なぜかこの頃「立ち話」をする人を見かけることが多い。僕の家の前の道を挟んで向かい側に薬局があって、幼稚園児を連れているママ友らしき若いお母さんが店の前での立ち話に夢中になっているのをかなり頻繁に見かける。子供への注意が疎かになるのでいつも気にしてしまう。子供は熱を出したり、下痢をしたり、咳をしたり、怪我をしたり、母親に余分な仕事を与える天才である。僕が目にする立ち話は大体15分程度の時間をかけているものを言っているのであるが、昨日は50歳ぐらいの二人の女性が僕の家の横にある電柱のそばで何と50分の立ち話に興じていた。話の内容はよくはわからない。理由の一つは僕の耳の聴力の低下、もう一つの理由は盛んに話している女性の方がマスクをして声がこもっていたからである。聞き手の女性はマスクをしていない。ディスタンスもとっていないこの二人、コロナの感染は大丈夫かなと気にはなるし、何となくヒソヒソ的な声が聞こえてくるので大袈裟だけれど神経に触る。折角の秋晴れを庭で楽しもうと思ったが何度も家の中に逃げ込んだ。つまり何度も庭に出たのだがいつまで経っても立ち話が終わらない。このような立ち話の状況はコロナが人々から奪ったと思っていたのだけれど。
またまたいつものように趣味の英語表現を考えてみると、「二人の女性が道で長い間お喋りをしていた (Two women were chatting on the street for hours.)」となるのだが、英語の辞書を調べてみると、例文が必ずと言っていいほど女性が主語になっているものが多いのだ。何となく性差別的な匂いがするが、やっぱり立ち話やその立ち話が長いのは日本に限らず女性の特技なのだろうか。“女性”と十把一絡げ(じっぱひとからげ)にしては良くないと僕は理解しているので辞書のこの点の扱いは少し気にはなるのだが。ま、僕が言いたいのは電話であれ、立ち話であれ、あまり長いのは何となく見た目にもあまり良くないように思うのだ。いずれにしてもこのご時世、立ち話とは言え長話、マスクの装着は礼儀だと思う一方で、思い切り会話を楽しめる時は戻ってくるのだろうか。周りのディスタンスが気になるのも疲れる社会生活だ。
またまたいつものように趣味の英語表現を考えてみると、「二人の女性が道で長い間お喋りをしていた (Two women were chatting on the street for hours.)」となるのだが、英語の辞書を調べてみると、例文が必ずと言っていいほど女性が主語になっているものが多いのだ。何となく性差別的な匂いがするが、やっぱり立ち話やその立ち話が長いのは日本に限らず女性の特技なのだろうか。“女性”と十把一絡げ(じっぱひとからげ)にしては良くないと僕は理解しているので辞書のこの点の扱いは少し気にはなるのだが。ま、僕が言いたいのは電話であれ、立ち話であれ、あまり長いのは何となく見た目にもあまり良くないように思うのだ。いずれにしてもこのご時世、立ち話とは言え長話、マスクの装着は礼儀だと思う一方で、思い切り会話を楽しめる時は戻ってくるのだろうか。周りのディスタンスが気になるのも疲れる社会生活だ。
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