虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

ろうそくを使った実験 と 世界遺産の3Dパズル

2012-11-21 17:28:00 | 通常レッスン

小3の子どもたちと、ろうそくを使った実験をふたつしました。

 

ひとつめは、コップがお皿の水をすいこむ実験。

わかりやすいように水に食紅を混ぜています。

 

もうひとつは水を入れたコップを燃やす(水を入れている部分)実験。

 

燃やすといっても水が入っている部分は火がつかないのですが、

コップの底の縁が少し燃えていくのを見て、子どもたちはヒヤヒヤしていました。

               

これらの実験は、『手作り科学おもちゃ』(主婦と生活社)という本に載っています。

 

その後の算数タイムで、難しい問題をさっさと解き終わった●くん、☆くん。教室に飾ってあった世界遺産の

立体パズルを作りたがりました。(えらくすばやく勉強を済ませると思ったら、終わった後で

もうひと遊びしたかった模様)

ふたりで協力してシドニーのオペラハウスを作りました。

 

 

 


ボードゲームで急成長。IQ158の4歳児さん

2012-11-21 14:42:51 | IQ 小学校受験
(過去記事です。現在、☆ちゃんは科学クラブと算数難問研究部に入ってくれています)
毎月レッスンに来てくれている4歳10ヶ月の☆ちゃんが
幼稚園で『ビノー田中式知能テスト』というのを受けてきました。

するとあまりに知能が高かったので上限を超えてしまい
テストをした方に別室で質問を受けて、手作業で計算する部分も加えてもらうこととなり
結果はIQが158もあったそうです。
 
当時の☆ちゃんは、
プリントやワークの学習をしたことがありませんでしたから、
初めて見る問題を潜在的に持っている力で解いていったはずです。

☆ちゃんはお外遊びが大好きというおてんばさん。

虹色教室に初めて来たときは、
「とにかく外が好きで、ちょっとお勉強が苦手そうな感じです」
というお母さんの言葉でした。

私は☆ちゃんが遊ぶことがとにかく大好きで
ボードゲームで喜んで遊ぶ様子を見て
今後すばらしい成長を見せてくれる子ではないかな?
と思いました。

☆ちゃんとは毎月ボードゲームや工作を存分に
楽しんでいます。
あるとき、☆ちゃんが楽々と「Aの3、Bの5」と
座標を読むので「すごいですね。☆ちゃん座標がきちんと読めますね」と
感心すると「たまごっちのボードゲームのおかげなんです。」
というお答えが返ってきました。
教室で遊んで以来、☆ちゃんが大のたまごっち好きになったので、
お家用に購入して遊んでいたらしいのです。
☆ちゃんはそうしていろんなゲームで遊ぶうちに
空間認識も言語理解も目に見えて育ってきました。

それにしてもIQ158というのはすごいですね。
虹色教室に通ってきてくれている子は
IQのテストを正式に受けた子は少ないのですが、
だいたいどの子も☆ちゃんと同じレベルの能力を持っています。
ボードゲームや工作、さまざまな遊びに没頭するうちに
どの力もバランスよく伸びていっていると思います。

遊びの力の大きさを強く実感しました。

3歳児さんたちの算数遊び

2012-11-21 13:10:04 | 算数

3歳3~4ヶ月の子どもたちの算数タイム。

 

「見えない数をイメージする」遊びをいろいろしていると、

目の前の数を数えるだけでなく、

足したり引いたり分けたりした後でどうなるのか

推理する力がついてきます。

集中力も身に付きます。

 

ぞうの人形、三体に布をかぶせて、

「ぞうは何匹いたかな?」と質問。

「4?」「1?」など間違えるのも大事。

布をめくってみて

正しい数を数えて、「そうか~」と思うことで

記憶力が増してきます。

 

きりんの人形をいくつか持って、

手を後ろにまわして、「きりんは何匹でしょう?」

といったクイズを子どもに出させます。

問題を出す先生役をする時も、自然に、

数をイメージして、「ちがうちがうもっと多いよ」と言ったりします。

そうした数を当てる遊びをするうちに、数をイメージするのが上手になってきますよ。

 

