現代日本キリスト教文学全集第7巻
前から読みたかった「宮城野」の戯曲が入っていたので図書館で借りてきました。まだ読み終えてない本が何冊もあるというのに…。
とんちゃんこと毬谷友子さんのお父様、矢代静一氏の戯曲です。
以前映画を拝見して、登場人物の矢太郎は宮城野を本心で裏切ったのか、矢代氏は誰に宮城野を演じさせたかったのか探りたかったので、まさか近くの図書館に置いているとはね。さすが図書館!
思った以上に短くて、映画のラスト20分くらいのシーンのみの戯曲でした。
読み終えた感想は、矢太郎はやっぱり宮城野を裏切ってない。初めから裏切るつもりでいるなら、絵は渡さずに去りますよ。
矢太郎は間違いなく矢代氏本人であること。
そして、宮城野は奥様を宛て書きに書かれたものではなかったこと。矢代氏が書く決心をしたのは奥様の存在であり、そして、奥様に演じて欲しかったんだと思いました。
じゃあ、宮城野は誰?
これも間違いなく矢代氏のお母様ですね。矢代氏はマグダラのマリアを描きながら本当は聖母(生母)マリアを描きたかったんだと思います。
矢太郎の台詞から、矢代氏の学生時代または当時の生活が見えてきました。
これも私の勝手な想像ですが、ご両親特にお父様とに反発してたんじゃないですかね。北斎が越えたくて仕方なかったお父様だったんでしょう。
訂正:北斎でなく写楽です。矢代氏といえば北斎のイメージが強かったので無意識に北斎と書いてしまいました。すみませんm(__)m
お母様が矢代氏をいつも陰で見守り支え応援してくれたことも見えました。
若き日の自分を矢太郎を通して、お母様への感謝の気持ちを宮城野に当てて書いたんだと思います。そして書くきっかけを作ったのが奥様だったのでしょう。
なぜお父様が亡くなったすぐ後ではなく、あの時期にとんちゃんが映画を作ろうと決心し実行したのかも想像できました。その理由はさすがに勘違いでは済まされないので書きませんが。
三島由紀夫氏の戯曲もそうですが、あの時代の戯曲ってなぜこうも絵が浮かぶんでしょうね。フィクションと分かっているのにリアルに胸を押し付けられるものがあります。なんとも言えない切ない感じです。
読み終えた後、いろんなことが見えてきて涙がでました。もちろん自分と重ねて見ているところもありますが。
ものが今ほど豊かでない時代、あの時代だから書けるリアルな気持ちや表現に胸を打たれました。
久々にこれぞ戯曲ってものに出会えました。矢代氏の他の戯曲も読んでみたくなりました。
そう、昔、ト書きは説明書きだと思ってましたが、ト書きは作者のこだわりなんですね。絶対このシーンではこう演じてくれ!みたいな作家の希望。
戯曲にはト書きがなく、台詞だけでもイメージが掴めないもの、舞台で上演して初めて分かるようなものもありますが、戯曲はやっぱり、小説と同じようにイメージできなければ文学作品とは言えないのではと思いました。
もうすぐ読書の秋です。三島氏の戯曲も素晴らしいので、まだ読まれてない方は一度お読み下さい。出筆した時代と日本語の美しさが味わえますよ。
この「宮城野」、「あれ」と「チンチンチン…」がキーワードになっています。私も「あれ」に喜びを感じ、「チンチンチン」と鳴ったら立ち止まって冷静になりたいと思います。
やらしい意味じゃないですよ!戯曲を読まれたら分かります。
今日のまとめ:とんちゃん、映画のフィルムは文句なくお土産になりますよ!まさかうちの娘が!!!って驚いていることでしょう。
とんちゃんの二人芝居「宮城野」が早く観たいです!戯曲を読んで思いましたが、脱ぐ必要はないです。紐を解くだけにして下さいね。
それから、矢太郎は誰がいいか、いろんな役者さんに当て嵌めて読んでみましたが、浦井君がいいです。あの時は戸次さんにしましたが、兵芸にゆかりのある方がいいし。なんか稽古場で靴が飛んでいそうですが…(笑)すみませんm(__)m
どないでしょうか、とんちゃん?浦井君?←読んでないちゅうねんm(__)m
追記:この戯曲、コピーして親父の棺桶に入れました。
親父が亡くなるまで親父の耳元でこの戯曲を聞かせてました。何度も読み聞かせている度に、これって私のために書いてくれたんじゃないかと勘違いするくらい、この戯曲に惚れ込んでしまいました。めちゃくちゃ宮城野の気持ちも矢太郎の気持ちも理解出来て、私が矢太郎でも、宮城野でも演じたいくらい、私の戯曲に出会えたって感じでした。
この戯曲を読んでもう一度「宮城野」をレンタルして観ました。とんちゃん、ごめんなさい、ダメっ!と思いました。演技がではなく脚色が。矢代氏が伝えたいことが伝わってない。全然違う!って思ってしまいました。
是非ともとんちゃんの「宮城野」を生の舞台で、矢代氏が伝えたいメッセージを伝えて欲しいと思いました。早くとんちゃんの宮城野が観たいです!
