猫田ジャレの 『 天然!にゃー語 』

~ 見ネコ聞くネコ言うネコの とびきり天然な日常 ~

ここらでちょっと、またまた状況説明・・・(^^;)ゞ

2013年11月27日 | 本・文学・取材等
Takamiyシネマライブを見てきて、まず映画を見ての素直な感想を書き、続編でもっと深いところを追求しようと思っていたのだが、どうもうまくいかない。  


以前のライブDVDを見たり雑誌記事を読んだりするほどに増々ワケわからんくなって難しくなり、
家では家事とか他の用もあってなかなか進まないので、毎日ものすごく沢山の資料を抱えながら自宅と店を往復しているのだが、映画を見にこぎつけるまで、ではないが、二転三転紆余曲折、苦しんでいる。   ナンチャッテ・笑。

あ、笑うところぢゃぁないか。 


あんまり言い訳とかしたくないし、手の内を見せるようなことはしたくないんだけど、他にも自分で書きたいと思っている記事がたまっていて、そっちの方も時々すごく気になってアセルのだが、  

ここをクリアしないと他のことに気持ちがいかないので、
( 店にはすぐに並べなくても困らない、問屋から来たままの雑貨が、3回分ためたままになっているほどで・・・笑  )


実は先週の、発表会後初めてのピアノレッスンで頂いた、発表会のDVDもまだ見ていない。

明日が今週のレッスンなので、今晩自宅で見ようとは思っているのだが・・・、



前回コムに心配してもらったせいか、ブログカレンダーの空白が気になったので (嬉しかったんだけどなんか、脅迫概念? 笑 ) ここらでちょっとまた、言い訳めいた顔出し?を。 


毎日自宅を出る前に、ゴンドラモモちのお墓にお線香をあげるので、その時には彼らに自分への応援を頼み、
あと、ほんとに出る直前にいつも拝んでいる神棚と仏壇が一緒になったコーナーに、
「今日こそブログがUPできますように」 と手を合わせているのだが、

どうしてか、書き進まないし、書き終わらない。  

ヤル気は満々なのに、 

てか、なかなか書けないので、取り掛かるまでには時間がかかるのだが・・・ ← 意味、わかる? 


ふわぁ・・・しんど。    めずらしく、弱音。 


いっそのこと、あれで一応きれいにまとまったので、「高見沢俊彦・ソロの変遷と全貌」? とかあまりに膨大すぎるからまたの機会に回すことにして、おしまいにする手も考えたのだが、
途中で路線変更するのもなんとなく悔しい様な・・・ 

さて、どーする  



と、ゆーワケで、近況報告です。  

なってないか  


乞うご期待は、しないでネ。    あはは・・・  





新しいパソコンについて その3

2012年10月19日 | 本・文学・取材等
再び戻って、これで最後の 「newパソ話」・笑。




お店でふと思いついて、そうだ、キーボードの打ち易さは、絶対条件だったんだわ!!

と思い出し、迷っていた2つのうち、実際手を当ててみて、打ちやすいほうを選びました。



そーなんです!!

私は、見ての通り、 大量の文字を 怒涛のように 、 湯水のように  、 滝が落ちるがごとく    打ちまくるので 

「キーボードの打ちやすさが絶対条件となる」 ことを、 

この、一番大事なことを、忘れてたなんてぇーーー 、 ってカンジですが、

とにかく、ノートはキーボードが浅いため、打ちにくい、打ちにくい。  
あと、手前より奥が高くなっていないのも、打ちにくい原因だと思う。

( だから、文字が横に並んでいないケータイは 人の3倍くらい 打つのに時間がかかる。  )

ちなみに、私は 「日本語打ち」 です。 日本語でないとイマジネーションがわかないのと、
ローマ字打ちを覚えるという、私にとって 「無駄な時間」 を費やすのが嫌だったから。

PCを購入する以前に、日本語ワープロを20年近く使ってきたので、その打ち方が身についている、というのもある。

 ↑ パソコンのエキスパートのH君も、プロにしては珍しく 「日本語うち」 なんだってさ。(やっぱ、イトコだなぁ~。(^^)v )




で、それらの条件で、お店で選んだのが、コレです。

ホントは白がほしかったけど、即日持ち帰りできるものにはなかったので。  でも、赤も、かわいいでしょ?
まだ、買ったばかりなので。PC周りがエレー、すっきりしてます。 ( 今のうちだけ  )



