私の母は、
私が何を言っても、何をしても、
良いように解釈して、ひたすらかわいがってくれました。
ですから、私には母から叱られたリ、注意を受けたという記憶が
皆無といっていいほどありません。
そんな風に猫かわいがりに愛してくれる母に対して、
私はいつも複雑な気持ちを抱いていました。
というのも、私のふたつ年下の妹は、
それはそれは極端なほどに、朝から晩まで叱られ通し~と言っていいほど、
毎日毎日、母とぶつかり合っていたのです。
それは妹がまだ赤ちゃんで、昼夜を問わず一日中わめくように泣き続けていたころからはじまって、2~3歳の反抗期も、幼稚園児、小学生、中学生となっても、
どの時期として落ち着いた良い関係というのはなくて、
いつも母と揉めていたからです。
ですから、私は母から特別にひいきにされる度に、胸が苦しくて、
うれしさと同じくらいさみしく悲しい気持ちを感じていたのです。
母にすれば、内気で、けっして反抗しない私の態度に、
自分が良い母であるという証明や癒しを求めていたのかもしれません。
私をひたすらかわいがることで、
理想どおりいかない妹の子育てを頭から抹消して
理想の子育てを自分はしているのだと思い込みたいようなふしがありました。
母は、おとなしくてまじめで気が優しい性格で、良い子良い子した子どもが
そのまんま正直で純真な心のままで大人になったような人でした。
そんな母が父のような荒っぽいギャンブル漬けの人と結婚したのですから、
それまでの成長の中でどれほどバランス悪く
『良い人』としてしか生きてこなかったのか
わかります。
母は自分の中に『悪い人』をほんの少し受け入れることさえ
拒絶して、
自分の人生のバランスを取るように『悪い人』を自分の代わりにすべて引き受けて生きてくれる父と結婚しました。
そうして生まれた長女の私には、自分の『良い人』のイメージをかぶせ、
父似の妹には、自分の中の『悪いもの』をすべて押し付けて見ていました。
そんな子ども時代の暮らしの中で、
私はいつも変わらぬ愛情を降り注いでくれた母に対し、
どこか屈折した思いを抱いていて、
母の死に際に私が間に合わず、
妹が心を振り絞るように泣きながら最後を看取った事実に、なぜか、ほっとする気持ちを抱いたのです。
私が母に屈折した思いを抱いていたというのは、
母はとにかく優しい人ではあるけれど、周囲に可愛がられて育った
未熟で弱さも残った性格で、
普段はとても優しくて、
食事のことでも、服のことでも、習い事や友だちのことでも
それは気を配ってくれるというのに、
肝心かなめの、子どもが大きな問題にぶつかったようなときには、
自分が一番パニックを起していて全然頼りにならなかったことでした。
中学に上った妹が
たびたび問題を起したときには、
教師や相手側の言うことを鵜呑みにして、簡単に妹の気持ちを踏みにじったり、裏切ったりする一面もありました。
それで、私は自分が子どもを育てるときには、
大きな問題が起こったときこそ、
しっかりと親になろう!
誓いました。
いつ自殺するかもしれない母をなだめたり
はげましたり、母に向かって妹の良い面を話して聞かせたりしながら過した
思春期に強く強く覚悟した言葉でした。
そうして、親になった私は、
普段はかなり手抜きだけれど、
肝心の子育ての急所には、自分の精神力の全てを振り絞って、
覚悟して挑むようにしています。
受験なんかでも、子どもがうまくいかなかったときに、
親まで泣いていたのでは、子どもは苦しみから立ち直るだけでなく、
親の不安まで背負い込まなくちゃなりませんから……
そうした時ほど
けろっとしています。
だからいつもは適当な親なんですが、
こうした本当に子どもがSOSのときは、子どもたちがしっかり頼りにしてくれるので、うれしく感じています。
これが、私が子育てで二つ目に気をつけてきたことです。
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