第5回目となる 「K学講座」 は、島崎藤村の 『夜明け前』 より、~青山半蔵・王滝への道~と題して、西村友孝先生を講師に、本日午後からありました。
母も行きたいと言っていたのですが、父がどうしても留守番できない用事があったので、今回は私だけが参加しました。
K谷が生んだ文豪島崎藤村はK谷出身という理由だけで(笑)最も尊敬する作家の一人なのですが、
この 『夜明け前』 は、1997年12月に、東京、新国立劇場の 「開場記念公演」 の一つとして主人公青山半蔵に加藤剛、その妻に樫山文枝 というキャストで上演 (12/日(木)~24(水)(20回公演) されたものを、
Kからの “観劇バスツアー” があって、それを利用して見に行ってきました。
このお芝居は、
“すべてが山の中である” と小説冒頭で指し示された 「K谷」。
林野に覆われ、耕す土地もないK谷の貧しい農民達を見て育った、中仙道K十一宿の一つ馬籠 (まごめ) の街道端で庄屋を兼ねる本陣を営んでいた青山家の跡継ぎ息子、半蔵は、平田篤胤 (-あつたね) の国学を学び、理想に燃える青年だった。
時は明治維新の真っただ中、家督を継いだ半蔵は、開国へと向かって大揺れに揺れる時代の中で、身を挺して宿場の改革に努めるが、理想と現実の板挟みになり苦悩する。
そして人々のためを思い企てた改革の罪により投獄され、やがて牢の中で狂死する・・・。
という壮大なスケールのドラマを、まさにハマリ役ともいうべき加藤剛が熱演、
上演時間が4時間もある、「長大作」 でした。(観劇バスツアーだったので、その時間も入れると相当長い時間ということ・笑)
たまたま、高校時代、現国の授業で藤村の 『桜の実の熟する時』 を教わり、感銘を受けて原作を読んでみたのを始めに、高校から大学、社会人となる間に、
その続編ともいわれる自伝的小説 『春』、『新生』(以上は島崎藤村の青春三部作とも言われている) と読み進み、藤村の若き日の半生を想い、
旧家に嫁ぎ、夫の事業に翻弄され、やがて病を得ていく実姉 「その」 の一生を描いた 『ある女の生涯』、その一族を描いた 『家』 など、K谷に生きる人々の苦悩を描いた作品に言いようのない共感と、複雑な思いを感じたので、
これはぜひとも大作 『夜明け前』 を読まなくっちゃ、と文庫本を買ってみたものの、
あまりにも難しくてやになって、一巻途中で投げ出した 作品でもあった。
( しおり紐が、第一部(上) の170ページに入っていたので、多分そこまで読んだのだと思う・笑 )
私は、1992(平成4)年の暮れに東京から郷里のKに戻ったのだが、
大学2年、二十歳の時に、二つ上の姉が、大学卒業と同時に東京の人に嫁ぎ、図らずも郷里の店の跡取りとなってしまった自分が、
10年の歳月をかけてようやくKに戻る決心をして帰郷、その2年後 (1994、平成6年) に東京で知りあった現在の夫と結婚したものの、複雑な思いを抱えながら過ごしていた (人間というのは一面的ではないので、そこそこ楽しく生きていたと思うのだが、それがすべてではなかったということなので、ご心配なきように)、 その心情と島崎藤村の作品は、実に相容れるものがあった。
ま、この辺のことを書くと ちょー長くなり、一冊の小説になっちゃうくらいなので (郷里に対する想いは複雑であり、今も昔もずっと、とても一言で語れないものがあります) 今回は省略させていただくが・・・、
要するに私にとって
島崎藤村 と THE ALFEE は、 まさに青年特有の憂いと焦燥、苦悩、反骨のバイブル