電車を手にして「電車のドアはいくつでしょう?」と問うと、一方の面のドアを数えて、

「1、2、3、3だ」といい、もう一方も数えて、「1、2、3、3だ」と言っていた☆くん。

「電車のドアだからね。1、2、3、4、5、6、6だね」と合わせて数えるところを見せると、

了解して、自分でも上手に数えることができました。

 

ただ数えるだけ、いくつあるのか当てるだけの遊びも、

数えるものによって「そうなのか!」という驚きや、「数えるのって面白い」という

ワクワクする気持ちが生まれてきます。

 


常識やイメージの世界わかりはじめることからくる笑いのポイント

2012-11-21 12:38:24 | 幼児教育の基本

過去記事です。

 

4歳児さんたち(4歳になったばかりの子3人と4歳7カ月の子1人)のレッスンで。

このグループには、ペロ嫁の工作de知育な日記NEW

の4歳になったばかりのペロ子ちゃんも参加してくれています。

 

数日前、3歳児前後~3歳7カ月の子というこのグループの子たちより

1歳年下の子らのグループレッスンがあった時のこと、

3歳児さんたち、言うことなすことあんまりかわいいもんですから、

それぞれの子のお母さん方は胸がキュンとなった様子で、

帰り際に、「かわいすぎる~」「ずっとこのまま大きくならなければいいのに~」と口々につぶやいて

おられました。

 

それに大きくうなずいていたわたしですが……。

それが、それが……4歳児さんたちが来たら、4歳児さんたちが最高におもしろかわいいし……。

5歳児さんたちが来ても、6歳児さんたちがきても……小学校高学年の子らが来ても、

やっぱりそれぞれが、思わず微笑んでしまうかわいらしさで……本当に、子どもたちには、

日々、癒されています。

 

前置きが長くなりましたが、

今回の4歳児さんたち、ちょっと自分を抑えることができるようになって、

おりこうになってきました。

 

ひとりの子が魅力的なおもちゃで遊びだすと、他のひとりが、「か~し~て」と言います。

そこで、「いいよ」と次の子におもちゃが渡るのですが、

その瞬間、別の子が、「か~し~て」と言うもんですから、

おもちゃは再び、次の子の手に。

そうするうちに、最初に遊んでいた子が、最後にそのおもちゃを手にしている子に、

「か~し~て」と言いますから、誰ひとり、1分たりとそのおもちゃで遊ぶことなく

おもちゃがぐるぐる子どもたちの間を回っているということが多々あります。

 

 

わたしが感心した様子で、

「みんな、お姉さんねぇ。お友だちにか~し~て、と言われたときは、

かしてあげるの?」とたずねると、

「そう、そう」とこっくりします。

「あのね、この間、赤ちゃんたちと遊んでいた時に、

おもちゃ、か~し~て!と言ったら、赤ちゃんったら、そのおもちゃを自分のお口に入れるのよ。

もういちど、か~し~て、と言ったら、今度は、ポーンとそれを投げるんだから」と言うと、

子どもたちはゲラゲラ笑いながら、「赤ちゃんはね、そういう風にするのよ~」と教えてくれます。

「でも、うちの●くんは赤ちゃんだけど、か~してって言ったら、はいっ、てかしてくれるよ」と

説明してくれる子もいました。

それから、ちょっと誇らしそうに、

「わたしたちは、4歳だから、お友だちにかしてあげるもん」と胸をはっていました。

 

こんな風に、赤ちゃんたちの行動をゲラゲラと笑っていた4歳児さんたちの様子を、

小学生らのグループで話すと、

遊びもしないで、かしてって言われたらはいって渡すなんて……!それじゃ、いつまで

たっても遊べないじゃない!」と言って大笑いしていました。

それぞれの年齢で、笑うポイントがちがいます。

 

