(過去記事です)
小学生の子をお持ちの親御さんから、
「遊び場がないので、このところほとんど家に閉じ込めているんですが、
時折、心配になるんですよ。大丈夫でしょうか?」
という相談をお受けしました。
以前は、外遊びをさせていたのですが、
近所の公園は恐喝に近い荒れた遊び方をする子たちがたむろしていて、
けがをすることがあるようです。
以前は子どもの遊び場でもあった神社の境内は、最近整備されて、
遊べなくなりました。
児童館は、以前は小学生が庭に出たり、通路をうろうろしたり、
大小の部屋を行ったりきたりして遊んでいたのですが、
最近、子育て支援用の幼児専用の部屋がととのえられ、
小学生は狭い漫画の本などが置いてあるボロボロの部屋と、
おもちゃが置いてある部屋だけとなり、移動もできないので、
遊びは廃れてしまいました。
外には遊ぶ小学生の姿はありません。
友だちもいないのに、道路をうろうろしても仕方がないですよね。
別の小学生の子をお持ちのお母さんが、
こんな事情を話してくれました。
子どもへの対応が両極端になっていて、
先生も児童館の職員も親も、問題行動を激しく起こす子には、叱りも注意もせずに、
まるで子どもとの関係を断ち切るように
放置しているのだそうです。
かと思うと、
一般的な多くの子どもたちは管理しすぎるほど管理し、
「何かできないこと」がありえないほど、
きちんとすることを強いられているのだとか。
遊ぶ場所がない、大人の管理強化、子どもの深刻な問題、
先生の心の柔軟性がなくなり白か黒かで子どもに接する……
そうした状態が進むにつれて、
この1~2年で、
子どもが急に変わった……という声をあちらこちらから耳にするようになりました。
うちのダンナも
10年以上、子どもたちのキャンプのお世話をしていますが、
ここ数年、子どもたちの姿が急変してとまどっているようです。
ダンナの参加しているキャンプでは、
小学4年生から6年生までの子が班になっていて、
自分たちで協力しあってテントを組み立てることに
なっています。
「自分たちで」とあるので、以前の子どもたちは、それなりに自分たちで、
失敗しても笑いながらなんとかがんばっていたのに、
この1~2年、最初から、ちょっとすると大人にあっているかどうかたずねて、
すぐに頼って作ってもらう子が続出。
それで、完成度の高い作品が増える一方で、ちょっと失敗すると、
途中で放り出してしまって、最後まで完成しないまま終わるグループも増えているそうです。
ここでも白黒、○か×かの世界が広がっています。
子どもたちは、友だちから批判されることを極端に恐れ、
ほとんど大人に頼るか、チャレンジしないか
そのどちらかに分かれているのです。
特にダンナが気にかけているのは、
4年生はできなくて当たり前で、かつては6年生がリーダーシップを取って、
問題が起こると年下の子たちを引っ張っていって、
難所を乗り切っていたそうなのです。
それが、最近は4年生と6年生がまったく同じレベルで、
精神的にも技術的にも思考の面でも
成長の跡が見られないことらしいです。
6年生が、4,5年生を手伝ったり、教えたりする姿は
全くといっていいほど見られないそうです。
子どもたちはどうしてしまったのでしょう?
どうなってしまうのでしょう?
