やっと台風10号から解放された。まるで酔っ払いかと思わせる千鳥足で各地に点々と爪痕を残してどこかへ消えた。被災された人々にはお見舞い申し上げます。なんとなく後ろめたい感が拭えないのは、大阪は日常とは違わないやや曇りがちの日と少々の雨だけで特に影響はなかった。テレビで報道される被災地の様子に怯えながら近所の皆さん窓の風対策などに追われた感はあるが、きつい風が吹いたわけでも大雨が降ったわけでもない。大阪ではテレビのあの狂騒はなんだったのかと口には出さないが感じている人は多いと思う。報道は当然被害の様子を主として伝えるのだろうけれど、なんとなく煽られているような感も拭えない。報道する側は「備えあれば憂いなし」を固く信じて行動しているのだとは思うけれど。
台風であれ、地震であれ、自然の災害は一方で社会的欠陥などを露呈させる。自然に恩恵を受けながら生活してきた我々人間はこれからも自然の変化、猛威と共に生きていなかなければならない。その辺りに気付きながら人間の環境破壊が見え隠れする。便利を希求する人間の「欲」とは底なし沼、“満足”という決して手に入れられないものに向かって人間の努力が向けられているように思えてくる。被災した人々は復興という言葉を頭に、黙々とまた努力しなければならない。行動と希望はいつも一体、一緒に動くものらしい。動物は多分考えたこともないであろう希望が持てるということは人間である証明、能登の人々や戦争から立ち直ろうとする人々を見ているとそんな気が強くなってくる。
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