなり手抜きでおっちょこちょいな子育ての中で、
大事にしていた3つの点を説明する前に、
かなり遠回りな前置きをさせていただきます。

私はずいぶん幼いころから、表面的な出来事や人の言動の背後にある
目には見えない力関係やエネルギーの流れを
敏感に意識していました。
無意識の世界のやりとりのようなものです。

それは、父と自分との間にある奇妙な力関係から気づいたことでもあるし、
妹と母との間で、
日夜繰り返されるドラマを
外から眺めるうちに感じたことでもあります。

また団地暮らしという環境ゆえに敏感になったものでもあります。

私の父は、これまでもブログで何度か書いていますが、子煩悩だけれど、
粗暴でわがままで、母からすれば今でいうDV夫。

ギャンブル中毒で、周囲のだれからも恐れられていました。

スポーツや肉体労働で鍛えあげた巨体で、女子どもに暴力を振るうんですから、
一睨みされたら最後、誰も父に反抗できる人はいませんでした。

一方、私は喘息や鼻炎や起立性の低血圧やら貧血やらで、身体が弱く、
(そんな私も当時は毎日外遊びをしていましたが)内向的で引っ込み思案な性格で、とにかくひ弱な印象の子どもでした。

それにもかかわらず、私は父をちょっと小ばかにしていて、
「お父さんは私のことを怖れてる。私が怖いんだ」と感じていました。

DVの人というのは、暴力を振るっていないときは、ベタベタと優しくする~って話をよく聞きますよね。
私の父も同じく、激怒していないときは、何か買ってくれようとしたり、
お小遣いをあげようと言ったり、子煩悩そのものの姿を見せたりしていました。

妹やいとこは、父に当時はまだめずらしいドーナツ屋さんやレストランに連れて行ってもらったり、おもちゃを買ってもらったり、
お小遣いをもらったりすると、
もう目の色が変わって、父の思うままになっていました。
父がお店の近くまで子どもたちを連れて行きながら、急に気が変わったからと帰りはじめたりすると、半泣きになってすがって、父の機嫌を取っていました。

私は父がそうやって人の心をコントロールしようとするやり口を
軽蔑していましたし、
もともと、外食にもおもちゃにもお金にも
興味がなかったので、
そうしたドラマの中ではいつも部外者でした。

すると、父は今度は私に嫌がらせを言ったり、にらみつけたり、げんこつでこづいたりするのですが、
それに対してもお腹の中で、そうした父の幼稚さをちょっと小ばかにしているもんですから、怖がりもしませんでした。

そんな私を父がどこかで恐れている、怖がっているというのは、
妹や母には遠慮のない父が、
私の前では途方にくれた小さな子どものようにも、老いた老人のようにも見える
弱々しい一面を時々見せていたからです。

私は、相手が自分の前に釣らすエサに無関心だというだけで、それがかなり大きな力になりうることを感じ取りました。
また、表面的に言葉でかわされたり、目で見える出来事の後ろには、
いろんな力がうごめいていて、さまざまな見えない力関係が成り立っているのだと思いました。
↓のような子どもの頃の出来事も、ドラマの背後のエネルギーの流れを私に気づかせたものです。

☆だ~れが 殺したクックロ~ビン?? 1

☆だ~れが 殺したクックロ~ビン?? 2

虹色教室にやんちゃですぐ口答えする子が来た場合も、
私はすぐさまその子たちが私を巻き込みたいと思っている『力のゲーム』を
行えない状態にするので、
わがままが癖になっている子ほど、素直に私の言葉に従いがちです。

(「ぼく誰々君いじめてやったんだ!」とか「~しんじゃえ」「つまんない」とか言う子に、
ショックを受けたり、言葉でわからせようとしたり、悪い子と決め付ける態度を取ったりすると、たちまち、その子の力争いのゲームに巻き込まれて、
過去にその子が周囲の人と演じてきた悪い関係やドラマを繰り返してしまいます。
そうした言葉は跳ね返さずにきちんと受け取って、こちらから伝えたいことをはっきり言うと、子どもはたいてい素直に従います)


それがその子お母さんとの間だと、お母さんが注意し、困惑するほど、子どもは
言うことを聞かなくて、好き放題するという繰り返しが続いていることが多いのです。

私の母と妹の関係もそうでした。
表面的なやり取りは、
妹からのおもちゃを買って欲しいとか、もっとテレビが見たいとか、
母からのそんな贅沢許しませんとか、テレビは一日~時間まで、とか
の言い合いなんですが、
お互いの言葉が相手の気持ちを鎮める方向に働かず、

