学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

自分が解放される時

2022-02-04 17:01:29 | 日記
 コロナ自粛生活で特に何もすることがなくテレビで見る番組にNHK-BS1の『街角ピアノ』がある。偶然駅や空港にやって来た人が歩く道すがらに設置されたピアノを見つけて立ち止まり鍵盤に向かう。「歩く」という英語は walk(ウオーク)、ところがこの単語には「職業、身分」という別の意味がある。留学生が、土木作業の作業員が、バーの従業員が、観光客が、いろんな職業の人たちが自由気ままに弾くピアノに個性が垣間見える。ピアノの前に座る人は自分の人生や生活について一言添えてピアノを弾く。まさに音楽には国の違いも文化の違いも身分も職業の違いも関係がないことがよくわかる。彼等は自分の気持ちをピアノの演奏で表現しようとしているのだ。
 日本の『街角ピアノ』の演奏者も同じことなのだが時には外国の彼等との違いを見せる時がある。ピアノの鍵盤の前に楽譜を置いて弾く日本の演奏者が時々現れてどことなく作法や姿勢にこだわりを持っているように見える。外国の人が自由発想的にピアノに向かっているのではなくどこかに発表会の雰囲気が見られるのだ。お手本や作法を大事にする日本文化。生花、習字、などの影響のようなものが感じられてやや窮屈な感じを覚えてしまう。『街角ピアノ』のテーマ、解放された自己の自由な表現という気楽さとはどこか距離があるような気がするのだ。
 以前、「音楽と自由」を語る外国人のピアノ奏者が「ピアノを弾いているときは自分を変えることができるように思う」と意味深長なことを呟いていた。“今の自分が嫌いなら変えなさい。君は木ではないのだから If you don’t like where you are, change it. You are not a tree.” (Jim Rohn ジム・ローン アメリカの起業家、作家、自己啓発講演家)を思い出したことがあった。