なぁ~んつって・・・
公演は、その島崎藤村が K谷の 「王滝村」 に実際に取材に行き、熱血漢あふれる筆致で父、青山半蔵の姿を描いたことの解説や、
藤村が10歳にて、その父の勧めで東京へ出て学問に励むことなどを、様々な文献、資料等からち密に調べ上げた西村先生の、その努力には非常に感服したが、
話が飛んでややわかりづらかったのと、
実際問題として、青山半蔵がなぜ地元の馬籠(のちの神坂-みさか-村、現在の岐阜県中津川市)ではなく、王滝に行って、そこで何をしたかというのを、お芝居で観たかもしれないけど忘れちゃってる、つまりよく知らないので、
なにがなんだか、さっぱりわからんかったよぉ~~~ (しかも、時々眠く・・・)
戻ってきて母に公演の報告をしたのだが、
母も 『夜明け前』 を読んだのは 大昔だったから忘れちゃったよーーー、
それほど、 “面白いって話でもない” し・・・
だってさ。
( 実家には、藤村のもう一つの大作 『破壊』 もあり、母はそれも読んだようだが、読んだだけでもすごいのだ。 )
もっとも、自分も藤村の作品を読んでいたころは30年近くも前なので、
と、たった今 ぎゃぁ~~~
ね、ねずみが出たぁーーーーー
( しかもね、私の座ってる目の前で、PC机のマウスパッド横の右角のところを這って行ったんだもん、ぎゃー でしょ? )
町内スーパー (夜10時まで) に 「ねずみホィホィ」 を買いに行ったのだが、売り切れだった。
したかなく、 「ゴキブリホィホィ」 で代用。
昨日から店に出没していて、昨日は 「デスモア」 という毒入りの餌を設置したのだがダメだったので、 「ネズミホィホィ」 の方がよく取れると思ったのだ。
ちょーちっこぃネズミで、ゴキさん用でも取れそうなサイズだったから、代用したのね。
さて、つづき。
自分も藤村の作品を読んでいたころは30年近くも前なので、今読んだらまた、違った感じで読めるのかもしれない。
せっかくだから、 『夜明け前』 も読んでみようかなぁー。
島崎藤村については、まだ書きたくて書いてないことが沢山あるので、いづれ、また。
先生の作ってくださった、ち密、かつ膨大な資料。
この他にも、先生が好きで集められたのでしょう、
藤村が初めに 『夜明け前』 を連載していたという、昭和4年と7年の文学雑誌 『中央公論』 を二冊と、
江戸時代に実際に作られ流通していたといわれる “和綴じ(四つ目綴じ)” で筆で書かれた本物の古本を2冊、聴講者の席に回して、実際に手に取って見せてくださったのには、ちょーカンゲキ!! しました。
貴重なものを、ありがとうございます。
1997年に上演された、『夜明け前』 ポスターとチラシ。
青山半蔵、平成を覚ます。
とサブタイトルに書いてあります。 『夜明け前』 という、タイトルがまた、いいですね。
チラシの裏で出演者。
※ 「K」 という表記について。
話の前後を読めばわかることなのですが、ネット上における 「地域」 を特定させないための、単にカモフラージュであり、特別な意味はありません。
また、わかり切ったことを伏字にする 「おもしろさ」 を狙ってもいます。
これからも意思を持ってこの表記を貫きますので、ヨロシクです。
《 追記 》
その① 突然聞きたくなり、昔のCDを探し出しました。 こんなの、買ったの忘れてたよ~。
2001年、ウルフルズのベストアルバム 『ベストだぜ!!』 より、
これが答ーえだぁ~!
これが、答えだぁ~~~!!!
