多元的知能論を
未来の学校で取り入れ、
ひとりひとりの能力をより高いレベルに高めていこうとするなら、
人間関係的知能や内省的知能といった
測定することが難しい、
また測定者が持っているその分野の能力によって
事実がゆがめられてしまう分野の知能に関しても
ある客観的な判断基準は必要となるでしょう。
しかしそうしたものを幼児期に持ち込むのは、
どうかな?と思うのですよ。
現代は幼児の世界に、あまりにも安易に
そうした測定道具が持ち込まれています。
本来、愛情や好奇心の高まりや創造的な喜びの中でゆっくりはぐくまれるものまで、数値化しようとします。
その結果、子ども自身の中にもともと組み込まれている
自分で世界を開拓し、体験し、学ぶことを選び、それを洗練させていこうとする
力が失われています。
もし身近にいる親が、
子どもの成長過程のあらゆる部分を数値化して把握できるという幻想を抱
くとどのようなことが起こるのでしょう?
言葉や行動から一部を推察できるだけの不確かなものに、
親がスポットライトを当てた部分ばかりが強調され、
他が切り捨てられてしまうのではないでしょうか。
たとえば、人間関係的知能というものを取り上げても、
人との間で言葉を伝え合い、自分をうまく表現することが上手な「コミュニケーション」面で優れた子。
新しい場でも物怖じせずすぐに友だちを作る力がある「社交性」の優れた子。
集団の場が誰にも公平であるように気をくばれる「公平性」の優れた子。
人の輪を大きく広げようとする「包含」の優れた子。
喧嘩をしないように場を調整できる「調和性」の優れた子。
人の性格や言動をよく観察し、仲良くなる方法を知る力のある「個別化」に優れた子。
人の気持ちがわかる「共感性」に優れた子。
仲良くなった人とより深く親しくなろうとする「親密性」に優れた子。
他の人の能力を見抜いて高めようとする「成長促進」に優れた子。
とそれぞれかなり異なる部分で人間関係的知能を発揮できる子たちがいるのです。
そうした複雑なものに、
一定の測定基準を設けようとすれば、「測りやすい」能力が選ばれ、
それが人間関係的知能そのものであるように錯覚されてしまうでしょう。
ですから、特に幼児期は、
人の個性と能力の幅広さの前で
それらに気づき敬意を払いつつ
数値で表すことによって自分の完全なコントロール下におきたいという思い
から少し距離をおくことが大切だと感じています。
web拍手を送る
未来の学校で取り入れ、
ひとりひとりの能力をより高いレベルに高めていこうとするなら、
人間関係的知能や内省的知能といった
測定することが難しい、
また測定者が持っているその分野の能力によって
事実がゆがめられてしまう分野の知能に関しても
ある客観的な判断基準は必要となるでしょう。
しかしそうしたものを幼児期に持ち込むのは、
どうかな?と思うのですよ。
現代は幼児の世界に、あまりにも安易に
そうした測定道具が持ち込まれています。
本来、愛情や好奇心の高まりや創造的な喜びの中でゆっくりはぐくまれるものまで、数値化しようとします。
その結果、子ども自身の中にもともと組み込まれている
自分で世界を開拓し、体験し、学ぶことを選び、それを洗練させていこうとする
力が失われています。
もし身近にいる親が、
子どもの成長過程のあらゆる部分を数値化して把握できるという幻想を抱
くとどのようなことが起こるのでしょう?
言葉や行動から一部を推察できるだけの不確かなものに、
親がスポットライトを当てた部分ばかりが強調され、
他が切り捨てられてしまうのではないでしょうか。
たとえば、人間関係的知能というものを取り上げても、
人との間で言葉を伝え合い、自分をうまく表現することが上手な「コミュニケーション」面で優れた子。
新しい場でも物怖じせずすぐに友だちを作る力がある「社交性」の優れた子。
集団の場が誰にも公平であるように気をくばれる「公平性」の優れた子。
人の輪を大きく広げようとする「包含」の優れた子。
喧嘩をしないように場を調整できる「調和性」の優れた子。
人の性格や言動をよく観察し、仲良くなる方法を知る力のある「個別化」に優れた子。
人の気持ちがわかる「共感性」に優れた子。
仲良くなった人とより深く親しくなろうとする「親密性」に優れた子。
他の人の能力を見抜いて高めようとする「成長促進」に優れた子。
とそれぞれかなり異なる部分で人間関係的知能を発揮できる子たちがいるのです。
そうした複雑なものに、
一定の測定基準を設けようとすれば、「測りやすい」能力が選ばれ、
それが人間関係的知能そのものであるように錯覚されてしまうでしょう。
ですから、特に幼児期は、
人の個性と能力の幅広さの前で
それらに気づき敬意を払いつつ
数値で表すことによって自分の完全なコントロール下におきたいという思い
から少し距離をおくことが大切だと感じています。
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人間関係的知能や内省的知能というと???ですが、普段、子どもが友達と触れ合っている様子を見て、『わーこんなやさしい言葉がかけられるんだ!』『よく気がきくね~』など、ただ、ただ、素敵な姿だわぁという思いだけで十分です。それを数値化してしまうのは、ちょとさみしいです。謙虚でありたいものです。
なおみ先生が思いを込めたオンライン教室もとっても充実しています。次号が楽しみです!
社交性、公平性、親密性・・・と あらためてこうして教えていただくと 目に見えないタイプの能力にも少しは思いを巡らせることができますね。
実際、明らかに誰の目にもわかりやすい種類の能力に優れている子を基準にしてしまいがちで、「うちの子にはあぁいう面がないからなぁ・・」と心配するママが多いです。
わが子が人間関係で困らないかどうか、不安に思う母親はとても多い気がします。
色んな人の目に触れやすい、こうした内容の指導があればよいのに、と思います。
わが子のことを言えば、微笑ましいシーンもあるけれどまだまだ、なのか本質的に、なのか、(あちゃちゃ・・(汗))(→これはつまり親のバツが悪い、ということが大半ですね)のシーンがむしろ多いです。
見守ろう、信じていよう、まだまだ3歳半、、の気持ちにも
こうして具体的に教えていただけることで心丈夫さが増します。
「うちの子は、大丈夫だと思う!」というママはまずいないです。
謙遜しあいっこ?不安な方が話が盛り上がるからかな?そしてほんとうに不安だったり?
・・・深層心理的にむしろ安心しようとしないのか?と思うことも・・・
不安を基本にそれを埋めるような目線の子育てになってしまいがち、
安心、信頼を基本に子供を見つめる子育ての心理的な技術というのか後ろ盾というのか・・・そういうものが必要だと思います。
ここに多くの人の関心が向くようになればいいですね。
オンライン教室、娘は大喜びしています!
先生からの、ブログ記事やオンライン教室などの発信にいつも感謝しています。ありがとうございます。