虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

勉強でつまずく小学生 「できるようになりたい」と思わない子

2017-07-11 07:38:41 | 日々思うこと 雑感

 

勉強につまずいている小学生が
「できるようになりたい!」という向上心を持っている場合、
指導の仕方を工夫すれば、きちんとできるようになっていくことでしょう。


でも、子どもが「できるようになりたい」と思っていない場合、
できるようにするのは、一筋縄ではいかない難題です。


子どもが「できるようになりたい」と思わない理由はさまざまです。

「できるようにならない」ことで自分に注目を集めたり、
親への間接的な不満を「できない」ことで表現したりして、
大人をコントロールする子たちがいます。


また、自分のことなのに、自分のことのように思えなくて、「こうなりたい」という欲求が生まれてくる自分の核となるものがないように見える子もいます。

いつも子どものことを親御さんが決めていて、
子どもの自我がきちんと成長していない場合そうなりがちです。
最近は、子育てが、ママ友とのお付き合いの付属のオプションのようになっていて、
親の「(子どもが)こうであってほしい」と、子どもの「こうなりたい」の境界線が、
親にも子にも見えなくなってしまうケースを見聞きします。

そうして親子で一心同体のまま、二重に心を重ねた状態で、ある年齢までいってしまうと、
子どもの自立したいという思いは、
親の「こんな子に成長してほしい」という気持ちに反抗する形で、
あらわれてくるかもしれません。

子どもは自分の成長を犠牲にしてでも、
自立をしなくてはならない危機に陥っているのです。


「できるようになりたい」と思わないのには、
他にも、さまざまな理由があるでしょうが、
「できるようになりたい」と思わない子を、できるようにさせようとして、
手を変え品を変えして教えたり、
学校の先生の教え方に不満を持ったり、
塾に入れたりするだけでは、おそらくうまくいかないはずです。

たとえ、一時期、成績が伸びても、
少しすると、もっと大きく膨らんだ学習上の問題にぶつかることでしょう。
根本的な問題を先送りすることになるからです。

「できるようになりたい」と思わないのは、
良い成績を取れないからで、
易しい問題から繰り返し訓練して自信をつければ、「もっとできるようになりたい」と思うはずだと考える方は多いでしょう。
確かにそういう子もいます。

でも、それは大人の都合の良い解釈で、
そうした「子どもはこんなもの」という大人の気持ちの押し付けの連続が、
「できるようになりたい」という気持ちを奪っていることもよくあるのです。

 

「できるようになりたい」と思わない子が
「できるようになりたい」と思わない理由のもとは、幼児期の過し方にあるように思います。
幼い子たちは、あちこち探索していたずらしたり、自分で食べようとして食事をぐちゃぐちゃにしたりしがります。

砂遊びやねんど遊び、水遊び等も好みます。
そのように
大人には理解しにくい
「こんなことをしてみたい」「あんなことをしてみたい」という
子どもなりのやりたいことがあります。

でも、その時期に、おしゃれをさせて、
お母さんのしてほしい遊びを子どもがするのを望んだり、
習い事やサークルに連れて行って、
お母さんの過してほしい時間の使い方をさせたりしていると、
本当に子どもがやりたいことを、少しもしていなくても
お母さんも子どもも気づけなくなってきます。

でも、意欲ややる気や意志は、その時期、その時期の子が、
自分の内側からの衝動で、
「面白そう」「やってみたい」と思ったことを、
とことんやりつくすうちに育ってくるものなのです。

石ころを水の中に入れ続けるとか、水たまりで遊ぶとか、
ままごとばかり四六時中するとか、
親ではなくて、その子自身のアンテナに引っかかったことを存分にするからこそ、生まれてくるのです。

親が子どもにやらせたいことをして、ごほうびをあげて喜ばせても、
何かができるようになったとしても、
子どもの中に本当の意味での充足感や達成感は生まれません。


自分がやりたいと思ったことを、疲れるまでやりつくしたときに
「もっともっと成長したい」と願う強いエネルギーが湧き上がってくるものだからです。

話は変わりますが、
教室の3、4年生の子たちが、「学校でホラーマンガが流行っているよ。」「いろいろあるよ。みんな読んでいるよ」と言うので、私も見せてもらったところ、
「いじめ」や「殺人」や「自殺」がエンドレスで繰り返し登場する心をざわざわさせる内容でした。
まさか低学年の子らは読まないだろうと思っていたら、2年生の女の子たちのグループも口をそろえて、「学校で流行っている、流行っている」と言うので驚いてしまいました。
小学校低学年くらいから、何度も何度もいじめと死のシーンが繰り返されるストーリーが流行るなんて……
小学生たちに蔓延する不安やイライラした気持ちの深刻さを感じました。