前のPCの時から使っている 「背景」、 Takamiyの 伝説の?「FANTA-BAND」 バージョンを、H君に移してもらいました。 v(^^)v

( これは、白地に大好きな紫の衣装と、クリスタルエンジェルギター、そして髪型と、かなりお気に入りの写真なのです。    )


マウスパットは、以前より愛用のものですが、キーボード操作を補助する 「ハンドレスト」 は、高さが合わなくなってしまいました。
今度、買い換えよう。



で、実際、キーボードを打ってみてどうか、というと・・・

それほどキィが深くないのだけど、まぁ、不便はしていません。

あまりにも打ちにくかったら、キーボードだけ凹凸の深いものに買い替えようかと思ったけど、まあ、大丈夫そうで、

ご覧のように、相変わらず、 怒涛のごとき、「早打ち、大量打ち」   をしております。 (^^;)ゞ

この高さに慣れてしまえば、ノートにも感覚の応用ができるのではないか、ともくろんでおるのですが、

( しかし、ノートで、裏の 「ツメ」 を立てるとキーボードが斜め(後方が高く)になる、とゆうの、だれか考えてくれればいいのに。自分で「添え木」 でも作ろうかなぁ・・・それとも単に、スタンドがないので手元が暗いだけとか? なんか、ノート、打ちにくいんだよね・・・  )



以前は、デルの、ちょー深いキーボードで慣れていたものが、いきなり、最新型ノートのちょー浅いキーボードになったので、

家で、去年の冬に新しく変えて、まだ慣れていない6月の作品書いてるときなんざ、ノート、打ちにくいったら…。   

おまけに、店パソと家パソの 「Delete」(前の文字を消す) と 「Backspace」(後ろの文字を消す) の位置が 真逆 で、
締切迫って忙しい時に、よく打ち損じてコマッテました。  



今度のは、全くの 「偶然!!」  にも、どちらもNECになったのですが、

店では忘れてて、家パソが東芝だと思い込んでいたので、
そして、前回、家パソと店パソのキーボードが 「真逆」 で懲りていたから、
「同じメーカーのほうが、キーボード配列が同じで打ちやすいのでは? 家のと同じ、東芝にしようかな」 と店員さんに聞くと、
同一メーカーでも微妙に違うことがある、というので、メーカーにこだわらずに買ったのです。

そしたら、帰ってからよく見たら、どちらもNECだったの。 
( なぜちゃんと覚えてなかったかとゆーと、家パソは業者さんに選んでもらったのでね。 ん? でもよく考えたら、ミニノートのメーカーも忘れてたな・汗。   )

でも、店員さんの言ったとおり、せっかく同じNECなのに、
店のと家のとではキーボードの並び方が ホントにビミョーに違って

なので、・・・エーン

やっぱり、打ち間違いやすいったら・汗。

      




まぁ、そりはともかく・・・    

話は前後しますが、

ネットでエラーばかり出て、以前からどうにかしようとは思っていたものの、突然思い立って 「new パソコン」 を購入(9/25)、 10/7に設置してもらったわけですが、 

H君には、一日がかりで、データを移し替えたり、パソコンの設定、設置をしてもらい、 

そのほかにも、あんなこと、こんなことができるようになりたい、 などという、メンドーな無理難題、を快く引き受けてくださり、 

その後も、私がダウンロードとかがうまくできないため、 「パソコンを遠隔操作する機能」( 今はやりの、犯罪っぽいのではなく、双方でスイッチを入れたときだけ、H君が自分のパソコンを使って、松本からKの我が家のパソコンを操作してくれる仕組み ) まで導入してくれ、

かなりのことが、解決処理? できました。 



おまけに、家のノートパソを見てくれたり、
実は 「携帯用のミニノート」 も買ってあったのを、自分で初期設定はできたものの、ネットがつながらなかったものを、つながるようにしてくれたり、
TVでネットができたはずなのが、できなくなっていた、店以外の部屋にも、もう一本ネットを引いていたのがつながってなかった、
( 最後から2つは、単に線が外れていたり、緩んでいただけのことであった (^^;)ゞ )、のを解決してくれたり・・・etc etc・・・   


10月7日に来てくれた時はもちろんのこと、帰ってからも、本当にいろいろとお世話になっちゃいまシタ。 
( つまり、PCは 文章作成とネット(あと、ブログとHP)だけができるにすぎない のであって、
PCの機械そのものには、まったく疎い私 なのでした。    )


H君、ありがとぉーーーーー!!!!!    




