子どもに言葉の遅れがあるとき、その子のお母さんの子どもとの関わり方にちょっと気になる特徴を感じることがあります。
もちろん、言葉の遅れというのは子どもの側に原因があるかもしれず、
まるで育て方が原因で言葉の遅れが起こるかのような指摘はよくないのかもしれません。
でも、先に子どもの言葉の習得の遅れがあって、それが原因で後から親御さんの態度が変化したものかもしれないけれど、ひとつの共通する特徴のようなものがあるのです。
それはどのような特徴かというと、
「子どもになりきる」まなざしが少ないということです。
つまりいつも大人から、他者から……というまなざしで子どもの動きを捉えているように見えるということです。
それなら、「子どもになりきる」というのは、どのようなまなざしかというと、たとえば、子どもが重たいものを引きずって運び始めたら、
見ている方も知らないうちにふんばって息を止めて、「よいしょ、よいしょ」と心の中でつぶやくことってよくありますよね。
子どもがすっぱいものを口にすると、こっちまで肩をしぼめて、すっぱいときのキューッと顔の筋肉を縮めたような表情をしてしまうものです。
特に幼い子を育てている親御さんは、本能的に子どもの姿を目で追いだけで、そうした「子どもになりきる」状態にしょっちゅう
なっていることと思います。
子どもに何かを教えるときも、自分の身体までが勝手に動いて、言葉がただの言葉ではなくて、
「こーうしーて~こーうしーて~」と見聞きしている側のかもしだしているリズムに合わせて提示しているのです。
それを真似ようとする幼児の動きを今度は教えていた側が、真似ているような形で、さまざまなことが伝えられます。
こうした大人の側が「子どもになりきる」形の伝達は、幼い子が言葉や生活習慣を学んでいく上では、必ずといっていいほど必要なものだと思います。
とても本能的で普遍的な活動だからです。たいていの親御さんは、遊んでいるときも、いつの間にか、子どもの目線で世界を見、子どもの感じるものを自分で感じているかのように反応しながら、遊びに興じています。
知らない間に、呼吸の速度まで子どもと同じになっているのです。
でも、言葉の遅れのある子の親御さんのなかには、いつでも大人の立ち位置、大人のまなざし、大人の判断、大人の思考、大人の分析を手放さないで、
とまどいながら子どもと接している方が多々あるのです。
次回に続きます。