虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

「障害のある子の親は哲学を生きる」という言葉と「障害のある子自身も哲学を生きる」という話

2012-06-01 15:09:34 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

 

まわりの子が学習もスポーツもしつけもよくできるのであせります 1

 

の記事に次のようなコメントをいただきました。

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奈緒美先生が、度々思考するための言語、「内言」の発達について記事にして下さっていますが、わが子にもなんとか身に着けようと取り組み続けてきました。

その過程で、(ネットや書籍で情報収集している間)難聴児、帰国子女、生まれつき言語に弱みを持つ子の共通の困り感は思考する言語が育っていないことだと知りました。

そして、原因は違うものの、言語のトレーニングに共通する部分が多々あることに驚かされます。しかし、そのことに気付いている療育関係者等、子供にかかわるお仕事の方に相談に行くと知らない方ばかりでした。早く共通認識して頂ければ、親の負担(同じことを何度も違う相談機関で説明しなければならない)が減り、消耗を防げると思うのですが。

稲城市難聴児の会の橋倉さんの手記に感銘を受けたので、先生にも読んで頂きたくてこちらに転記します。

「障害のある子の親は哲学を生きる」
障害のある子を育てていると、本当にいろいろなことを考えます。生きるって何?幸せって何?普通って何?そして障害を持って生きる意味は何?など、初めて障害と相対した時だけでなく、折に触れ、節目節目に人間にとって根源的なことを問い直さねばなりません。私自身は「障害受容」「障害克服」という言い方は嫌いで、障害は受容するものでも克服するものでもない、ずっと自分のそばにたたずみ、一生をかけて自分に問いを発しつづけるものだと思っています。考えるのが苦手な方もいるでしょう。ことばでうまく説明できない方もいるでしょう。でもどのような方でも、きっと哲学をいきているのだろうなと思う時があります。どうぞ障害というものから目をそらさず、しっかり見つめてともに歩んでいってください。決して辛いことばかりではなく。真実に触れることのできる貴重な機会を与えてくれることと思います。

わが子から見て大伯父にあたる人は難聴の方でした。私にやさしい言葉をかけてくれる方でした。
亡き人に思いを馳せました。


子どもを授かる前に、「内言」という概念さえ持ったことがない、その獲得の大切さも知らなかった無知な私でした。
同じような方にご参考までに論文をご紹介させてください。
いずれも、ネット検索すれば読めます。

「きこえない子を育てた親から若いお母さん方に伝えたいこと」稲城市聴覚障害時をもつ親の会代表 橋倉あや子

「帰国子女教育の現場から-ダブルリミテッド/一時的セミリンガルからの脱出」 加藤真一・島田かおる 他4名(啓明学園初等学校・中学高校国際学級)

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心を打つコメントをありがとうございます。

「障害のある子の親は哲学を生きる」という言葉はその通りですね。

 

おそらく障害のある子自身も哲学を生きているのだと思います。

 

わたしにしてもADD傾向を持ってるだけに、

障害が、その重い軽いに関わらず

自分に向かって問いを発し続け、

何度も何度も繰り返し人生や世界の全てを底からさらってひっくり返すような思いを味あわせ、

人間にとっての根源的なものと対話させるものだな、と

しみじみ感じるのです。

 

どんなに他の得意な面で穴埋めしても、どんなに努力しても、

どんなに工夫を凝らしてそれによるリスクを減らしたところで、

持って生まれたハンディーキャップは自分の人生に影のようにぴったり寄り添って、

問いかけてくるものです。

 

ハンディーがあるということは、皆と同じにしていても「普通」にできないところがあるということで、

「普通」にできないことがちょっとでもあると、

それだけで責められたり、自尊心を傷つけられたり、選択肢を狭められたり

孤独を味わったり、恥をかいたりすることはしょっちゅうあるのです。

 

「誰だって得意もあれば苦手もある」「誰だってミスくらいするよ」という慰めの言葉は、

「普通」にできる最低限のことはできる前提の上で、投げかけられる言葉で、

がんばっても「普通」にできない何かがあれば

世間は容赦しないものです。

 