妹の方は、むしろいっそう気持ちが高ぶって、テレビが見れないんだったら、
すべて終わりだ~もう何もかもめちゃくちゃにしてやる~
くらいの勢いになっていくし、

母は母で、どうしてこんな子産んだんだろう~こんな子いらない~思いきりおしりをたたいて思い知らせてあげなくては……
くらいの追い詰められた気分になっていくんです。

そこまで激しくやりあっているものが、『魔法使いサリーちゃん』ならまだしも、
『デビルマン』ですから……私は母と妹の気が知れませんでした。
いや、そこは、テレビ番組じゃなくて、レストランでもなくて、

目には見えないけれど、お互いが相手を自分のものにしたいと
いうような力のぶつかり合い、
エネルギーのやりとりが背後にはある

子どもの頃はそれを言葉にできたわけではないけれど、
雰囲気で感じていました。

長くなったので続きは次回に書きますね。

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美術館に行ってきました♪とコメントのお返事

2009-09-26 08:09:54 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)
昨日は午後から娘と一緒に、大阪市立美術館に行ってきました。
娘に誘ってもらって行ったとはいえ、
テーマが『道教の美術』タオ!老子からはじまる終わりなき旅…

でしたから、もうすぐ20歳~の娘が楽しめるのか???の部分もあったのです。
でも本当にすばらしい展示品の数々で、
娘も心底感動した様子で、「☆(息子)も来たがっていたから連れてくればよかった~」ともらしていました。

文字だけの展示品も多かったのですが、その一文字一文字に
命がこもっていて、とにかく迫力が!!

幼い頃から本物志向で、質の良いものを見分ける勘がピカイチの娘。
(4歳のころ、デパートなどの床タイルのデザインのパターンの違いを指摘して、そればかり見て回りたがったような子です)

普段、ブランド物を上手に着こなしたり、
インテリアグッズやかばんを手に入れたりするのに利用しているのと
同じ感性で、
道教の美術作品の色彩や質感や書の美しさに感動しきっている娘をみて、
個性って面白いな~とまたもや感じました。

私も夫も息子も、社会情勢や政治や裁判に無頓着なのに、
娘は、世界の状況、政治、裁判に常に強い関心を寄せていて、
その面の勉強にいつも熱心です。
私なら過去の裁判事例の判決なんて「そう~」と聞き流してしまうのですが、
娘は微妙な判決の差にも敏感で、
いろいろ解説してくれます。

話は変わって前回の記事にもんままさんが、次のようなコメントをくださいました。

私自身の話で恐縮ですが、私は親の期待をほとんど感じずに育ちました。でも、期待ではなくて見守ってくれている感じはずっと持っていました。それは大人になった今も変わりません。
そんな両親のお陰で夢を実現できたのですが、我が子にもそんなスタンスで関わってあげたいと思っています。私の場合、どうも放任気味になって反省する方なのですが・・。子供への期待も全くないのも感じさせすぎるのもどうかと思いますが、先生はどのようなスタンスでお子様と関わられておりますか?先生の子育ては、私の理想です♪
これからもブログ、楽しみにしております。


私の子育ては手抜きとおっちょこちょいの連続で
とても理想としていただくようなものではないのですよ……

ただ、とても気をつけてきたことが 3つ あります。
この3つさえ気をつけていたら、あとはかなり足りなくても、子どもは自分でしっかりと育っていくんだな~と実感しています。


そのうちの2つは、私が子どものころ、
自分の親をシビア~に観察しながら、感謝していたことと、
軽蔑していたことのそれぞれ……
こういう親になりたい!こういう親になりたくない!と心に誓っていたことから生じています。

3つ目は、スピリチュアルなものです。

その3つに関しては、次回に書かせていただきますね。
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どうして現代の子育てにはこんなにも不安が生じるのでしょう? 2

2009-09-25 12:52:04 | 教育論 読者の方からのQ&A



それならば『お子ちゃまロボット』である現代の子どもが、
一番望んでいる『親からもらいたいまなざし』というのは
どういうものなのでしょう?


『ピノキオ』を『人間の子ども』に変えた魔法のように

『お子ちゃまロボット』を、『自分の喜びや願望や意志や意欲を持った

普通の人間の子ども』に変える魔法ってあるのでしょうか?

