緊張が強い子 と 心と心が近づく時、お互いの絆が生じる時 1で
こんなことを書きました。
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そんなときに、外からは、雰囲気が悪くなっていく中で
これといったことをするでなく、後味が悪いまま時間が過ぎていったように見えても、
緊張が強いその子とわたしの心と心は、それまでにないほど近づいて
絆のようなものが生じたのを実感することがあります。
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突然のアクシデントに気を取られているときも
子どもの出す「小さなサイン」に気づくことの大切さをいつも感じています。
「気づく」なんて、外からはわからないほど地味な行為ではあります。
でも、子どもとの信頼の絆は、「気づく」というささいな行為の重なりの上に
築かれていくのを実感しています。
「小さなサイン」には、こんなものがあります。
一緒に活動するのを頑なに拒絶している子が、ずいぶんあとになって
ほかの子らのしていたことを真似ようとしたり、
ほかの子の遊び道具に触れていたりすることがよくあります。
そうした姿から、「だんだんほかの子のすることに興味が生まれてきている」
「好奇心が動き出している」という子どもの気持ちに気づくことがあります。
そんな時期に、集団への活動に参加することを無理強いすると逆効果です。
自分から集団に入っていきにくい段階の子には、その子のところへ
ほかの子に来てもらうのもひとつの方法です。
それより、後から遊びを真似ようとしている子のもとに、ほかの子を呼んで、
「どうやってするの?教えてちょうだい」と頼んだり、
遊びが成り立つように取り持って人との関わりの成功体験を積ませていきます。
こんなとき、ユーモアがとても役立ちます。
ちょっとしたことをきっかけにいっしょにゲラゲラ笑う経験をすると、
緊張の強い子たちも関わり方のコツをつかんでいきます。
残酷なことを口にしたり、遊び方が乱暴でお友だちを驚かせてしまうような子には、
子どもと子どもの間に入って、大人が適度なクッション材になるようにしています。
緊張が強い子たちがお友だちと関わり始めた時、ちょっとしたことで攻撃的に相手を
ののしったり、おふざけのつもりや、思い通りにいかない場面の仕返しに、
相手に手をあげることがあります。
繰り返すので反省がないように見えても、感情がコントロールできないことを
その子自身が一番気にしていることはよくあります。
声が裏返るような興奮した口調で残酷な言葉を吐いていた子が、
次第に冗談半分に甘えた様子で残酷な言葉を口にするようになったなら、
子どもの心は変化しはじめています。
次回に続きます。
この言葉に心が打たれました。
最近本を読んでいて、子どもの言葉の裏に潜む意図を汲み取る大切さを痛感していました。日々の生活の表面に気をとられて、大事なことをたくさん見逃していました。大人の常識で子どもを判断できないなあと。
あのときこうしていればと過去にもどりたい気持ちになるときもありますが、そんなこと悔いても今の子どもたちや自分を否定しているだけだし、自分も子どもたちも精一杯生きているのだから、きっと今が一番のかたちなんだろうなとも思っています。
まだまだ母親の“こつ”を得られない、手探りの状態です。なかなかプロの母親になれないけれど、少しずつ気付いているから良いかな。子どもは日々の生活で成長があまり見られないように見えても、振り返ると短期間にずいぶん成長しているので、子育てできているのだと自画自賛。
いつもたくさんのアドバイスありがとうございます。
内容がどう、というよりLet it go(ありのままで~)の歌が、うちの子も含めてみんな好きなのだなーという感想でした。
この歌のどこがこどもたちの心を捉えるのだろう?とつらつら考えている中で、この歌のちょっとロックな、というか少し痛みを伴う感覚はなんだろうって探っていたのですが、もしかしてこれが自分を開いて、閉じられた快適な世界から飛び出す時の痛みかな、なんてふとおもいました。
ひとりごと的なコメントで失礼しました。また気が向いた時に続きお待ちしています。