たとえ学校や職場など自分を取り巻く環境が、ひとつも責めなくなっても、

むしろほうぼうから持ちあげてもらって、苦手を避けて暮らせる環境に身を置けたとしても、

自分で自分をなさけなくなることはたびたびあるし、

一日一日が、まるで綱の上を渡っていくように足元が危うくて、

心もとないものであるのに変わりはないでしょう。

 

子ども時代からのわたしの困り感は、ワーキングメモリーが弱かったり(一方で全てを事細かく記憶していたり)、

聴覚の情報処理に問題を抱えていたり、気付かない間にしょっちゅう過集中状態に切り替わってしまったりすることや、

時間の感覚にゆがみがあることでした。

 

能力の凸凹の開きがあるので、どうしても「わざと」「怠け」「めんどくさがり」と取られるのは必須でした。

認知症のお年寄りみたいに今食べたものを思いだせないような記憶力の弱さに対して、

自分が関心を持っている事柄は録画した映像を観るようにリアルに思いだすことができてみたり、

何かしているとほとんど耳が聞こえなくなるほど耳を使ってすることに苦手があるかと思うと、

メロディーを耳コピーするのは得意だったり、

衝動性と集中力を四六時中抱えているかと思うと、

集中し過ぎて自分では1時間くらい経ったのかと思ったら、

6,7時間の時間が経過しているような困った時間感覚を持っていました(タイマーが欠かせません)から、外から見れば、

ただのわがままで気まぐれな子でしかなかったことでしょう。

 

そんな自分を生きていると、特に懸命にがんばってもがんばっても失敗続きだったり、

わざと適当にしているように注意された時には、

良心や他人への気づかいなんて投げ捨てて、冷酷非道な心で生きていこうと決意する人の気持ちが

よくわかりました。

そうすれば相手がどう思ったかなんて悩まずにすむし、相手の怒りを

涼しい顔で受け流すことができるでしょう。

 

自分がそうした投げやりな気持ちに身を任せなかったのは、

凸の部分の得意に誇りを持っていたり、

読書好きで自分が安らげる世界があったり、

母親が甘かったりといった条件から恩恵を受けていたからです。

それがなかったら、

一クラス40人なり50人なりいるなかで、「自分だけができない」「自分だけが普通じゃない」「自分だけが出遅れている」

という出来事の連続を耐え抜くことができたかどうか

定かではありません。

わたしにしても、大人になった今は生活に支障がでないくらいのささいな困り感に思えても、

子どもの頃は、「クラスで自分だけ」という事態に何度ぶつかったか……。

 

生得的なハンディーを持っていれば、自分なりのベストを尽くしていても、

日々、そうした痛みを飲み込み飲み込み、生活していかなくてはならないし、

おまけに他人からは、「わざと」という疑い付きで、責められたり罵られたり恨まれたりもします。

 

「普通」からこぼれる瞬間の孤独と不安と悲しみは、

底知れないものです。

まじめに正直に生きていても、たびたび周囲に迷惑をかけてしまう時には、

身が縮むような思いがします。

それから何度も何度も心を立て直して、這い上がって、自分や他人を許して、

自分自身と世界を新しい目で見つめなおしていく作業は、

また、そこで胸のなかに浮上してくるおびただしい「なぜ」を自分に問い返し、

自分自身で答えを探っていく作業は、

コメント中の橋倉さんの「哲学を生きる」という言葉とピッタリと重なるものです。

 

「どうしてわたしは……普通に達することすらこんなに難しいんだろう、

普通に生きることすらこんなに大変なんだろう」とという

自己否定感に呑み込まれがちだった若い頃は、そうした思いをどこまでも追いかけて行って

それを昇華するように詩を描いていました。

 

飛翔

や 

環状線

はそうした時期の願望や不安を描いたものです。 

 

影のように貼りついているハンディーは、選択肢を狭めし、世間一般で信奉されている成功路線から

はずれさせるかもしれないけれど、

残りものに福をもたらしてもくれるのです。

自分自身の持って生まれたもののなかにある宝の価値に気づかせてもくれるのです。

ひとりひとりの個性のすばらしさにも。

 他のことが上手くできないだけに得意なことに専念する時間を与えてくれもし、

人への理解の幅を広げてくれるものです。

 