追記2:人を好きになるって、時には辛いこともあるけど、やっぱり幸せなことだと思います。人を好きになることで悩めるって、どんな悩みよりも一番幸せな悩みだと私は思います。
前から読みたかった「宮城野」の戯曲が入っていたので図書館で借りてきました。まだ読み終えてない本が何冊もあるというのに…。
とんちゃんこと毬谷友子さんのお父様、矢代静一氏の戯曲です。
以前映画を拝見して、登場人物の矢太郎は宮城野を本心で裏切ったのか、矢代氏は誰に宮城野を演じさせたかったのか探りたかったので、まさか近くの図書館に置いているとはね。さすが図書館!
思った以上に短くて、映画のラスト20分くらいのシーンのみの戯曲でした。
読み終えた感想は、矢太郎はやっぱり宮城野を裏切ってない。初めから裏切るつもりでいるなら、絵は渡さずに去りますよ。
矢太郎は間違いなく矢代氏本人であること。
そして、宮城野は奥様を宛て書きに書かれたものではなかったこと。矢代氏が書く決心をしたのは奥様の存在であり、そして、奥様に演じて欲しかったんだと思いました。
じゃあ、宮城野は誰?
これも間違いなく矢代氏のお母様ですね。矢代氏はマグダラのマリアを描きながら本当は聖母(生母)マリアを描きたかったんだと思います。
矢太郎の台詞から、矢代氏の学生時代または当時の生活が見えてきました。
これも私の勝手な想像ですが、ご両親特にお父様とに反発してたんじゃないですかね。北斎が越えたくて仕方なかったお父様だったんでしょう。
訂正:北斎でなく写楽です。矢代氏といえば北斎のイメージが強かったので無意識に北斎と書いてしまいました。すみませんm(__)m
お母様が矢代氏をいつも陰で見守り支え応援してくれたことも見えました。
若き日の自分を矢太郎を通して、お母様への感謝の気持ちを宮城野に当てて書いたんだと思います。そして書くきっかけを作ったのが奥様だったのでしょう。
なぜお父様が亡くなったすぐ後ではなく、あの時期にとんちゃんが映画を作ろうと決心し実行したのかも想像できました。その理由はさすがに勘違いでは済まされないので書きませんが。
三島由紀夫氏の戯曲もそうですが、あの時代の戯曲ってなぜこうも絵が浮かぶんでしょうね。フィクションと分かっているのにリアルに胸を押し付けられるものがあります。なんとも言えない切ない感じです。
読み終えた後、いろんなことが見えてきて涙がでました。もちろん自分と重ねて見ているところもありますが。
ものが今ほど豊かでない時代、あの時代だから書けるリアルな気持ちや表現に胸を打たれました。
久々にこれぞ戯曲ってものに出会えました。矢代氏の他の戯曲も読んでみたくなりました。
そう、昔、ト書きは説明書きだと思ってましたが、ト書きは作者のこだわりなんですね。絶対このシーンではこう演じてくれ!みたいな作家の希望。
戯曲にはト書きがなく、台詞だけでもイメージが掴めないもの、舞台で上演して初めて分かるようなものもありますが、戯曲はやっぱり、小説と同じようにイメージできなければ文学作品とは言えないのではと思いました。
もうすぐ読書の秋です。三島氏の戯曲も素晴らしいので、まだ読まれてない方は一度お読み下さい。出筆した時代と日本語の美しさが味わえますよ。
この「宮城野」、「あれ」と「チンチンチン…」がキーワードになっています。私も「あれ」に喜びを感じ、「チンチンチン」と鳴ったら立ち止まって冷静になりたいと思います。
やらしい意味じゃないですよ!戯曲を読まれたら分かります。
今日のまとめ:とんちゃん、映画のフィルムは文句なくお土産になりますよ!まさかうちの娘が!!!って驚いていることでしょう。
とんちゃんの二人芝居「宮城野」が早く観たいです!戯曲を読んで思いましたが、脱ぐ必要はないです。紐を解くだけにして下さいね。
それから、矢太郎は誰がいいか、いろんな役者さんに当て嵌めて読んでみましたが、浦井君がいいです。あの時は戸次さんにしましたが、兵芸にゆかりのある方がいいし。なんか稽古場で靴が飛んでいそうですが…(笑)すみませんm(__)m
どないでしょうか、とんちゃん?浦井君?←読んでないちゅうねんm(__)m
追記:この戯曲、コピーして親父の棺桶に入れました。
親父が亡くなるまで親父の耳元でこの戯曲を聞かせてました。何度も読み聞かせている度に、これって私のために書いてくれたんじゃないかと勘違いするくらい、この戯曲に惚れ込んでしまいました。めちゃくちゃ宮城野の気持ちも矢太郎の気持ちも理解出来て、私が矢太郎でも、宮城野でも演じたいくらい、私の戯曲に出会えたって感じでした。
この戯曲を読んでもう一度「宮城野」をレンタルして観ました。とんちゃん、ごめんなさい、ダメっ!と思いました。演技がではなく脚色が。矢代氏が伝えたいことが伝わってない。全然違う!って思ってしまいました。
是非ともとんちゃんの「宮城野」を生の舞台で、矢代氏が伝えたいメッセージを伝えて欲しいと思いました。早くとんちゃんの宮城野が観たいです!
追記2:人を好きになるって、時には辛いこともあるけど、やっぱり幸せなことだと思います。人を好きになることで悩めるって、どんな悩みよりも一番幸せな悩みだと私は思います。