子どもたちから、「自分」というものや「自分らしさ」が
奪われていないか、気にかかりました。

 

大人の期待する通りに、
「もっと勉強ができるようになりたい」とはりきって勉強する子だけが
良い子で、正しい子で、「できるようになりたい」と思わない子には
問題がある……
と言いたいわけではないのです。

「できるようになりたい」と思わないという態度からは、
子どもからのSOSやメッセージ、
隠れた問題を表面化させて改善しようとする意志が含まれているように感じられることが多々あるということをお伝えしたかったのです。


たとえば、
外からは見えにくいハンディーキャップが原因で、
読み書きの障害や推理力や一般化する力に苦手があって、
本人は周りの子と同じように努力しているつもりでも
いっこうにできるようにならないとします。

そんなときに、ハンディーキャップを軽減するような学習方法を工夫せずに、
勉強量を増やすとか、お友だちのママに聞いて良さそうな塾に入れるとか、
安易な解決法を繰り返すとどうなるでしょうか?

がんばってもがんばっても努力が報われないので、
勉強に対するあきらめの気持ちや劣等感が強くなって、
「できるようになりたい」と思うことに抵抗を感じるようになるかもしれません。

「怠け者」とか「勉強嫌い」という表現は、そうした子たちにあいません。
「できるようになりたい」と思っては、何度も何度も挫折した時の古傷がうずくので、
「できるようになりたい」という気持ちに蓋をして感じないように
しているだけなのです。

そうした子たちには、ただただみんなと同じ勉強を押し付けるのではなくて、
できない理由をていねいに見極めて、
本人が「できそうだ」と見通しを立てられるような
方法を示してあげなくてはなりません。

努力をすれば、努力がきちんと報われるという実感を
感じさせてあげる必要があるのです。

一度、深く傷ついてしまうと、傷は簡単には癒えません。
勉強をさせるだけではなく、学習する際に負ったトラウマを長い期間をかけて
癒してあげることが大切だと感じています。

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ごく一般的な子の場合、
「できるようになりたい」と思わないという態度は、
自分のことをあまり大切にしないという態度と
つながっていることがあります。

「できるようになりたい」という気持ちは、
「認められたい」「大人になりたい」「自立したい」「もっと自分を表現したい」「目標や目的を持ちたい」という思いでもあります。

これまでの経験で得た達成感や自分への信頼感、次にできそうなことがわかっている安心感などの土台の上に
生まれる気持ちです。

ですから、子どもにあまりにも「できるようになりたい」という気持ちが
見られない場合、
「勉強なんて、どの子も嫌いなものよね」と安易に捉えずに、
ストレスが溜まっていないか、
心の中に不満や言いたいことを溜めていないか、
強い劣等感を抱いていないかといったことを、よく見てあげる必要があると思っています。

ささいな口げんかもしないような仲良し親子の場合、
子どもは親に言いたいことを
きちんと言葉にできていないかもしれません。

「子どもの願いを何でも聞いてあげる優しすぎるお母さん」は、
子どもから反抗期を奪ってしまいがちです。
すると、子どもの側は、
親離れできないイライラが原因で、
「子どものまま、がんばらないまま
いつまでも成長しないでいよう」という態度に執着することがあるのです。


小学生の子が勉強につまずくとき、
あわてて他所の子と同じ対応をするのではなくて、
わが子をきちんと見たり、
わが子と親の関係を見直したりすると、
問題は深いところから解決しはじめるかもしれません。

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余談ですが、この「できるようになりたい」と思わない……という気持ちは、
私の小学生時代を振り返ると思い当たる感情なのです。

私は非常に母と仲が良くて、今でいう友だち親子のような間柄でした。
反抗期もありませんでした。
私や妹の習い事を選んだり、手作りの服でおしゃれをさせたり、私や妹の友だちのお母さんとお付き合いをするのが母の楽しみでした。

自分のことは脇において、わが子の成績が伸びることや、ピアノが上達すること、絵や作文で表彰されることだけを生きがいのようにしていた母を
嫌だとは思わなかったし、母の喜びが自分の喜びでもあったものの、
私はいつも自分にブレーキをかけていました。

