虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

見えないものが見えるように 触れられるように 1

2015-01-01 19:04:28 | 日々思うこと 雑感

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

 

お正月、何よりうれしいのは家族と時間を気にせずしゃべれることです。

おせちとお雑煮をいただいた後で息子とだらだらと話し込むうちに、

頭の中のごちゃごちゃが片付いて、

昨年中、自分の中でくすぶり続けていたものの正体と

今年、生活の中心に据えたいことが鮮明に見えてきました。

 

会話のきっかけは、息子の

「今じゃパソコンがどんどんブラックボックス化しつつあって、

すごいことができていても、いったいどんな原理で実現しているんだろうって

興味を持つ人は少ないよね。

日常のあたり前の道具になり過ぎて、不思議を不思議と感じるのも難しい。

 前に見たレイン(lain)ってアニメができた頃(1998年)は、

実際にパソコンで実現できていること自体はたいしたことがないし、

たいて内部構造のシンプルさを理解している人がパソコンを使っていたんだろうけど、

パソコンに対して道具以上のイメージを重ねていた人が多かったんだろうな」

という言葉。

 

わたし 「道具以上のイメージを重ねるって、どんなふうに?」

 

息子 「未知の自然現象のように捉えていたんじゃないかな。拡張していくことで

どんなものでもできそうな無限の可能性を見ていたというか。

ライフゲームのように、空間や時間が不連続だったらどんな世界が形成されるか、

なんて哲学的な問いをパソコン上で確かめようとするなんて、

PCを便利な道具として捉えていたら出てこないイメージだと思うよ。

人工生命とか人工知能の研究とか。

SFでもコンピューターに不可能はないってほど奇想天外な世界が描かれていてさ」

 

わたし 「今は、いろいろ研究しつくされて、ある程度、

パソコンでできることの限界が見えてきたってこと?

それともお金にならない研究を続けるのは難しいのかな?」

 

息子 「お金の問題はもちろんあるんだろうけど、

限界が見えてきたわけじゃないと思うよ。ただ、機能が複雑で高度になるほど、

用途が限定されて、応用がききにくくなるし、夢が広がらないんじゃないかな。

高機能なものは、その特殊性のせいで全体像が見えにくいじゃん。

使い方の制限も増える。

使う分には、機能が高くていろんなことができた方がいいに決まっているんだろうけど、

それから別の可能性をイメージしていくことや自分の考えを組み込んでいくのは

もっともっと単純な機能の方が向いているんだと思う。

たとえば、2、3行のプログラムなら、どこか書き変えたら新しい何かが生まれるん

じゃないかと子どもでもいろいろやってみるだろうし、そこから何が正しく

何が間違っているか、何ができて、どうしたら元通りになおせるのか学び取れるよね。

でも、それが1000行とか2000行といったプログラムだったら、

ブラックボックス相手の使用者の立場なら、高度なことができていいわけだけど、

多少いじっただけでもまともに動かなくなる。

そこから自分でイメージしたり考えたりできる可能性は限られるよ」

 

次回に続きます。

 


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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
あけましておめでとうございます (ソーイー)
2015-01-02 01:13:35
いつも読ませていただいてありがとうございます。
最近、過去にさかのぼり必死で2010年位目?まで読ませていただいておりました。おかげで自分の子が、感覚型ど真ん中らしいこともわかり一歩理解へ進むことができました。巨大な感覚のプールの中に何やら私にはうかがい知れないものをため込んでいく息子の姿が不可解で、反復を伴いそこに何やら価値を見出しているらしき姿がまたまた無意味に思え、「そんなゴミ情報」と切り捨て、捨てさせようとさえしてきたこともあったと、振り返れば思います。親の自分自身も、時には感覚に耽溺することもあるので理解できないこともないのですが、いかにも価値のありそうなものだけを取って置かせようとするのが、よくない選別だったかなと思いました。まあ、どれだけ選別しても底知れぬ感覚パワーであっというまに感覚の世界を修復してしまうことにも驚きがあったのですが、それが息子の生地なのですね・・。

それはさておき、ブログ、先生と息子さんとで交わされたお話の内容や、日々の雑感・・などが特に面白くてつぶさに拾わせていただいております。今回のお話も、さすが、小学三年生の時に「白い紙と鉛筆」一枚の白い紙から全てを切り出して組み立てていかれたという、息子さんらしさを感じました。そのとき言われた言葉がとても素敵で、ちょっと初泣きしそうになりました。今年もよいお年でありますように。新参者が一番乗りで失礼致しました。
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