4歳児さんたちが大笑いするポイントって、

3歳児さんとはかなり質が異なってくるように思います。

常識やイメージの世界がわかりはじめることから、

ユーモアを感じとる感受性が高まってくるようなのです。

 

今回のレッスンで、子どもたちが木製のおもちゃのケーキに木でできたろうそくを

さしてわたしに届けてくれるというシーンがありました。

このろうそくには、木でできた赤い炎がついています。

わたしが吹いて消す真似をすると、

子どもたちが口々に、「先生、それは、木だから消えないよ」と言います。

すると、「これは、真似だから」とみんなに説明している子もいました。

 

わたしが、「じゃあ、見ていてね。本当に火を消すからね」と言って、

ギュッと目を閉じて、「あっ、見えない、見えないから、火が消えちゃったよ」と言うと、

子どもたちはよほどおかしかったらしく笑い転げながら、

「おもしろい、おもしろい~」と黄色い声を出していました。

 

4歳ともなると、わたしから世界がどのように見えているかを

了解して、そこから生じるユーモアを感じとることができるんだな、

と楽しい気持ちになりました。


働いているお母さんと子どもの小さなボタンのかけちがいについて ②

2012-11-21 09:05:29 | 日々思うこと 雑感

お母さんと離れている時間が長い子がようやくお母さんに会える短い時間は、

お母さんの側からすると、わが子の姿を目にできる貴重な時間でもあって

その短さゆえに、子どものしっかりした姿を目にしたいという期待の濃度が高まる、といったことを書きました。

子どもが家庭で自発的に学ぶ姿を見たいし、

遊ぶにしても創造的で知的な遊びに興じる姿を見たい、と思っても、

子どもにすればそうできない事情があるのです。

 

というのも、ある場所で何かに熱中してエネルギッシュに振舞うには、

学びにしろ遊びにしろ、それまでその場所で、

「うまくいった」「やってみたら楽しかった」「ここでこんなことをすると、お母さんがそばにいてくれるから心地いい」

「こんなことしたら楽しかった」「上手にできてうれしい」という体験をしながら

自分の芯となるものを育んできたかどうかにかかっているのです。

 

子どもという存在さえいれば、勝手に創造的に遊びを発展させていくわけでもないのです。

たとえば上の写真は、教室で電車好きの子らがいきいきと遊んでいる姿ですが、

 

この子たちがこんな風に楽しく遊べるのには、

「教室で前に線路を使って遊んだとき、かんかんってふみきりつけたら面白かったな。

ぼくはいろいろすごいことを思いつくことができるんだ。自分で考え付いたら

楽しくなるんだ」

「お母さんはこうしてって頼んだら、きっと心よく手伝ってくれるはず」

「線路をななめにもできるし、下をくぐらすこともできるし、上におくことだってできる。

おもちゃが足りなかったら、作ればいい」

といった気持ちを、大人に手間と時間をかけてもらって

その場所で体験したことがあるからなのです。

 

わたしたち大人にしても

勝手の知らない他所の家に行って

テキパキ動くのは大変ですよね。

もちろん共働きの家庭の子どもにとって家庭は勝手の知らない他所の家なんかじゃありませんが、

「学び」や「遊び」の場としては、「あ~っ、前に○○したの面白かったな。またしてみようかな」と

過去の創造的な体験を思い浮かべるには、

それまでのわくわくしたり、じっくり取り組んだりした体験の量が少なすぎるということも

あるのです。

 

だからしょうがないんだ、というのではなく、

濃度の濃い期待を投げかけるのをやめて、

「本当に小さくてささやかなものでいいから、短くていいし、あれこれおもちゃを出さなくても

おしゃべりだけでもいいから、

子どもと心がポカポカするような時間を作っていこう!」

と心を切り替えてみると、

急速に子どもとの関係がよいものに変わっていったという話を耳にすることがあります。

 