子どもが望んでるのはコレじゃない? って、
私が思うのは、

「たとえ、世界中の人があなたにダメ出しをしたって、
お母さんの目に映っているのは、この世にたった一人しかいない
誰と交換することもできない 比べることなんてできない
すばらしいあなたよ。
だれかがあなたに嫌なことを言ったって、
お母さんにはあなたの欠点も足りない部分も愛しく感じているわ。」

というまなざしです。

子育ての不安をなくすには、親ばかになるのが一番なのでしょうが、

今やこの自称親ばかの方々も、子どもの将来を案じて不安でいっぱいです。

親ばかって、子どもを自分の自慢材料にすることでも、
着飾ることでも、贅沢させることでもないはず……。

真の親ばかは、
現代、子どもたちに注がれ続ける
検品作業でもするようなたくさんの大人の視線を跳ね返して、

親はその子どもの唯一無二のたったひとりずつの男親、女親として、

『子どもがあるがままに存在するだけで
どれほどうれしく幸福を感じているか』
『親の目の中には子どもがどれほど完璧ですばらしいものとして映っているか』をわが子に伝えられる方々の
ことだと思うのですよ。

そうして、欠点をなおしたり、足りない部分を補ったりする仕事は、
子ども自身が、
自分でさまざまな経験をする中で欠如感を味わって、
直していく決意をし、努力していくのに
任せられる方々なのだと思います。

そんな風に親が真の親ばかになれたなら、

いつの時代になっても、
子育ては気楽で楽しく、
最後には親にも子にも成功が約束されているものになるのでしょう。





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どうして現代の子育てにはこんなにも不安が生じるのでしょう? 1

2009-09-25 07:47:07 | 教育論 読者の方からのQ&A
昔の親たちは、
現代のように教育から幼稚園選びから子どもの服選びにいたるまで、
熱心だったわけでも、上手だったわけでもありませんが、
あんまり不安も抱かずにそこそこに子育てしていました。

やんちゃでやんちゃで、虫やかえるを次々殺したり、
勉強もせずにけんかばっかりしているような子も
男の子はどの子もそんなもの~と見過ごしていれば、
立派な大人になって、ちゃんと働いているもの……
その程度の子育てスタイル、子育て観で十分、世間に通用していましたし、成功もものにできました。

何で昔の人はそんなにも大らかに子育てできたのでしょう。

その理由のひとつは、子どもを何のイメージに重ねていたか?にあるように思えます。
農業や牧畜が主な仕事だった時代は、
『生命あるもの』『変化するもの』の育ち方に、子どもを重ねて見れたのだと思います。

小さな竹のこが、ある時期が来れば人間の背丈を越えて、大きく成長することを知っていれば、
毎日竹の子が何cm何mmか?と測っては、
根腐れするほど肥料や水をかけるのがどれほどバカバカしいか検討がつきます。

いくら良いとこ取りでいろいろ取り入れたらいいといったって、
パン種を膨らます前にちょっとでも焼き釜に放り込んでしまえば、問題があることくらいわかります。

物にはタイミングや時期があること、たとえ良いこと良いものでも、
そうしたタイミングが狂うと、とんでもない問題につながること。
自然の動植物に近い子どもは、あるがまま、その自然な成長を信じることが
一番なのだ。

と昔の人は体験的に知っていたのでしょう?

なら今の子育ては、何の上に子どもの姿を重ねているのでしょう?

私には、買い物で手に入る『商品』に子どもがイメージされているように感じてなりません。
完全装備でいろんなアイテムつきで売られている『お子ちゃまロボット』です。

親同士、公園や習いごとの場や幼稚園や学校で、自分のおもちゃを披露し合い、

新たに自分が付け加えたワザやら、
おしゃれアイテムや
バイリンガルやら素早い計算といった付加価値を

見せ合いたい、自慢しあいたい、
自分たちの目の前で動かしてみて
動作確認がしたい、新しくアイテムを加えて満足したい

そんな思いが渦巻いているように見えるのです。

ですから、親たちのまなざしの中で、
子どもはそれぞれの個性を持っていて、自分のペースで、
何が自分に必要か、何を自分の願いとしようか……と
たくさんたくさんの失敗と
挫折感、思うようにならない現実の中で自分でそれらを発見し
たくましく成長していく『生命あるもの』のひとつではありません。