小学1年生に入学した子の親御さんが、初めての学校でのプール体験の日、
クラスの全員といってよいほどの子がすでに泳げることに
驚いたそうです。
公立のごく普通の小学校です。
聞くと、どの子もこの日のために水泳教室に通って準備しているのです。
公園デビューとか、○○デビューとか、スタート地点のハードルが高くなっているのは知っていましたが、
小学校のプールデビューの日に向けて、
お金と時間をかけて奔走する人々がそれほど多いとは……。
(まぁ、それだけが理由じゃないでしょうが。)
夏休みのプールの短期講習に子どもを通わせているお母さんが、
[通常のプールのレッスンにも通わせているのに、
夏の集中的に続けてレッスンがある短期講習にも
子どもを通わせている幼児のお母さんたち]
の多さに驚いていました。
詰めて通う夏の講習に通うと、成長が実感しやすく、級が上りやすいからという
理由を聞いたそうです。
あっちでも、こっちでも、
子どもの級をあげる、賞状をもらう
プリント型の教室の進度を上げることに躍起になる親たちが増える一方で、
小学生の心が、おかしなことになってきているんですよ。
際立っているのは、
社会性、精神性、メタ認知力の遅れや停滞で、
自分で考えず、すぐに他人に聞いて、教えてもらってする
自分でやらず、すぐに他人を頼って、してもらう
自分はしないのに、他人のミスばかり指摘するのに忙しい
そのことで注意を受けると、「だって、できない!」とキレる
他人に頼ることができない場面では、最初からチャレンジしない
少しのミスを恐れて、始めるやいなや放り出す
登校班のリーダーなどに選ばれても、リーダーとしての誇りややる気を発揮せず、年下の子たちの面倒はみず、イヤイヤにだらけて、行動する
という小学校中学年の子が、あまりに多くて、そうでない子がいたら
驚くほど、この新しい世代の子たちの特徴となっているのです。
こうした心の面での成長が危ぶまれる子たちは、
多くは学校に上るまでにひらがな、カタカナ、漢字、計算などを練習して
「できるようになった状態」で、
検品作業を迎える工場製品のように学校へ送り込まれた子たちです。
そうして、低学年のうちは何でもできたのでしょう。
やっかいな9歳の壁にぶつかるまでは……。
「先に練習さえ積んでおけば」「他人より早く始めれば」
マスターできることばかり習う9歳まで。
それに対して、言葉の背後にある微妙なニュアンスを察することができるか、
根気よくじっくり自分で考えることができるか、
親子の会話のなかで、自分の気持ちを的確に表現し、
相手の言っていることの意味を理解しながら聴き取ることができるか、
メタ的な視点で物事を眺められるか、
そうしたことが学習でも人間関係でも
求められ始める小学3年生以降の生活で、
自信を失い、神経過敏になり、批判を恐れ、チャレンジ自体をやめてしまう子たちが、どんどん量産されているのです。
自分が何が好きか、何をやってみたいかもわからない年齢の時から、
習い事やプリントで、できるかできないか、○か×かという
白黒で自分を決め付けられることを繰り返してきた子たちの
苦難です。
話がタイトルから離れたものになっていて悪いのですが……
子どもの問題の全てのもとにあるのは、
「遊びの不足」です。
「遊び場」がないことです。
「遊び仲間」が習い事に行っていていないことです。
ひとりで部屋でテレビを見たり、携帯のゲームをしたり、スポーツ教室を含む習い事で先生の指示に従っているだけでは、
社会性も精神性もメタ認知力も
育ちようがないのです。
この3つを育てないまま、いくら知識のインプットに努めても、
「できるようになりたい」という自分の成長を志向する心が
親から精神的に自立するに従って失われていきます。
「人と人との間で自分の力を使っていく」という知力を活用する体験がなく、
「自分が何をすべきか、どうして学ぶのか」がわからないままでは、
9歳の壁を越えて、たくましく成長していく
パワーが足りないのです。
ひとりの力では、いきなり遊び場を作ることができないことも現実ですが、
ひとりひとりの心が、
今の環境を創りだしていることも事実です。
ひとりひとりの人が、
まず、今の現状を知り、必要を感じ、一歩だけそのために前進することで、
子どもの生活と遊びの環境は
全く別のものとなってくることと思っています。
URL が入らないので
goo ブログ satoukennji0706 です。
前に goo 簡単ホームページに居たんですが
うまく編集できない・・・
なお、ご迷惑な場合 お手数ですが、このコメントを
削除ください。
よろしくお願い致します。