何かできるようになって、注目を浴びると、さらに次の期待をかけられる……どんどん「自分のこと」が、「自分のこと」じゃなくなっていくような気がする……。

と、自分が成長していくイメージに対して、
それに覆いかぶさり侵入してくるような親のイメージが、いつもつきまとっていたのです。

そうしたもやもやとした不安を抱いていても、私は母の提案に「イヤ」と言うことはできませんでした。
いつも母が喜ぶような答えを先回りして言うので、
母の願望は、そのまま私の願望であるように伝わっていました。

ですから、外から見える私は、やる気があって素直で優しい良い子でした。
がんばってもできないのはご愛嬌。

でも、心の中の私は、一歩踏み出すことにいつも躊躇していました。
全力でがんばることを出し惜しみしていました。
そのどちらも、一時期、母を喜ばしはしても、自分のプラスにならないと感じていたからです。

それと、自分で意識できない部分では、私という人間を自分の私物のように扱う母に、
「成長しない」ことで仕返ししていたのです。

私と母が、そんな不健康な依存しあう関係に陥っていたのには、
母が、乱暴な父や、
言うことを聞かない妹との関係で悩み苦しんでいたからです。

それで私は、母の不幸を埋め合わせるのは自分の役目であるように感じて、
心理的に母子べったりな関係から抜け出せずにいたのです。

そして、母の過保護で過干渉な態度をすべて受け入れ、
母の期待を、まるで自分の願望であるように見せかけてもいました。

でも、どんなに周囲に微笑ましいく映っても、
親と子がささいなぶつかりあいもできないような関係は
息苦しくて、
成長を蝕みます。

子どもにすばらしい人生を用意しようと親が努力するほど、
親の用意した道を歩む子の足取りは重くなるものです。

母が私のことに夢中になるほど、私は自分の能力を高めることに投げやりになっていました。

といっても母を喜ばせるために、表面上はがんばってはいるのです。でも、常に、心ここにあらずで、いつも自分にブレーキをかけながら
上達することに怒りすら感じていたのです。

なぜ、怒りまで感じていたのかというと、
何かができるようになって親を喜ばせることは、
親離れできず親のおもちゃになっている自分に直面することでもあったのです。心の中で、それを恥ずかしく思いながら、気持ちに蓋をしていたのです。


そんな子どもの頃のことを思い出すと、
「子どもに過剰な負担をかけないために、
親は自分から少しずつ子離れする努力をしなくてはいけないな」と感じています。
親がしがみついていたら、子どもは親に遠慮して
親離れできないものですから。

親と子の間にきちんと境界線が引かれて、
子どもは子ども、親は親として幸せに自分の人生を生きていくならば、
子どもは、親離れ子離れを遅らせるために無駄なマイナスの方向のエネルギーを使う必要はなくなります。

すると、子どもは自分の成功を勝ち取るために、
自分を最大限に成長させることに集中できるようになることでしょう。

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Unknown (るま)
2017-07-14 17:07:39
この記事を読んでから色々考えてしまいました。
もうグサグサと突き刺さっています。

そして幼稚園時代と小学校低学年の自分が、どんなに孤独で可哀想だったか。
それでもあの女の子は負けなかったな、強かったな、一人で頑張っていたんだな、と色んな感情が出てきます。

と、同時に・・・

私があんな子ども時代を送ったのも息子たちを本当の意味で子育てする為だったのかも、とも思えてきます。(こう書くとすごく気合が入っているかのようですが、そうでもないです・・・)

でも一つだけ、絶対に譲らなかったものがあります。
それは漫画を描くことと、小説を書くことです。
あれだけは、どんなに怒られようが、殴られようが、机の中をひっくり返されようが、(「勉強しろ!」と)やめませんでした。
ファンタジーの世界では私は自由だったし、生きていく為必要だったのでしょうね。特に漫画は授業中にも描いていました。
その証拠に、大学がアメリカだったのですが、海外逃亡してからは、漫画を描くことはなくなりました。
小説家になりたかった(今でも!笑)ので小説だけは書いていましたが。

悪い話ばかりではなく、映画や音楽や芸術の世界には深く入り込めるようになったことは何よりも得難いと思います。

でも、私はあんな子育ては絶対にしませんけどね。

ところで、今の子どもたちはそのようなホラー漫画を読むのですね。
かくいう私も殺人などのミステリーは好んで読んだり見たりしていましたが、それは「探偵が解決する遠い世界の話」であり、「いじめ」など身近な問題は一切絡んでいませんでした。

気になってネットで少し調べましたが・・・
これを知っているということは、低学年の女の子の読む漫画雑誌に掲載されている、ということなんでしょうか?


そういう話を好んで読む子ども達・・・
単純に怖いという話だけではないですね。
なんと表現すればいいのか、わかりません。

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