その② 「ヤフー占い」 本日のてんびん座。 12星座中第1位
総合運 95点
周囲からの視線を気にせずに、自分の道を追求しましょう。
あなたの人生は誰のものでもなく、あなた自身のもので、無限の可能性があるのです。
最終的にあなたが納得のいく方法がベストな選択でしょう。
開運のおまじない
好きなアーティストを選び、今日のテーマソングを決めましょう。
好きなアーティストは今さら言うまでもなく、 30年前から THE ALFEE なので、
本日の MY・ベストソングは
『Going My Way』 ( 2003.10.01 アルバム 『Going My Way』 収録曲 )
この曲を、世間的には不惑の49歳で作ったタカミーもスゴイ けど
なんといっても 『THE ALFEE SINGLE HISTORY VOL.VI 2002-2008』 (2009.3.4) に収められている 「ライヴヴァージョン」 が、
アルフィー教、高見沢教祖の “カリスマ性” が炸裂
もー、サイコー なのです。
まさに 「歌は感情を統一する」
(by、MYミュージカルスクール校長 いずみたく) ですね。
※ 捕捉しますと、
2001年にアルバム 『GLINT BEAT』 を買ったのを最後に、2003年頃から多忙と病気のため、2008.11.30にアルコン復帰するまで、
偶然幸運にも、奇跡的にタイムリーで入手できた、2004,8.25発売の 『THE ALFEE 30th ANNIVERSARY HIT SINGLE COLLECTION 37』 (ALFEEのデビュー30周年を記念して発売されたCD三枚組のベストアルバムで、記念BOXとCDに、かの 『ベルサイユのばら』 で有名な池田理代子さんのイラスト、記念グッズに同イラストのジャンパー付き) 以外は、アルフィーの新曲をほとんど買わず、情報も知らなかった時期がありました。(マニアの会員も、辞めたつもりではなく、会費を納め忘れていたので、3年ほど会報をもらえなかった時期があると、後で気づいた)
なので、「Going-」は、同名のアルバムの存在を知らずに、初めにこちらのライブバージョンから入ったので、なおのこと良い意味での衝撃が大きかったのです。
ついでながら、このアルバムには例の 『明治学院校歌』 も入っていて、島崎藤村作詞と知らずに (以前はよく、タイトルも歌詞カードも見ずにいきなり曲を聞いて、しかも “ながら” だったため、長い間タイトルを知らなかったり、歌詞をちゃんと認識していない曲が沢山あったりしたのです、お恥ずかしい) 初めて聞いた時から、その古めかしいけれど清々しい歌詞の響きに逆に新しさを感じて魅了され、一発で大好きになりました。あとで藤村作詞であること、学校の 「校歌」 であると知り、また、アルフィーのアレンジあってこそのカッコ良さとわかりいろんな面でびっくりしましたが。 いつかもっと詳しく書きます。
3人を模した3匹のネコのジャケットでそういう意味でもお気に入りのアルバムなのです。
( ▼ドリーム・ジェネレーション 2009年10月26日 | THE ALFEE カテゴリー参照、だいぶ後の方に出てきます。)
ほかにも、2008年10月22日に発売されているので知っているはずの 『さだまさしトリビュート さだのうた』 納入の 「まほろば」 の存在を、2010年にソロDVDで見るまで知らなかったり、頓珍漢で摩訶不思議な発言が多いのはそのためです。
この辺のことも長くなるので、いづれ機会がありましたら。
おまけ・・・
左が私の持っている “新潮文庫” の 『夜明け前』(昭和63年12月25日65刷版、360円)
右は母の持っている 新潮社出版 (当時) の 「藤村文庫」シリーズの 「夜明け前」(昭和21年9月10日28刷版、定価:弐拾円 ← 全て旧仮名遣い、「島崎」という “著者印” が張られています) です。
偶然にも同じ新潮社のもので、 タイトルが右書きか左書きかだけの違いで、装丁がカラー、模様とも全く同じなのです。
私の持っている、島崎藤村の文庫本で、「破壊」、詩集、童話などの3冊以外は、新潮文庫で出ている藤村作品のすべてを持っています。
藤村作品で一番最初に買った 『桜の実の熟する時』(右、昭和51年8月10日34刷版、180円)と、
一番最後に買って、唯一読破できなかった 『夜明け前』(左で第一部の上下、第二部の上下の、全4冊あります)。
母の買った 「藤村全集」。
私のとまるでタイトルが違うので、不思議 (改題したのか、他の作品と寄せ集めた際に、違う作品のタイトルがついたものなのか) ですが、全作品がそろっているということです。
