まるで桐野夏生さんの「魂萌え」Part2、って感じやったね。
いやー、予告編を観た時からワタクシの興味をそそるシーンの数々やキャスト陣に激萌えしたけど、実際は、チョイシーンであったりチョイ役であって、物語の主要エピソードを担う人物ではなかった。
メインストーリーは、筒井真理子さん演じるごく普通の主婦が絶望の淵から、宗教であったり職場の仲間や家族との関わりの中で自分の生き方を見出すまでを描いた内容だった。まさに魂萌えに似た展開だった。
なので、めちゃくちゃ良かったとは言い難いが、自分の生き方や宗教の存在や意義を考えさせる内容ではあった。
ということで、予告編で観た、キムラ緑子さんのいかにも新興宗教の教祖的発言であったり、実際は支部長的な役割。江口のりこさんと平岩紙さんの、洗脳とまでは言わないが完全なる信者さんの演技に魅了されて観てきました。
宗教の実情を描いた作品では、芦田愛菜ちゃん主演の「星の子」が圧倒的にリアルで素晴らしかったが、こちらは、「カモメ食堂」の荻上直子さんのリサーチは素晴らしいが踊りを含め新興宗教を誇張し過ぎた感が否めない。
実際は、新興宗教の実情を伝えることが作品テーマではないから、誇張しすぎても問題はない。
筒井真理子さん演じる主婦が、夫に蒸発されたことで新興宗教にはまり、その教えを実践しようと自己犠牲精神で難局に立ち向かうとする。だが、更年期障害や職場のストレス、客の理不尽な要求、近所の猫が枯山水の庭に足跡を残したり、突然夫が帰宅し癌だと告げられたり、治療薬に多額のお金を請求されたり、息子が障害がある年上の彼女を連れてきたりと…、
神様の水だけでは難局に立ち向かえないくらいのストレスがのしかかってくる。
その彼女に一筋の光をもたらしてくれたのが、木野花さん演じる職場の清掃員のおばちゃんの、我慢するな!のアドバイス発言。
教えに背き、少しずつイタズラしたり、強気発言をすることで少しずつストレスが和らいできたと思ったら、その清掃員のおばちゃんが倒れる(厳密にはプールで泳いでいる時に意識消失する)。おばちゃんが飼ってる亀の世話を頼まれたので、家を訪問したら実はゴミ屋敷だった。家に帰ってこないと言っていた息子は実は亡くなっていたことを知り、涙が溢れ出す。
なぜ涙が溢れ出したのかは、分かる人にしか分からない。もちろん、私は分からない。
あんなに強気発言をしてアドバイスをくれた人でも深い闇を抱え、孤独感に蝕まれていることを知って自分の未来を悟ったのかもしれない。夫には愛されず、大事な息子にもそっぽ向かれ、いずれ自分も孤独に苛まれる時がくる。
バタフライエフェクトのごとく、また水面に落ちた一滴の雫によって広がった波紋は、幸せだけでなく悲しみもジワジワと心を侵食していく。
小さな努力の積み重ねによって幸せが波及すると思っていたのに、神様の水を飲めば幸せになれると信じていたのに、一向に幸せにならることなく試練ばかりやってくる。それでも我慢しないといけないのか?
夫からも息子からも愛されず、息子の彼女からは馬鹿にされ、我慢に我慢を重ねてきた。誰かに助けてもらいたくて宗教にすがってきた。
宗教や誰かが私を救ってくれるんじゃない。神様の水が不幸を取り除くわけじゃない。枯山水が精神を統一させてくれるわけじゃない。枯山水は所詮砂絵。本物の水面でも水紋でもない。
どんなに大金を注ぎ込んで神様の水を得ても、私という努力という雫は、水面に落ちても水紋が波及するどころかいつ幸せになるかもわからない、ましてや、おばちゃんや夫のように落ちたまま溺れたり、死んでしまったら元も子もない。
今では誰かに救ってもらおうと他力本願だったが、そんなんじゃいつまでもたっても幸せになれない。
精神的に強くなって、自分が誰かを救えるくらい強くなることが幸せへの近道であることにようやく気付けた。
今までは、おそらく夫が管理していたであろう庭のガーデニングのスペースを、花も咲かない水遣りもいらない枯山水の庭に変えた。蒸発した夫が大事にしていた花々なんてクソ喰らえ!と思ったかどうかは分からないが、新興宗教の出会いによって精神統一させる枯山水に傾倒する。だが日々誰かや何かに乱されることで、余計主婦の心も乱される。
彼女にとって必要だったのは、宗教の精神でも、我慢という自己犠牲の精神でもなく、自我を開放すること。ラストのフラメンコが象徴するように情熱を傾けられることに熱中すること、魂が燃える情熱を取り戻すことが彼女の本来の生き方なんだよ。
という物語と解釈しました。
ちなみに、夫が蒸発する前から飼ってるメダカはエサがなくても水草があれば生きていけるから、夫が蒸発しても手間いらずと解釈したが、リアル水紋が見れる唯一のアイテムがメダカがいる鉢とも解釈できる。
あ、ちなみに、私は新興宗教を否定してませんから。それによって救われているのも事実だし、私のオカンの宗教も、ぶっちゃけ悪い宗教だとは1ミリも思ってない。
ただ、伊丹十三監督作品の「マルサの女2」に代表されるように、宗教家が信者のお布施で私腹を肥やす行為がよく分からないんよ。信者さんはなんのためにお布施を渡し、宗教家はそのお金で何をするの?と疑問に思うだけ。
政治家でもないのに信者を増やしてお布施を取って、そのお金の用途が不明瞭な宗教が多い。職員の給料なのは分かるが…。まるで銀行の手数料みたいで、神様とお金の結びつきがよく分からん。神社はまだ分かり易い。神社は社があってなんぼです。無人の社を管理するにもお金がかかるからね。神社はわざわざ信者を集めないよね?