たとえ相手が赤ちゃんでも、園児でも、
今、目の前で、完全に自分が思い描く子どもの姿通りの動作確認ができないんだったら、
不良品だわ、返品したいわ、絶望的だわ、
とんでもないものを買っちゃった……

という気分に落ち込んでしまいます。

どの子も天才に変えます!なんて謳っている工場があるのなら、
心なんて、ばらばらになってもいいから、放り込んで何とかしてもらいたい!
と必死に考えてしまいます。
だって『お子ちゃまロボット』は、みんなからすごい!すばらしい!と
賞賛されるためにあるのですから、
心なんて必要ないのです。
行為あるのみ、動けばOKです。

話が長くなったので、続きは次回に書きますね。


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親の心の持ち方 褒め方 と 子どもの能力

2009-09-24 15:29:40 | 教育論 読者の方からのQ&A
科学クラブに参加していただいた方から、
レッスン後、積極的にさまざまなことに取り組みだした子どもの姿に驚き、

子供は親の心の持ち方次第で変わるものですね。
先生に科学や数学的な事が好きですね、と言っていただいて私が「そうなのか~」と
納得したとたんブロックが得意になったような気がします。
不思議です。

といった感想をいただきました。

たった一日のブロック教室、科学クラブですが、
参加したあとから、子どもの姿が変わりました~
急にそれまでと異なる機械などの仕組みを盛り込んだ
ブロック作品を作るようになりました。

といううれしい報告をいただくことがよくあります。

それには、『親御さんの子どもへの見方が変わった』ということが、
一番の理由にあるようです。
それなら子どもをもっと褒めて育てればいいのね~
と思う方がいるかもしれないし、

褒められることで子どもがやる気になる効果をねらって、
私がやたらと子どもを過大評価していると感じる方がいるかもしれません。

でも、子どもって、本当は真実でないことを褒められても
すぐにわかるし、(いつも自分とつきあっているわけですから)
本来の自分とちがう評価で褒められ続けたら、苦しくなってくるものです。

ですから、私は、子どもと過すとき、

その子の中にすでにあって
まだ親御さんもその子自身も気づいていないような
すばらしい部分があるときは、はっきり言葉にあらわして褒めるし、

ただ子どもを持ち上げたり気分を良くさせる目的では、
安易に褒めたりしません。

でもそうしていると、子どもの意外な一面が内面から現われてきて、
驚くことがあります。

これまで2度、このブログに登場していただいたエド君のレッスンのときに、
こんなことがありました。
エド君は、この夏と秋にブロック教室と科学クラブに参加してくれた
年長さんの男の子です。

1回目のブロック教室のとき、大阪弁でしゃべりまくるハイテンションな
態度で、ずっと周囲を笑わせたり、大騒ぎしてずっこけたりしながら
遊んでいました。

が、2回目の科学クラブのとき、集中して上に飛ばさなければならないおもちゃを、他の子たちはうまく飛ばせなかったのですが、エド君だけは気持ちを引き締めて取り組み、高く飛ばすことができました。
そのとき、「エド君は大事なときに、きちんと集中することができるね。」と言うと、その後のエド君の態度の中には、飛ばすおもちゃに集中したときの冷静な注意力が加わってきました。

そして、「~したらどう?」というエド君の発想が、
実際、私も思いつかなかったレベルの高いものだったため、
私もそのアイデアを褒め
他の子たちもそれを認めて、その発想に従いだしたとき、
おふざけ好きのエド君は影をひそめ、一生懸命、科学クラブの活動に
集中し始めました。

快活でおふざけ好きのエド君の性質も、お友だちと親しめて良いものですが、
エド君の中には、自分でも気づいていないような別の一面も
あるんだろうな~と感じました。
そうしたときは、りりしい表情をしているのです。

『子どもを褒める』という上から下に向かうものではなく、
『子どもを具体的に認める』『子どもの本質を言葉にする』それが、
子どもに変化をもたらすのかもしれない

と感じました。

写真は、ブロック教室のアイデアで出た、
車用エレベーター。2階の駐車スペースにつながっています。
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もう少し一休み♪ わたしの作った童話をよかったら読んでくださいね。

