教室で使っているおもちゃの紹介をするたびに
心に引っかかっていることがあります。
写真だと、ひとつひとつのおもちゃにどれくらいの頻度で、どのように関わっているのか
伝わりにくいです。
どうしても完成度の高い魅力的なおもちゃが目を引くと思うのですが、
実際には大人の購買意欲をそそるようなおもちゃは
遊び方が限られているので、
教室では、数への気づきをうながしたり、気分転換をする目的で
短い時間しか遊んでいないことが多いのです。
虹色教室では、いつも、最初に好きなおもちゃを選んで自由に遊んでいい
時間を設けています。
「こういうことがしたい」「これはいや」と自分の要求や気持ちを言葉にしたり、
いくつかある中から選んだり、何からするか判断したり、
「自分はこういうものが好きなんだな」と理解したりすることを
大切に感じているからです。
また、子どもが何を選んで、どのように関わっているかを見ることで、
その子の今の関心や発達の段階をこちらが把握しておいて、その日の遊びや学習に活かすようにしています。
教室にはいただきものなどで、最初からできあがっている電池で動くおもちゃやキャラクターもののおもちゃなども
置いています。
子どもがそれに興味を抱いた時には、
「それと同じものを作ってみようか」「どうしてそんな風に動くのかな、調べてみる?」と誘って
物作りや実験のきっかけに利用しています。
創造性を刺激するための
触れる見本として使っているのです。
それほど厳密なものではないのですが、
自由な時間の後は、ブロックや紙や空き箱を使って
創造的に遊ぶ時間としています。
子どもと過ごす時間の比率でいうと、これが一番長いです。
ブロックのようにシンプルなおもちゃは、想像したり、考えたり、問題を解決したりする
場面が無限にありますから。
紙や箱相手だと、子どもが遊びの中で自分の頭や手を使う範囲はさらにくなります。
それだけ遊びから得るものも
満足も大きくなります。
そうした創造的な遊びが一段落したら、ボードゲームやカードゲームをしたり、
実験をしたりして遊んでいます。
おもちゃそのものが魅力的で完結していると、
たいてい、子どもの想像力や
思考力を使う部分はほとんどないものです。
算数の教具として使用するとしたら、それはそれで
使い勝手がいいこともあるのですが、
もともと遊び込む体験が少ない子、つまりごっこ遊びや創造的な遊びを自分で膨らましていく力が弱い子に、
できあがったおもちゃや知育玩具(パズル等)を
おもちゃとして与えるのは、子どもの伸びていく可能性を狭めるようで心配しています。
写真は3歳8ヶ月の★くんのブロック遊びの様子です。
★くんはブロックの線路をつないで、とてもうれしそうにしていました。
というのも、以前は線路と線路をつなぐのがやっとだったのですが、
線路の裏にブロックをつけて、高架にすることができるようになったからのようです。
線路がつながって大満足の★くんは、「駅がいるよ」と言って、
基礎版を線路の脇に置いてから、
「エスカレーターが作りたい」と言って、階段状にブロックをつなぎました。
ブロック用のテーブルまでエレベーターをつなぎたかったようなのですが、
あまり長くなると崩れてしまいますから、途中で中二階を作ってあげました。
それを見て、大満足の★くん。
いっしょに図鑑を見ながら駅を作っている時、
★くんが電光掲示板に強い興味を示しました。
そこで、文字がくるくる回って変化する電光掲示板の見本を作ってあげると、
自分でも作り始めました。
ところが★くんの作った輪っかが大きすぎて、
うまく取りつけることふができませんでした。
そこで、ブロックを太く大きくして、落ちないようにでっぱりを作って
あげると、感激していました。
「○○ようちえんはおやすみです」と掲示板で訴えているそうです。
子どもにすると、どんなにすばらしいおもちゃよりも、
「自分の心にヒットしたこと」
「自分ができるようになったこと」
「自分が考えたこと」
の方が魅力があるのです。
★くんは、その後もひたすら電光掲示板を作り続け、
自分が書ける「し」と「も」を駆使して、
「○○~って書いてある!」と自分流に読んで遊んでいました。
★くんは、今、数にとても敏感な時期にあります。
でもそうした数への理解は、数を学ぶために作られた教具で遊ぶ時よりも、
自由度の高い遊びの場面で、自分の「こんな風にしたい」が思う存分、満たされた時に
深まることが多いです。
★くんにしても、お気に入りの列車の車庫を作っていた時に、
「列車を全部、車庫に入れたい!」と思い
必死になって車庫を作っていって、基礎板が足りなくても、
「もっといる!下の板のところ、もう1枚、いるよ!もう一枚!」
と必死に懇願している時に、
強く数を意識していたのです。
あちらとこちらでバラバラに作っていた作品をどうしてもつなげたくて、
板を坂にして接続していました。
その後、写真下のビルのような作品を設置して、「富士山だよ」と
言っていました。