働いているお母さんというのは、本当はいつも子どもと過ごしているお母さん以上に

子どもを恋しくいとおしく思っていて、

仕事をしている分、子どもに対しても根気よく子どもの立場に立って考えてあげられる力を

持っている方が多いのです。

また子どもにしても、一日中、お母さんに会うのを待ち焦がれていたのですから、

お母さんとワクワクする楽しい時間を過ごせるなら、それがたとえ短い時間でも、

ちょっとした褒め言葉や「大好きよ」という言葉でも

心に染みわたって、「いい子になろう」「がんばろう」という素直な向上心を

抱くようになりやすいのです。

 

1ヶ月ほど前に、

専門的なお仕事で多忙をきわめておられるお母さんと

家でダラダラテレビばかり見て、反抗的ですねた態度ばかりとっていた★くんの関係のこじれを

どうやって修復していったのか、記事にさせていただいたことがあります。

 

★くんの激変ぶりに、「★くんのお母さんが具体的に何を変えたのか教えてほしい」という質問がコメント欄にきて、

★くんのお母さんが直接お返事をしてくださいました。

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オレンジママさんからご質問があったので・・・
私は昨夏に、ムスコが感情タイプの子であること、自己肯定感が低くなっていることなどを教えてもらいました。
繊細なタイプのムスコは、保育園生活の中でかなりがんばっていたんだな、と分かったので、危険なことと礼儀以外は(なるべく)叱らず大目に見て、スキンシップを心がけました。
それと、玄関の鍵は兄だけが持っていい(妹は持てない)とか、エレベーターのボタンは兄が押す、とか、仕事で使う封筒にシールを貼る、とか・・・ほんのささいなことですが彼だけの役目を持たせて、いてくれて助かる~!ありがとう!とやっているうちに、本当にこんがらがった糸がほぐれるように、すねた態度がなくなり素直になりました。
今、ホントにムスコがかわいいです(^^)
今回のレッスンでもう少しゆったり過ごす時間が必要というヒントをいただいたので、さっそく実践しはじめました。
保育園から帰ってくると、好きなテレビとごはんの時間が重なってしまい、ついつけたまま食べていたのですが、テレビを消しておしゃべりするようにしました。今まで聞けなかった話が飛び出てきて、面白いことを考えているんだなーと、またまた新しい発見です。
ノーと言えない流されやすいムスコに不安を感じていたところでしたが…よく考えたら、はっきりイヤと言いなさい!なんていわれても言えないですよね。
今は少し助けてあげながら、これからたくさん自信をつけて、自然に意志が表現できるようになっていけばいいかな、と思いました。

 

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★くんの近況とそれまでの経緯を記事にしたものを紹介しますね。

半年ほど前、ユースホステルのレッスンではかなりの困ったちゃんぶりを発揮して

四六時中、お母さんを手こずらせていた★くん。

家でも外でも、どうしようもないところまで、

お母さんを怒らせてしまわずにおれないような複雑な心理状態に陥っていたのです。

それがユースホテルでのレッスン後、

お母さんが★くんへの見方や関わり方を変える努力をされたそうで、

少しすると、「見違えるようにしっかりして、保育園の先生からもよく褒められる

ようになりました」という連絡をいただいていました。

(その時の★くんのユースホステルでのレッスンの様子は↓の茶文字の記事に書いています)

 

そして、昨日、久しぶりに★くん親子と再開しました。

年長さんに進級し精神的にグッと成長したように見える★くん。

 

お母さんに対しては素直で明るい態度。

妹には優しく根気のいい態度で接するように

なっていました。

以前の★くんの姿からすると、まるで別人のようでした。

 

教室に着いた★くんにやってみたいおもちゃを自由に選ばせたところ、

写真のような頭脳パズル系のおもちゃばかり選んで遊んでいました。

どのおもちゃにもじっくり関われていました。

また工作では、がちゃぽんや野球ゲームなどを

積極的に作っていました。

半年前まで、

だらだら寝ころんだり、お母さんに口答えをしたりして

活動にいっさい参加しようとせず、ずいぶん幼い印象があった★くんの内面に

知的好奇心や向上心がこんなにも潜在していたなんて、

信じられないほどでした。

最レベの算数の文章題にもしっかり取り組めました。

ルールに配慮しながら、物を分ける問題です。

 