2009-09-24 08:33:17 | 100均グッズで学ぶ
連休、仕事が忙しかったので、今日は休日気分を味わっています。

それで、今日の記事のかわりに
私の書いた童話を載せさせてもらいますね
この童話 私がはじめて書いた童話です。(ずいぶん昔に書いたものなので、読者が楽しめるように書く技術はなくて、自分の中から湧いてくる言葉を素のままに写し取ったような文章ですが、よかったら読んでくださいね。)

実は 三樹なおみ というペンネームはこの童話からもらいました。
ちなみに 私の通っていた幼稚園は「ナオミ幼稚園」でした。
ピアノを習いたての頃 弾いていた曲が「ナオミの夢」!!
なおみ という名前に 特別な親しみを覚えて 
童話に ペンネームにと使いまわしています
イラストはこの童話を絵本にするために描いたものです。


おひま組のなおみちゃん


なおみちゃんは おひま組の一番うしろの席で
おかっぱ頭をちょっとかしげて
「はて 頭の中には どのくらいいっぱい入るのかしら?」
と考えていました。
なおみちゃんの頭の中には もうすでに
お誕生日のケーキをはじめ 色鉛筆のセット 赤いポスト 雪だるま
お花畑とサーカスの動物たち ゆかいなピエロが一ダース
つまっていました。
さらに プールと 大きなくじら 山が三つ
サンドイッチと果物が入ったバスケット 
象の親子とハムスターの赤ちゃんが加わりましたが
まだまだ入りそうです。

担任の丸めがね先生は 度の強いメガネをかけていましたが
なおみちゃんの頭の中まではのぞけません。
そこでおひま組みの生徒のなおみちゃんが頭をしぼっているのなら
きっと黒板の問題だろうと
思いました。
‥‥‥きっと りんごが二つと三つを合わせていくつかなぁ?
って悩んでいるんだわ。

いかにも 丸メガネ先生の思ったとおり
なおみちゃんだって 白いチョークの色をしたりんごのことなら
考えていましたとも!
ただ あんまりあれこれ思いついたものですから 
ちょうど散らかし放題の部屋で なくし物をするように
算数の問題を一問 頭の中のどこかへやってしまっただけのことです。

一年おひま組の教室は いいにおいの春の光でいっぱいでした。
姿勢はしゃっきり 手はおひざの
行儀の良い一年生たちの口元には
シャボン玉のようなかわいらしいあくびが 浮かんでいました。
半分開いた窓からは 青い青い空が 自由に向かって
どこまでも手を広げていました。

思わず軽いふし回しで なおみちゃんの心に歌が生まれました。

     私はいっぱい いっぱい
     空を食べちゃう
     それから空の上の星と
     星の上の空も
     まだまだまだまだ 食べちゃう


それにしても 授業中はなんとゆっくり過ぎていくのでしょう。
あきれたことに
時間というのは 授業がはじまればいねむりをして
終わりの鐘が鳴ったとたん
まるで耳元でヨーイドンの鉄砲の音をきいたみたいにあわてて動き出すのです。
ですから なおみちゃんは 
授業の合間にちょっと恐い顔を作っては
時計の針が怠けないように見はっていました。

見はっている間 時計の一番細い針は 
まじめにカッチカッチ進んでいましたが 
なおみちゃんの手の方は すっかりおるすでした。
そして なおみちゃんがエンピツの先に気持ちを集中して
2+3とか5+4とか つづる間は
今度は時計の方が
(なおみちゃんは見ていないので はっきりしたことは言えませんが)
ぼんやりしているあんばいです。
なおみちゃんは 3+3とノートにつづってから
アリの行列を眺めるときのように
まじまじとエンピツの線を見つめました。
いったいいつから 3とか4とか5とかいう数字が
エンピツの中に入ったんだろう?
と不思議に思ったのです。

なおみちゃんが 幼稚園のとき
エンピツから出てくるのは
友だちの顔や花 それから動物だけでした。
かいても かいても 一度も数が出てきたことは
なかったのです。

だれがどうやって なおみちゃんのエンピツに数を注ぎ込んだのか
なおみちゃんは先生にたずねたくなりました。
けれどもなおみちゃんは 
学校は 生徒が知りたいことを先生にたずねるところではなくて
先生が知りたいことを生徒に教えてもらうところだと
承知していました。

