虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

機能不全家族について  もう少し 12

2013-11-11 21:07:51 | 日々思うこと 雑感

先に書いた旅行の記憶は、長い間、心から抹消しようと努めていたため

不確かで断片的なシーンの寄せ集めとしてしか残っていません。

 

その旅行の際に、梶井基次郎の文学碑を見た覚えがあるけれど、

それは別の日帰り旅行の思い出が割り込んだものなのか、それを確かめる術もないまま、

こちらはかなりはっきりと残っている心の軌跡を頼りに書いていこうと思います。

 

その旅行の少し前、わたしは同じサークルの友だちから、

「F先輩、○組のU子ちゃんと付き合っているんだって」

という噂話を聞きながら、学校の近くの坂を登って行く

F先輩とU子ちゃんの後ろ姿を眺めていたことがありました。

 

U子ちゃんは、別のクラスのわたしや友だちがその人気を耳にしているほど、飛びぬけて可愛らしい子です。

F先輩は、同じサークルのOBで、

わたしからすると、その時もそれからも、

「顔は知っているけれど……」とか「事務的なことをちょっとしゃべったことがあるかな……」といった

程度の知りあいでした。

噂話に、「ふーん」と無関心な相槌を打ったまま、すぐに忘れてしまいました。

 

旅行先で、自宅に招いてもらった先輩と雑談していた時のこと、

どうしてそんな適当なでまかせが口から飛び出したのか、

自分で自分の舌が信じられないほどなのですが、

わたしは「実は、F先輩のことが好きなんですよ……」といったことを伝えました。

 

虚をつかれた先輩は、唖然としたまま開いた口がふさがらない様子でした。

自分で言っておきながらおかしいのですが、「唖然としたまま開いた口がふさがらない」とは、

わたし自身の心境でもありました。

それまでF先輩のことなど考えたこともなかったし、

実際、好きかどうかなんて口にできるほど、知っているわけでもありませんから。

 

なぜそんなことを言ってしまったのか、どうしてF先輩の名前が口にのぼったのかといえば、

意識にものぼらない心のどこかで、

Uちゃんのような可愛らしい彼女がいるのだから、絶対にわたしに振り向くことはない、

と確信していたからなのでしょう。

 

そんな嘘が口から飛び出すほど、これまで親しくしてきた関係を終わらせたい、逃げ出したい、

と性急な気持ちに駆られたのは、

本当の心の底を探ると、

先輩の家を訪問したからでも、未来の選択肢のひとつに怖じけていたからでもありませんでした。

 

それは、幼馴染みのAくんが現れて、

なつかしい思い出に浸るうちに気づいたのですが、

わたしは今の自分、特に先輩といっしょにいる時の自分が大嫌いだった

からでした。

 

Aくんといっしょに駆けまわっていたころのわたし、

想像をめぐらせることと知恵を絞ることに自信があって、

内気だけど活発、おっとりしているけど快活、弱々しいけれど勇敢でもあった本来のわたしは

もうどこにもいませんでした。

ただ母が期待する役割を、期待している本人にその真偽も優劣も見分ける眼識など残っていないことを

知った上で、演じ続けるわたしがあるだけでした。

 

 旅行の道中、「いつから?」とか「どうして、黙ったまま、いっしょに出かけてたの?」などと問われる度に、

しどろもどろの滅茶苦茶な受け答えを続けながら、

自分の言ってしまったことの取り返しのつかなさと訳のわからなさに

恥じ入っていました。

 

その晩、わたしと先輩は、他のメンバーが面白がって聞き耳を立てる中、

F先輩の件をめぐって口論になりました。

口論と言っても、怒って責め立てる先輩に対して、

わたしが謝ったり、言い訳したりしているだけなのですが……。

どのような様子だったのか、どんなことを言いあったのかは覚えておらず、

たた、それが旅行の引率をしていたK先生の耳に入るほど激しいものだった事実だけが

残っています。

後から、K先生に呼ばれたわたしと先輩は、呆れられた上で厳しい叱責を受けることになり

ました。

 

実際、もしこの出来事がK先生に知られることさえなかったら、

立ち直ることができないほど痛い出来事として、

記憶に刻まれることはなかったのかもしれません。

せめて、K先生に呆れられたり叱られたりするのが別の一件で、わたしだけが

注意を受けるのであったら、どれほどよかったでしょう。

というのも、先輩はK先生を心から尊敬していて、

しょっちゅう話題にのぼっていたからです。

 

 


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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2013-11-12 23:27:29
私は、不仲な父母と、不仲なのに毎日連絡を取り合うベッタリな母と祖母(今思えば、これが共依存だったのでしょうか)という環境の中一人っ子として育ちました。外向きには家庭内の恥をさらさないようにと、円満家庭に育つ優等生を演じるよう母に仕向けられており、また家庭では悪いのは父だという意見に同調するよう母に強いられ、さらに母からは精神的に頼られたり、また母が家を出ないで我慢しているのは私の為だと恩をきせられたりな毎日で、家に帰ると精神的に休まる場所がなく、でも外向きには優等生でいたため逃げ場がなく、対外的には明るい性格と思われていましたが、そう演じれば演じるほどさらに孤独な深みにはまるような暗闇でした。大人になるまで我慢をすればきっと精神的自由が得られると信じて中学くらいからは全ての嫌な環境を感じないようにするよう努め、感情をなくすように頑張っていた気がします。母はそんな私を、泣いてばかりの自分とちがって強くたくましいと誉めたり、冷たい人間だとなじったりしていました。
社会人になってからも母は私に重くのしかかり続け、こんな中で子供を育てるなど無理だと思っていましたが、諦めきれず高齢で子供を産みました。しかし、出産後さらに母の呪縛が強くなり、育児も人生も精神も奪われているような気持ちがしていました。
そんな中でも子供に少しでもいい環境をと考えて先生の記事にたどり着き、よく読ませて頂いていたのですが、思いがけず先生が機能不全家族に育ったとの記事を読み、とても驚きました。自分は闇から抜け出せず世代間連鎖を思いきり引きずっている気がしてなりません。母が生きている限り、私に自由は来ないと諦めていましたが、先生がどうやって抜け出せたのか、記事を心待ちにしています。
拙い文章が長くなってしまい、すみません。
こんな自分が育てている子供が、心穏やかな子供に育つことができるか、という不安と未だに母への苛立ちから抜け出せないことで、安定した気持ちになれないでいます。
先生の記事から少しでも抜け出す術を得られたらと思っています。
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