★くんのお母さんは、「素直で聞き分けがよくなった上、お友だちや妹を大切にするし、園での活動も

しっかりがんばっているので申し分ないのですが……」と前置きした後で、

「園で過ごす時間が長いので疲れるのでしょうが、家ではテレビばかり見ているのが

気になります。妹は家でも、切ったり貼ったり絵を描いたり……といろんなことをして過ごしているのですが、

★は何時間でもテレビを見ているんです」とおっしゃいました。

 

「集団生活の時間が長いから確かに疲れているんでしょうね。

★くんは教室のさまざまなおもちゃにしっかり取り組めていますから、

家でもテレビより面白いと感じるような遊び道具がいくつかあると、

テレビに固執しなくなるかもしれません。

 

それか見ているテレビの内容に大人も興味を持って、

遊びや物作りに活かしていくのも方法かもしれません。

テレビの男の子向けアニメが載っている雑誌ってありますよね。

ああいうのを買って遊んでみるのもいいのかも」

と言ったところ、

ちょうど行きの新幹線で戦隊物が載っている雑誌を買ったばかりという返事が返ってきました。

 

ごくたまにこうした雑誌を購入しているそうですが、付録などはお父さんが全て

作ってあげているそうです。

 

★くんは、「すごろくもついているんだよ!」と興奮した様子で雑誌をわたしの前にひろげました。

準備もルールもややこしそうなすごろくでしたが、

★くんがずいぶん乗り気だったので、

いっしょに作ることにしました。

★くんが最後までねばり強く材料を組み立てていたのと、複雑なルールをしっかり理解していて

ゲームしている姿を見て、

★くんのお母さんは、「こんなに自分でできるんだね。知らなかったわ。こんなことができるなんて、

本当にびっくりしたわ。今度からいっしょに作って、いっしょにいっぱい遊ぼうね」と

何度も繰り返していました。

★くんのテレビの視聴時間が楽しい創造的な遊び時間に代わっていくといいですね。

 

↓記事の後ろの方に以前★くんと過ごした時の出来事について

書いています。

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先日、小学5年生の●ちゃんの国語の入試問題の採点をしていたときの話です。

『セロ弾きのゴーシュ』からの出題で、ゴーシュの性格は設問で「繊細」と表現されていたのですが、

「繊細な性格」とは「気が優しい」こととイコールで結ばれると思っていた●ちゃんは

間違えてしまいました。

 

そこで、「家族や友だちのような身近な人のなかに、繊細な人っているかな?」と問いかけて、

「繊細な性質」というのは、「感受性が強くて、他の人なら気にならないような小さな刺激にも過敏に反応したり、

感情が細やかでいろいろなことによく気づいたりする性質のことよ。

そういえば、◎くんとか、神経が細かくて繊細かもね。」と説明すると、

 

「あーうちの弟の◎くん、それそれそれ!!だって、そんなん気にしてどうするの?ってことで、

急に、ぐずぐずいややーとか言いだしたり、優しいんだけど、気にしすぎ?ってところが

いろいろあるのよねー」と●ちゃんが興奮して応えました。

 

●ちゃんと、ゴーシュの性格やら、繊細な人の特徴やらでの話で盛り上がった後、

赤木かんこの『日本語ということば』という著書の中で、

 第47回全国小・中学校作文コンクールの優秀賞受賞作品で

小学校2年生の女の子、中村咲紀ちゃんの

『セロ弾きのゴーシュ』

の感想文を目にしました。

読み進むうちに、いろんな思いが込み上げてきて涙がこぼれてしまいました。

 

咲紀さんは、ゴーシュについて次のように分析しています。

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「ひとりぼっちでだれにもあまえることができないゴーシュは、おこられるといつもそうやって、