3たす7はいくつですか?とか
この漢字は何と読みますか?とか
丸メガネ先生が知りたがれば
親切なおひま組の生徒は ていねいに教えてあげました。
でもなおみちゃんが
「ミツバチが花のみつをもらうとき 花はどんななぞなぞをミツバチに出すの?」
とたずねても
「雨の日 空はどんな悲しいことがあったの?」
とたずねても先生は答えてくれません。
「その質問は 後にしましょうね。」とたしなめるだけです。

ですからなおみちゃんは だれにもきこえないくらい小さな声で
自分で自分にたずねて
自分で自分に答えることにしました。

     どうしてエンピツの中に3や5が入っているかといえば
     エンピツも学校に通っているからよ
     学校に来れば
     今日のわたしが 昨日のわたしより
     かしこいように 
     今日のエンピツは 昨日のエンピツより
     おりこうになっているから‥‥‥
     どれくらいたくさん 頭の中に物が入るかといえば‥ね
     わたしの目で見えるものをぜーんぶと
     見えないもののぜーんぶだわ‥わかったでしょ なおみちゃん

そのとき 丸メガネ先生のメガネに
ぼんやり窓の外を眺めているなおみちゃんの姿が映りました。
丸メガネ先生は たいていの先生と同じように
おひま組の生徒がもぞもぞしたり そわそわしたり
ぼんやりよそ見をしたりするのが
好きではありません。

そこで先生は 厳しい声でなおみちゃんを叱ろうとして
すんでのところでやめました。
いたずらな春風が 子どもたちの耳元をくすぐり
先生の教科書をパラリとめくり
チョークの粉を 少しだけ吹き上げていきました。

先生がどうして叱るのをやめたかというと
先生はなおみちゃんたちよりずっと年をとっていたけれど
心の中のそのまた中には
小さな六才の女の子が住んでいたからなのです。
その女の子は 丸メガネ先生の心の中で
「算数の時間に算数の勉強をするのは大事なのは 百も承知。
でも たまには楽しいことをするのも悪くないわ。
こんな気持ちのいい春ですもの。」
とつぶやきました。
丸メガネ先生は ぽんぽんと手を打って
みんなの注意を集めました。
「あと 少し時間がありますが 算数の授業はおしまいです。
さあ みんな目を閉じて 何でも好きなものを想像してみましょう。」
目を閉じると おひま組の生徒たちの心には
どこまでもつづく黄色や赤のお花畑が広がりました。
鳥たちが はばたきながら飛びかい
動物たちが はねまわりました。

キーンコーンカーンコーン

と休み時間をつげる鐘がなり始めたとたん
おひま組みの生徒たちみんなの 夢という夢はすべて
あっという間に 春の光の中に溶けてしまいました。


おしまいです。ここまで読んでくださった方
本当にありがとうございました

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今日で最後の水遊び  とってもすごいアイデア♪

2009-09-22 18:27:57 | 理科 科学クラブ
今日の科学クラブでは水の力と風の力を学習するために、
今年は最後となる水遊びをしました。

水遊び中、メンバーのエドくんから、とってもすばらしいアイデアが
出ました。(エドくん、前回のブロック教室で登場してもらってすっかり人気者なので、今回も名前で出てもらいます♪)
「ねぇねぇ、ここにさ~いろいろ水とか動かせる機械を作ったら
どう? ブロックのときのあれみたいな~」

すると、Nちゃんが、「ブランコをつけたらどう?」と言い出しました。
そんなこんなで水遊びにこんなステキな
道具が加わりました。
ブロックの回る動くシステムです。

この後で水を使って、

光の屈折で水につけると絵が消える実験
試験管でいろいろな色水作りをして遊ぶ実験
潜水艦作りをしました。
また、ブロック以外でも動くシステムが作りたいということで、
ギアで動くおもちゃを使った製作もしました。

今回の科学クラブのメンバー4人は、デジタル式ロボットのプログラミングを書く
遊びなどにも
一生懸命取り組めました。科学がとても好きな子どもたちのようです。
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遊びから数の世界へ  2歳後半~3歳前半グループ レッスン一通り 5

2009-09-21 19:56:59 | 幼児教育の基本
魚屋さんの氷遊びから
ちょっとお勉強タイムへ♪

お皿に入れた氷(おもちゃ)を1つずつ外に出しながら
数えていって、その都度、ベルを鳴らしています。

数を音で体感する遊びです。

こうした遊びのついでに、簡単に足し算や引き算の計算も提示しています。
子どもは母国語を学ぶように
数の世界のルールも学んでいきます。

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