わたしにしても常にわたしにトラップをかけて、とんでもない窮地に陥らせるもとだった

脳のタイプの偏りは、「極端な苦手」と「得意」が表裏一体でつながっているために、

事情を説明したらしたでかえって問題をこじらせてしまうことを承知していました。

でもそのおかげで、どういう場面で、どのような理由で、どのような状況の組み合わせで

自分の苦手があぶり出されてくるのか、

とりわけ耳の聞こえの問題とワーキングメモリーの不具合には常に泣かされてきましたから、

詳細に分析し、自分のなかにデーターを蓄積していました。

今思うと、そうして繰り返した自分の困り感の分析が、

現在の仕事で役立ってもいるのです。

 

そうした気持ちに至った時、『数えきれない太陽』という詩を書いたのを覚えています。

10代の終わりごろ書いたものなので、つたない詩ですがよかったら読んでくださいね。

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『数えきれない太陽』

ぼくらの数だけ  道がある

ぼくらの数だけ  空がある

ぼくらの数だけ  虹はかかり

ぼくらの数だけ世界はある

 

ぼくから はじまる物語に

毎日のぼってくる太陽は

 

あいつのところでも

あの子のところでも

あの人のところでも

あの方のところでも

やっぱりのぼっているのだろう

 

数えきれない太陽が 宇宙の背中を押している

 

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過去記事から、このコメントで取りあげていただいている「内言」の発達について書いた記事のひとつを紹介しますね。

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悩み多き3歳頃をのりこえることによって、
子どもには「光輝く四歳児」と形容される姿が宿ります。
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「障害児がそだつ放課後」 白石正久  かもがわ出版
という本の中で興味深い話題にぶつかりました。
といって、こうした内容の話を見聞きするのははじめてではなく、
海外の育児書などで、同様の話を目にしたことがあります。

「見て、見て」とおとなの手を引きながらテツボウに誘い、
「前まわり」を披露したり、縄跳びに挑戦してみせたり…
片足ケンケンができたり、はさみを上手に使いこなせるようになったり…

「大きい自分になりたいけれど、なれない」矛盾と悩みをのりこえて、
自信に満ちた姿が誕生してくることを↑の著者は、「光輝く四歳児」
と表現しているのですね。

教室でも、ちょっとしたことで、
ごねたり泣いたりしていた子も、
4歳が来る頃には(実際は5歳近く)
自信に満ちた輝きがそなわってきます。

2~3歳頃は、思い通りにいかなくてイライラ、かんしゃくばかり…
友だちが気になって、やけをおこしそうになる…
「頑張れ、自分!」と励ましながら、何度も何度も挑戦して、
いろんなことができるようになってくるのが、
4歳台なんですね。

お友だちとのトラブルでも、
自分に言い聞かせて、くやしさをがまんできるようになってきます。
この自分を励ましてがまんしようとする力が、
「自制心」と言われるものなのだそうです。


この自制心は、心の中で語りかけることば、
内言の発達とともに育つそうです。
(内言の発達に弱さがあると、衝動性や切れやすさにつながります。)

子どもを光り輝く姿に導いて行くこの「内言」を育てるには、
大人が子どもの困った行動を簡単に決め付けた叱り方をせずに、
「本当は、~したかったんだね。」と、
子どもが自らの心のプロセスを見つけていける
ことばに置き換えてあげることが大切なのだそうです。

例えば、衝動的に友だちを叩いちゃった子も、

本当は、仲間に入って上手に遊びたかった。
腹が立ったけど、ぐ~っとがまんして、おりこうになりたかった。

という思いが心の中で渦巻いていたはずなんです。

今回は、その葛藤に負けてしまったけれど、
次回は自分をはげまして、そうなりたい自分に近づきたい
と思っているはずです。

そうした成長しつつある心を、
そっと支えてあげれる大人たちでありたいですね