アンナ・カレーニナ &

2023-03-18 01:26:18 | 舞台
これって、チェーホフの戯曲だったけ???

いやいやいやいやいやいや、仕上がりがめちゃくちゃチェーホフやん!?

とてもトルストイの作品とは思えないくらい、今まで宝塚や映画で観てきた同じ作品だとは思えないくらい哲学的で素晴らしい脚本演出でした!

もちろん、りえちゃん筆頭に演者のみなさんも素晴らしかった!

私に言わせれば、新解釈「アンナ・カレーニナ」でしたね。

アンナを取り巻く人間関係にスポットライトを当てることで、アンナの人物像を浮き上がさせる作風がまじアッパレでした。

トルストイといえば、登場人物の数や世界観が広く見事に世界情勢を描いた超大作の「戦争と平和」が有名なのに、同じく大作なのに登場人物は身内ばかり、しかも不倫ものを描いた「アンナ・カレーニナ」。

その身近な登場人物を人物や心理描写を明確に表現することで、アンナは本当にわがままな女性だったのか?ブロンスキーが悪い人物だったのか?彼らの生き様や考え方は間違っていたのか?を問題提起する脚本になっていましたね。脚本として、もちろん演出も含めお見事!としか言いようがなかった。

ま、ぶっちゃけ、ストーリーを知ってないと分からない、初見の方が観たら、はあ?と思う箇所が何個かあったね。乗馬のシーンとイタリアのシーンね。全然説明がなかったね。

映画も宝塚もアンナの自業自得みたいな描かれ方をしているが、アンナの人物像を浮き上がらせるために存在していると言っても過言でないくらいアンナと対照的存在のキティやその姉でアンナの兄嫁ドリー、キティへ求婚するリョーヴィン、アンナの兄のオブロンスキー、アンナの夫アレクセイ、そしてもう一人のアレクセイであるアンナの恋人ブロンスキー、彼らの生き方は本当に理想なのか?間違いや理不尽さはないのか?を観客に問いかける脚本演出であったと思う。

演出と言えば、普段買わないパンフに子供目線の子供部屋をイメージした舞台美術と書かれていて、めちゃくちゃ意味深な巨大箱が浮かんでいる。何か仕掛けがあるかと期待したが、そのままだった。そのかわり産業革命の象徴である電気が降りてくる。またそれが別の意味を持つ。

また子供部屋という閉塞な空間が、登場人物たちの狭い世界での思考、閉塞感、空虚感、退屈感、そして束縛の象徴になっていたと解釈。

狭い世界では思考も狭くなる。

100年以上前の物語なのにイプセン同様現代に通じるモノがあるのが生きた言葉といえよう。

また欧米作品の象徴的存在の死神的存在の花屋の存在にも目が離せなった。死神というよりガーディアンエンジェルかな。

そして、アンナがヴァージニア・ウルフに見えた。エブエブと重なる部分もあってめちゃくちゃ導かれてる感があった。

なにより、キティに子供が授かり、お腹の中の赤いちやお腹を蹴った時、「魂がやどった」という台詞がめちゃ私のハートを鷲掴みしたわ。

アンナとブロンスキーの関係とキティとリョーヴィンの関係は映画でも舞台でも対照的に描かれることが多いが、今作はキティやリョーヴィンだけでなく、ドリーやオブロンスキーなどアンナを取り巻く登場人物の人間性を明確に描くことでアンナ自身、またアンナとブロンスキーの関係性が浮かび上がってくる。

アンナを取り巻く人物の思考が明確であればあるほど、アンナの悲劇性が際立つ。

最初にも書いたように説明が足りないシーンがあるが、何が起こって今に至っているのかは想像できる運びになっている。ストーリー展開を知っている人には明瞭と言った方がいいのかもしれない。そこは説明不要でも問題ない。


愛とはなにか?生きるとは何か?を考えさせる脚本でしたね。まさにチェーホフの世界観だよね。

不倫は本当に悪いことなのか?浮気癖が治らない夫と添い遂げることが幸せなのか?我慢し続けるべきなのか?子供のためにも偽装夫婦を演じないといけないのか?親が勧める相手と結婚することが幸せだったのか?夫婦になるからには、真実を打ち明けて過去に付き合った相手を全員伝えるべきなのか?