くやしい気もちも、かなしい気もちも、いやだと思う気もちも、みんながまんしたのです。
 ゴーシュは、ぼろぼろないたあと、気をとりなおして、

じぶん一人だけでれんしゅうをはじめます。でも、わたしは、

ゴーシュのがまんが、一生けんめいれんしゅうする気もちにつながるとは思いません。
 だれも気がついていないけれど、ゴーシュの心の中には、

へんなものがたくさんつまっています。へんなものというのは、

その人によってちがうけど、じこまん足だったり、つよがりだったり、

がまんのしすぎだったり、色んなものがあります。そういうへんなものが心の中に入っていると、

本当のじぶんがちゃあんと見えません。ゴーシュは一生けんめいれんしゅうしているつもりだけれど

本当のじぶんがちゃあんと見えていないので、本当のれんしゅうができていないのです。

本当のじぶんをちゃあんと見ないでどんなにがんばっても、まちがったがんばりかたしかできません。
それは、本当のがんばりにつながりません。」
( 略)

ゴーシュはあとになって、この時のことを「おれはおこったんじゃなかったんだ」

と言っています。わたしもそうだと思います。
 ゴーシュは、本当は、本当のじぶんをしっていたんじゃないかと思います。

でも、本当のじぶんはとてもひどいので、見ないようにしていたんだと思います。

それなのに、かっこうにだめなじぶんを見せられて、そのだめなじぶんにカッとなって、

そのむしゃくしゃをかっこうにぶつけてしまったんだと思います。

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この感想文を書いている咲紀さんは、妹が生まれたときに、素直に甘えられなかった経験があるそうです。

お母さんがだっこしてあげようといっても断って、

 

「まきがおかあさんにだっこしてほしいと思った時、いつでもだっこしてもらえるように、

わたしはもうだっこしてもらわなくていいの、まきがだっこしてほしいと思った時、

わたしがだっこしていたら、まきがだっこしてもらえないでしょう」

 

と言うのです。

咲紀ちゃんはこんな回想もしています。

 

 わたしは、もう一ついえなかったことがあります。わたしは、

マクドナルドのハンバーガーが食べたかったのです。

ようちえんで、みんなが、「マクドナルドで何食べたあ」なんてはなしているのをきいたり、

となりのいえのマーくんが、マクドナルドのおまけのおもちゃを、たくさんもっているのを見たのです。

わたしは、年中のころから、ずっとマクドナルドが食べたかったけど、

おねだりできませんでした。マクドナルドはたかいだろうと思いました。

おとうさんは、マクドナルドは食べない人だろうと思いました。

 

小学生になった咲紀ちゃんは、ようちえん時代の自分を次のように振り返ります。

 

 今考えると、わたしの「がんばるぞ」は、本当の「がんばるぞ」ではなかったと思います。

「つらいのがんばってがまんするぞ」の「がんばるぞ」だったのです。

わたしは、へんなものがいっぱいで、じぶんじしんもまわりの人も、

何もかもちゃあんと見ることができなかったと思います。わたしは、

だれにもあまえないで、心をきつくしてぼろぼろないていただけだったのかもしれません。

だから、いくらがんばっても、つらいことばかりだったのだと思います。

私のがんばりは、がまんするだけで、本当のがんばりにつながらなかったのです。

わたしはゴーシュだったと思います。

 

 咲紀ちゃんは思いきって、おとうさんに言いました。「マクドナルドのハンバーガーが食べたいのでかってください」とたずねます。

すると「いいよ」とあっさりした返事がかえってきたそうです。

 

わたしはびっくりしました。そんなにかんたんに「いいよ」なんて言われると、わたしはびっくりするタイプです。

 