「教職時代 (昭和20年~30年の間) に、戦後やっと本が出るようになった頃に買ったと思うけど、『破壊』は話題作だったりして読んだけど、『夜明け前』は全部読んだかなぁー。買っただけで満足して、他の本もどれだけ読んだかよく覚えてない・笑。」
だそうです。
母の本棚の一つ。 この数倍もの本棚と何倍かの蔵書が、実家のあちこちにあります。
今は外して撮りましたけど、親の本棚は皆、今風のオープンなのではなく、ガラス戸がついてますね。
昔は本は貴重品だったから、大切にしまっていたのかもしれないですね。戸で覆われていたから見えにくかったのかな。
いづれにせよ、母は今も昔も、まちがいなく私より、確実に本を読んでますね。
子どものころは、“子供向けの” 本や全集を、それこそ、親がおもちゃや洋服は買ってくれずとも本だけはどっさり買ってくれたので (図書館でも借りられたし)、
父や母の本は目に付くところに沢山あったのにもかかわらず、古いし難しそうだったからあまり興味もなかったので見ることはなく、母が藤村全集を持っていることすらよくは知らなかったと思います。
でも、母も私もやはり、郷土の産んだ島崎藤村が好きでそろえたのだ、と思うと、親子だなぁーって思います。
( 作品への興味の持ち方は、それぞれ違うと思いますが)
( ▼ THE ALFEE 名誉卒業と聖地巡礼の旅 ~ 補足編・島崎藤村 と さだまさし ~ 2014年05月22日 | THE ALFEE カテゴリーもご参照ください。)
本当に赤面の至り、穴があったら入りたいです。(^^;)
しかも、若輩者で勉強不足なものがエラそうなことを申しまして、本当に申し訳ございませんでした。
参加されていた皆さんは、「K学講座」の藤村編を何度か受講されていて、周知のことなのかもわかりませんし、そうしますと、前回までに終わっている個所は省きますものね。
主催者の方が講義の今までの回数を示していただければよかったかもわかりませんね。初参加ですので。
資料にはとても感服いたしました。よくこんなに膨大なものをち密に調べられて読まれているなあと思い、あの資料を家で読むといいのですが、そのままになっています。(^^;)
こちらの方こそ、次回またご講義があるようでしたら、ぜひ参加させていただきたいです。それまでに、少しは勉強しておけるとよいのですが・・・
楽しみにしておりますので、よろしくお願いいたします。m(_ _)m
「文芸と故郷」の関わりを軽やかに論じた文章で、
読み手の心を素直にしてくれますね。
まさか不肖のブログを読んでいただけて、そのうえコメントまでいただけるなんて嬉しいを飛び越えて恐縮の至りで、穴があったら入りたいです・・・
しかも、タイトル・・・
宮口しづえ先生を継ぐってまさか私のことではないですよね?
そして先生の、私の記事内容に関するもったいなきお言葉の数々・・・
びっくりするやら嬉しいやらで、すぐにでも返信コメントをしたかったのですが、昨日のブログに書きました通りで、遅くなりましてすみませんでした。
母が幼い頃、たぶん宮口先生の「ゲンと不動明王」のシリーズが出たころだと思うのですが、第一巻の同タイトルの本を買ってきてくれまして、面白くて、シリーズの残りの本はやはり郷土の作家の本ということだと思うのですが小学校の図書館にあったので、夢中で全巻(全5冊)を読み、宮口文学のとりこになりました。
もちろん、「ゲンと不動明王」は、今でも大切に持っていますが・・・
大人になり、当時呼び捨てにしていた作家の方を、まさか「先生」とお呼びする日が来るとは、あの本を愛読していた小学生の私は夢にも思っていませんでした。(しかも宮口先生の信州文学会での武勇伝が凄い・笑。)
本当に宮口先生の生前にお会いしたかったものだと強く思います。
ひとつ面白い逸話があって、宮口先生は信州小諸の出身なのですが、島崎藤村のことをものすごく尊敬、慕っていて、それでKに移り住んだらしいのですが…
当の藤村さんの方は、10歳で上京したのちですが、小諸に教師として赴任したことがある、というので、年代は違うかもしれませんが、ちょうど逆さまになっている点ですよね。
余談ですが、今ピアノを習っている先生が、偶然小諸の生まれで現在嫁いでKに在住していまして、やはり藤村文学が大好きだということです。
そう考えますと、人の縁というのは不思議なものですよね?
何か、惹かれあう者同士というのは、どこかでつながっているというか、惹かれているからこそ、どこかで魂が呼び合って繋がっているのでしょうか?
私も、高橋先生はじめ、大好きで尊敬する方々と、そのようにどこかで繋がっていると嬉しいなと思います。
長くなりましたが、コメント、心からありがとうございました。