どさくさ紛れに問題提起だらけだったわ。

アンナに関しては、何故アンナは精神を病むことになったのか?その無意識を描いていたのがめちゃくちゃ良かった。何故夫に離婚を切り出せなかったのか?←子供に会えなくなるから、とは別理由。

どうしてアンナは、若いブロンスキーと幸せに暮らすことができないのか?自分の自由意志で選択したはずなのに、証拠もない嫉妬に苛められてしまうのか?ブロンスキーにけんかを売ってしまうのか?無意識の葛藤をめちゃくちゃリアルに表現されていたのがめちゃくちゃ良かった。

ぶっちゃけ、今作の主人公は、りえちゃんじゃなくて浅香航大さんじゃないのか?と言いたくなるくらい、主人公アンナ役のりえちゃんが登場するシーンが以外と少ない。むしろ、リョーヴィン役の浅香航大さんが裏主人公と言っていいくらい出番が多く、ラストの締めも浅香さんとキティ役の土居志央梨さんだった。


ということで、4月で建て替えのため興業がなくなるシアターコクーンに行ってきました。もちろん、りえちゃんがお目当てです。

大阪公演があるのは知ってましたが、やはりコクーンより舞台空間が広い劇場での公演なので、現シアターコクーンの見納めとして行ってきました。

いやー、りえちゃんが!

マジ美しすぎる!!ロシア人にしか見えない!

美しき狂気っぷりに東京まで来た甲斐がありました。

しかも、ゆうひさんと共演に身悶えしたわ!←キモい!藁

ブロンスキー役の渡邊圭祐君も美形さんかだからりえちゃんとの並びが美し過ぎる!眼福眼福!藁

りえちゃんのアンナへのアプローチが素晴らしくて、夫とブロンスキーの狭間で揺れる女心と書いたら単純な表現になってしまいますが、アンナの中の良心の呵責や無意識に夫や息子、そしてブロンスキーを求めている様、どちらかを選択しらもう片方を失うことも無意識レベルで分かっている。だからどれも手放せない。

宝塚的に言えば、アンナは「哀しみのコルドバ」のエリオそのものである。ドリーが兄と別れたいとアンナに相談した時、アンナは的確なアドバイスをした。ま、そのアドバイスはこの現代社会の常識的発想ではあるが。

そのアンナもまた愛の苦しみのループにのみ込まれてしまう。自業自得とは言いきれないくらい、社会の闇がアンナを狂わせたと言っても過言ではない。私みたいに世間の常識は私の常識ではない!くらい言えたら大分生き方もマシだったのでは?と思った。

りえちゃんは、一筋縄ではいかないアンナの闇を見事に演じられてました!

なんてたって、りえちゃんの狂気が美しい!まじブロマイドが欲しい!と思ったほど。

りえちゃんは、欧米の血が流れているからどのドレス姿も目の保養になるくらい美しい。

りえちゃんで、「欲望という名の電車」が観たい!!

りえちゃんがアンナを演じているからだけでなく、日本の役者さんが演じているとは思えないくらい、まるで洋画を観ているような、舞台美術、照明、衣装、役作りなど芸術性が高くて、これ日本の舞台なの?本当にロシアにいるかのような錯覚に陥るくらい素晴らしい空間でした。かつてのtptや熊林さん演出作品を観てる感覚。

裏主人公のリョーヴィンを演じた浅香航大君がめちゃくちゃ良かった!もっと地味な役者さんだと思ったら、めちゃくちゃ芝居心があるのがヒシヒシと伝わってきた。

リョーヴィンとキティは、数多の試練を乗り越え真実の愛を学ぶ象徴のカップルではあるが、それでも相手への不信感を抱く間柄であったりするが、結果的にはお互い必要な存在として愛を育む。

リョーヴィンがラストで語る祈りこそ、神社でお金持ちになりますように!の自己願望の祈りではなく、っていうのがチェーホフ的ラストだった。見る人によって祈りの内容は異なるだろうが、自己願望だと再び魔のループに呑まれること必至。

リョーヴィンと結ばれるキティ。最初は親の勧めでブロンスキーと付き合うことになるが、ブロンスキーとカップル成立の証となるマジョルカを踊る相手が…。キティでなくアンナだったという皮肉。そこからキティの苦難と成長と学びが見どころ。土居志央梨ちゃんが上手かった。