と咲紀ちゃんは綴っています。 

咲紀ちゃんは次のようにも書いています。

「おかあさんはね、さきがいつあまえてきてもいいように、

いつでもさきがあまえてくるところをあけてまっているの。見えなかった?」と、おかあさんは聞きました。
 わたしは見えなかったのです。でも、今は見えます。

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咲紀ちゃんの洞察力と分析力には驚きが隠せないのですが、

私が一番心を揺るがされたのは、

咲紀ちゃんほどの表現力も文章力もないかもしれないけれど、

感受性という面で、同じくらい敏感に感じ、考え、体験を心に浸透させていく

感情が優れている子たちのことが思い浮かんだからです。

そういえば、うちの娘も幼稚園の頃から、あれこれと鋭い人間関係や人の心や感情に関わる指摘をする子でした。

私が自分の子育ての誤りに気付いて、方向転換することを決意したのも、

娘の敏感さと全てを悟っているかのような人間関係や感情の世界への洞察力に触れて、

子どもだからといって自分の意のままになる相手ではないことや、

人の個性のすばらしさは、既存のテストの点だけでは測れないことに気づいたからでもあります。

 

9月のユースホステルのレッスンに、お母さんと気持ちが噛み合わなくて、

しじゅうぶつかってばかりいる感情が優れている5歳の男の子、★くんが参加していました。

すねて床にひっくり返っている時に、私がそっと頭を撫でに行くと、

その表情に何とも言えないくらい優しい愛らしい満面の笑みが広がって、

素直に誘いかけに応じる様子が目に焼き付いて消えませんでした。

 

★くんのお母さんは温和でがまん強い方で、決して無茶な叱り方をするタイプではありません。

★くん自身が、甘えたくて仕方がなくて、お母さんが大好きなのに、

どうしようもないところまで、お母さんを怒らせてしまわずにおれないような複雑な心理状態に陥っていたのです。

 

でも、本当はそうした態度の背後に、透き通るような純粋なかわいらしい性質が隠れていて、

荒れに荒れている最中にも、

静かに、「いっしょに~へ行こうか?」と呼びかけると、嬉々として飛び起きて、

自分からこちらの手を握り締めて

照れながら、そっと甘えてくる姿があったのです。

 

成長してから、素直になれなかった自分を振り返る

感受性豊かな咲紀ちゃんの文章を読むうちに、

その姿がいつのまにか★くんの笑顔の記憶と重なっていました。


働いているお母さんと子どもの小さなボタンのかけちがいについて ①

2012-11-21 08:57:44 | 日々思うこと 雑感

保育所などに子どもを預けて

働きながら子育てをしているお母さんとお子さんの関係に

小さなボタンのかけちがいが起こって

何だかややこしいものになっているのを見かけることがよくあります。

 

 小さなボタンのかけちがいってどういうものでしょう?

 

よく相談をお受けしたり、関係がこじれていくのを目にするのは

次のようなケースです。

 

働いているお母さんからすると、

家での子どもの態度やできることにやや不満があるというか……。

 

 

つまり他の子らより幼く感じたり、意欲が乏しいように見えたり、呼んでも知らんふりだったり、

テレビやゲームの固執したりする様子が気になることがあるようです。

でも、働いているため、十分構ってあげられない罪悪感があったり、

用事がたくさんあるので現実的に子どもと衝突する暇もエネルギーもなかったりするため、

その「もやもや」を保留にしたまま日々の忙しさに追われがちです。

 

そうするうちにお互い相手の心がよくわからなくなって

親子関係が表面的で何だか寂しいものになっていくことがあるようなのです。

 

働きながら子育てするのは本当に大変です。

 

少し立ち止まって親子関係を豊かなものにする工夫を凝らしたり

お互いの気持ちのずれを修正したりする時間も

なかなか取れないかもしれません。

 

そこで生活はそのままで

ちょっと視点を変えたり、子どもへの対応を変えるだけで、

親子関係が実りあるものになっていくコツを紹介しますね。

 

先ほど次のようなことを書きました。

<働いているお母さんからすると、

家での子どもの態度やできることにやや不満があるというか……

つまり他の子らより幼く感じたり、意欲が乏しいように見えたり、呼んでも知らんふりだったり、

テレビやゲームの固執したりする様子が気になることがあるようです。>

 