それはさておき、
もうさ、筒井真理子さん演じる主婦がオカンそのものだった。
悪いとこも良いとこも全てオカンと同じだった。磯村勇斗君演じる息子の気持ちがめちゃくちゃ分かる。一緒一緒!
ただ親父が光石さんみたいに優しそうな人間ではなかっただけ。
ま、幸せな人間は、宗教にハマらない。2世とか代々受け継いてきた家系ではない限り。
基本、悩みがあるから、助けて欲しいから宗教にハマる人がほとんど。
ぶっちゃけ、宗教がオカンを救ったんじゃない。オカンの心が変わったから救われるようになった。
オカンが宗教にハマればハマるほど親父の暴力はエスカレート。逆効果でしかない。
親父が病気がちになって暴れる体力がなくなってから平和になってきたような気がする。
それって、ぶっちゃけ宗教関係ないし。
ぶっちゃけ書きますが、親父は親父で暴力が酷かった。でもね、オカンもオカンで、私が小さい頃は、神様を信じてるはずなのに弟の嫁さんをいじめてましたからね。めちゃくちゃ小姑でしたよ。でも、オカンも亡くなるまでの数年間は、めちゃくちゃ地域に貢献するくらいいい人でした。悪口を言うどころか、めちゃくちゃ手助けしてた。無償で。
宗教がオカンを変えたとは思えない。時間がかかりすぎ!親父も年齢と共に体力が衰え、家庭内に暴力がなくなったから、オカンはオカンで宗教人として地域に貢献できるゆとりが出来たと思うんよね。
長年ストレスによる持病も抱えてましたが、結局は手術して治りましたからね。長年ずっとお祈りしていましたが、皮肉なことに結局医療で直ぐに治りました。
ただ言えるのは、宗教に入っていたから、無償で地域貢献をすることに対して苦ではなかったとは言える。
筒井さん演じる主婦だって、夫が蒸発しなければ宗教にはまることはなかったんだよ。
宗教に関わったことで、自己犠牲ではなく、心から他人に対して献身できる術を身につけることができるようになったとは思うけどね。
全ての出会いや出来事は必然なんですよ。結局は、何を学ぶかなんですよ。何も学ばず繰り返すのか、失敗から学んで新たな第一歩を踏み出すかは己次第。
私の経験上、自分だけの幸せよりも、周りも幸せで有ることが、より自分も幸せになれると思う。
そりゃ、他人の不幸を喜ぶ人もいますが、そういう人は、結局淋しいと思っている孤独な人が多い。あ、私は孤独を淋しいとは思ったことない。集団の中で、自分1人話す相手がいない時はめちゃくちゃ孤独感を味わうが、1人の時は全く思わない。
幸せの定義な人それぞれだけど、高い壺や高い水を買っても幸せにならない、むしろ病気が悪化する場合は、自己分析して根本的原因を見つけて改善する方が早いよ。他人を変えようと思ったり、変わってくれることを期待するより、自分が変わる方が問題解決の近道。あ、自己犠牲は全く意味ないからね!喜びがない自己犠牲は自分を不幸にするだけ。
何度も書きますが、宗教を否定してませんから。信仰することで幸せだと感じられるなら素晴らしいことです。
映画のラストシーンの筒井さんのフラメンコが良かった!めちゃくちゃ取ってつけた感ありまくりのデフォルメされたシーンだけど、筒井さん演じる主婦の本来あるべき姿、人生観を象徴するシーンだと思う。
我慢とか自己犠牲とか、それが喜びでないやらただの苦痛行為だからね。
幸せに満ちている状態がベスト。そうなるための分析と努力、または工夫が大事。努力もまた苦痛だと意味がない。