ただのお嬢様ではなく、真実の愛を学ぶ過程、時には疑念に囚われてしまうがリョーヴィンとともに学ぶ様が泣ける。

ブロンスキーを演じた渡邊圭祐君が、まあ軍服姿が美しい。りえちゃんと美男美女だから本当に目の保養になる。

ブロンスキーは決してイケメンのお人形さんではない。自分に嘘がつけない人物。アンナに出会い、決して焼けぼっくいに火がついたわけではなく、たとえアンナが精神を病んでもアンナを愛し続ける。アンナの嫉妬心に我慢できず時には罵声をあびせることはあるが。

だが結局のところ、不倫には違いないので世間の噂でアンナの関係は更にギクシャクし始める。ヴァージニア・ウルフと同じで退屈な郊外での生活はアンナの心を、さらに蝕む。一方のブロンスキーは都会での仕事で家に帰って来ない日が続く。更にアンナな猜疑心を煽る結果になる。それでもブロンスキーは愛を貫こうとするが、アンナは夫や息子を捨てた良心の呵責で精神が更に狂い始める。ブロンスキーの話しもアンナは聞く耳なし。アンナはアンナで意のままにしたくて仕方ない。自分が悪いと分かっていても抑えきれない感情が勝ってしまう。

ほんまに、りえちゃんと佳祐君の後半のやりとり切なすぎてやりきれない。素晴らしい狂気沙汰シーンでした。

ゆうひさん演じるドリーは、アンナの兄でもあり夫でもあるオブロンスキーの浮気癖に終始悩まされる。アンナを通して自分の生き方を自問自答し内観する役柄。

最初、ゆうひさんとは思えないくらい普通の女性の演技だっあからビックリした。しかも薄化粧だったし。でも的確な演技でした。夫との人生、たくさんの子供がいる人生、そして一人の女として愛シテほしい欲求。現代女性の象徴的存在でしたね。

昭和は、夫婦添い遂げが常識だったかもしれかいが、令和はそれでいいのか?という問題提起もあったね。

そして、アンナの夫アレクセイを演じた小日向文世がピッタリすぎ!

小日向さんのイメージである冷静さと優しさのベールが、ブロンスキーに対して自分では醜いと思っている嫉妬に苛まれる。隠そう隠そうとしてもアンナへの愛故に嫉妬心が理性を抑えられなくなる。そのギャップ表現が素晴らしい!

何度も何度もアンナを許すが離婚だけはしない頑固ぷり。さて、離婚したらアレクセイもアンナもブロンスキーも幸せになれるのかが疑問が残るのが、この物語の良さなんよね。離婚することは何が大切な別のものを失うからね。

もう一人下記忘れてはいけないのが、アンナの兄でドリーの夫、梶原善さん演じるオブロンスキーが、まー憎めない存在感だから困ったもんだ。そりゃ妻のドリーにとっては、浮気癖は最大限の悩みの種ではあるわけだが、ぶっちゃけ、子供が5人いたら捨てて他の男の元にいけるか?か、おんなでひとつで子供たちを育てていけるか?という悩みもあるのも現実。

だからといって簡単に別れられるほど悪い人間でないのがオブロンスキーの唯一の長所なんよね。

この作品のテーマはもちろん “愛” ではあるけど、私は、嫉妬表現も間違いなく愛の証とも言えるが、現代社会では “依存” とも取れれので検証が必要になってくるね。

大阪公演は立ち見しか残ってないので流石にむかしみたいに立ち続ける体力がありませんが、これからご覧になる方はお楽しみに!

追記:シアターコクーンの後、歌舞伎座2行ってきました。

率直な感想、「髑髏尼」の福ちゃんがめちゃくちゃ素晴らしい演技をされていて驚いた。いやいやいやいやいやいや、めちゃくちゃ玉三郎さんの懐に飛び込んだ表現が素晴らしかった!あんな難しい役を情感たっぷりに演じられていてオペラが外せなかった!

「廓文章 吉田屋」の歌も幸せもんやな!玉三郎さんとラブリー愛ちゃんとの単独絡み。めちゃ勉強になったね。堂々とシてたよ。

玉三郎さんの夕霧の衣装は新調ですかね。うつくしかった!

あと、雪之丞さんの年増?の声の出し方がめちゃくちゃ良かった!