 

もちろん働いていないお母さんだって、子どもの態度やできることに不満はあるし、

子どもの発達やすることが気になるはずです。

それはそうなのですが、仕事を持っていないお母さんのそれと、仕事を持っているお母さんの

それはちょっと性質がちがうな、というのがわたしの印象です。

また子どもの態度や姿そのものも、仕事を持っていない方のそれと、仕事を持っていない方のそれは

ちょっと質が異なるのです。

 

仕事を持っているお母さんは常に社会と接触していて、

たいてい、時間内に義務を果たしたり、時間内に何らかの成果を残すような

「お仕事モード」に心のチャンネルを合わせて過ごしています。

 

「お仕事モード」のチャンネルは、ものの見方や、感じ方や、価値観や、考えの展開の仕方も

お仕事向きに調整されているはずです。

「お仕事モード」にチャンネルをあわせられることは、責任感を持って社会と関わっていくために

必須の能力です。

 

でも仕事中はもちろん、仕事が終わってたとしても、

「オフモード」に切り替えられないと

あれこれ微細な問題が生じてくるようです。

といっても家に帰っても家事や子どもの世話に追われる主婦は

そうやすやすと「オフモード」に切り替えることができませんよね。

 

そこで、自分が、ものの見方や、感じ方や、価値観や、考えの展開の仕方などの何が

「お仕事モード」のままになっているのか意識しておくことが大事だなと感じています。

切り替わってないものは切り替わってないな、と知っておくということです。

 

そうでないと「お仕事モード」の価値観と正反対の世界で生きている「子ども」に

チャンネルを合わせにくくなってくるからです。

 

 

保育所などの集団生活の場で長い時間を過ごしている子は、

帰宅する頃には、すっかりエネルギーを消耗していて、

テレビでも見ながらダラダラゴロゴロしていたいと思うことが多いようです。

人とずっといっしょにいれば、そりゃ身体も心も疲れるはずです。

おまけに幼い子には、お母さんが近くにいない寂しさに耐える

苦行も加わります。

 

ですからお家に帰ったら、長距離走を走りぬいたランナーみたいに、

ひたすら消耗したエネルギーを充電して

翌日に備えたいと感じているのかもしれません。

 

でもお母さんと離れている時間が長い子がようやくお母さんに会える短い時間は、

お母さんの側からすると、わが子の姿を目にできる貴重な時間でもあります。

 

その短さゆえに、

「成長をこの目で確かめたい」

「個性や才能を実感できるようなアウトプットを見たい」

という期待は、濃度が濃いものになりがちです。

 

もちろん、そうした期待を投げかけるのも忘れるほど忙しい場合もあるのですが、

それはそれで、

「(親も)忙しいし疲れているから、自分でテキパキ動いてほしい」

「手をわずらわせずに自立してほしい」

という別の形の期待が高まるようです。

 

おまけに仕事の世界では、時間内に目に見える結果を出すことに価値が置かれていますから、

その価値観に染まれば染まるほど、

リラックスしてダラダラしたり、感情を表現したり、無意味な遊びに興じたりすることなんかからは

何の価値も見出せなくなりがちなのです。

本当は、疲れたときに身体を休めることはとても意味があることですよね。

 

他所の子が「こんなことができるようになった」「あんなこともできるようになった」

という話を聞くと、ちょっとあせりもします。

そうしてちょっと不安になって、「わが子に何かさせたい」「がんばってほしい」と思って

接する短い時間に、

子どもはというと、「疲れたから休みたい。もう何もしたくない」

「いやなことをたくさん我慢してイライラが溜まっているから発散したい。ただただ泣き叫びたい」

という心境であるのは自然なのです。

なぜながら子どもにすると、お母さんと過ごす貴重な時間は、

「もう少しもう少し」と我慢を重ねた後にようやく手にした

息継ぎの時間なのですから。