児童館の館長さんの心配は
ある地域の限られた子どもたちの姿ではなくて、
ごく普通の大多数の子らが大人の管理を離れて、
自由な遊び時間を手にした時に陥る姿だと思います。
虹色教室では、子どもの創造的な活動に対する意欲が生まれやすいように、
お友だち間の学び合いや協力が起こりやすいように
さまざまな工夫を凝らしています。
物作りの技術を身につけつつ、
人と響き合う楽しさ、アイデアを出し合う面白さ、
自分の全エネルギーを無駄にも思えるような何かに投入してみる満足感、
問題を解決した時のスカッとする気持ちなどを味わうことができるような
環境を物の面でも人の面でも整えるようにしているのです。
そうした種まきや地道に心を耕す過程があってこそ、
子どもたちが主体的に遊びを生み出して、お互いの心を共鳴させあいながら
楽しい時間を作りだすことができているのです。
また遊びがそのまま学びの好奇心になり、学ぶ時の姿勢になり、学習動機や意欲にも
つながっているのです。
子どもたちはみんな現代っ子ですから、もともと想像力や創造力が豊かで、
自分で考えて遊びを作りだし、お友だちと協調して遊び、問題が起これば解決することができる子というのは
ごくわずかです。
教室に来ている小学生にしても、こちらが遊びを豊かにする方法を伝え、
子どもの心に「豊かさのある面白い遊び」という火を灯さなければ、
それぞれ好き勝手に自分で完結する遊びをしようとしたり、
遊びもしないのに教室を散らかしてまわったり、室内でボール投げをしたりして
ゲラゲラ笑い転げる……という児童館の先生が嘆いておられた「破壊する遊び」だけに興じるところがあります。
それが幼児期に聞き分けよく育ってきた小学生たちが好む遊びだからです。
そんな子どもの遊びの世界の質の低下を目にすると、大人たちは教育のことばかり語り合っていていいのかな、
と疑問を抱きます。
子どもの遊び世界とはそのまんま子どもたちの内面世界の現れではないか、
と感じるのです。また、子どもの生きている世界の投影でもあると思われるからです。
子どもの遊びの世界が衰退し、瀕死の状態にあるということは、
子どもの内面世界が枯渇し、子どもを取り巻く環境が寂しいものとなっていることを
伝えるSOS信号とも受け取れるからです。
次回に続きます。