《 おまけ ♪♪ 》


携帯用のB5サイズの 「ミニノート!!」  エプソンのを ネットで、超激安! ゲット。  

後ろに見えているのは、ちょうどミニノートに 「ジャストサイズ!!」で、しかもウレタン製! の、100円ショップで買った、ファスナー付小物袋。 v(^^)v 
モノグラムのピンク・キティーちゃんが、かわいいでしょ? (^^)
パソコンは、携帯用なのに黒くてかわいくないので(TT)、 自分でミッキーのシルエットシール (こすると転写されるタイプ) を貼り付けちゃぃまシタが、ちょっとやりすぎ、だったカモ。 (^^;)

そもそも、なぜこれを買ったかとゆーと、 6月末締め切りの作品を書いているときに、上京予定などがあって、時間が惜しかったので、移動時間でも書けるようにと、以前からほしかった携帯用のミニノート ( 自分の場合、ネットよりも文を書くほうが主眼なので、迷ったけど、iパッドよりも、ミニノートのほうがいるだろう、と 「将来的、希望的観測」 のもとにもとに、 ← 気が早いっつーの。  長年考えた挙句 、の結果 ) 購入したのだが、

結局、バスの中なんて、普段の睡眠不足を補うために、ほとんど寝てたって・・・  ← いつものコト。  

でも、こちらは 「長年?の夢」 だったから、持っているだけでウレシイ。   
ちょうど、この、ローンが切れた直後から、店パソの 「new ローン」 がスタートする、という、

お・お~~~!!!    ローンジゴク・笑。汗。   



  
こちらは、昨年買った “通称” 「家パソ」。

以前は、リビング(キッチンの一角)と書斎を行き来したくて、無線ランのノートにしたのですが、今は、基本、書斎だけで使うようにしています。
人間の同居人は一人しかいないのに、目に付くところで、私がPCばかりをやっていたら目障りだろうなぁ(特に敵はPCできないからなおのこと)、と思って。それくらいなら、PCをやっていることがわかっても、その場にいないほうがまだましだろう、と悟った(笑)のです。
(だから、買い替える時、ほんとはデスクトップがほしかったんだけど、業者の勧めで…。ま、場所とらなくていいけど、でも、キーボードの打ちにくさが…(TT))

「背景」は、Takamiy の、今ツアーパンフ、ライブカット版のものを、マニアHPより、拝借させていただきました。 (^^;)ゞ
遠くを見つめるかのような潤んだ眼差し?が、ちょー美しくてセクシーなショットで、一発でお気に入り!!  
 
ほっほっほ。 あっちも、こっちも、タカミーだらけ~  でぇ~す!!・笑。 

マウスのそばで光っているのは、 エネルギーを呼び込み、運気を上げるという
「効力絶大   の、 特大パワーストーン です。    




今年の「誕生日記念?」は、このイスで~す!! 

東京時代、押入れを机として使っていたので (広いし、奥に本棚が置けたのでちょうどよかった。)、押入れの上段の高さに合うように、座高の高いチェアをわざわざ購入したのだが、
それは、普通の高さの机には、昇降式の一番低いのに設定しても、弱冠高すぎて疲れるのだった。(座面も堅かったし)
だけどそれを、何年もずーっとガマンして使っていた  のを、
思い切って高さの合うものに、 やっと 買い替えたのです。 

( みなさん、これでわかったでしょ? 私は何も、全てのものを 「即決」 で買うわけではありません。  何年も我慢したり、迷う品も多々あるんですよ。 )

とりあえず、ホームセンターのものなので、お安いです。 
もっと、ちゃんとしたら、いい物を買う予定で、それを目標にする。 o(^^)o

でも、お安い割には、すわり心地は、意外といいですよ。 座面も、ほんのりとクッションが利いてるし、背もたれの角度もいい。 
一応、店頭で座ってみて、確かめて買ったしね。(^_-)☆



チェアーの、 「秋冬バージョン!!」 でーす!!  

以前、司馬遼太郎さんが、書斎でムートンを敷いた、ご愛用の黒い(多分革か何かの)素敵な肘掛チェアーに座っていた写真を見たため、
文豪にあやかりたくて、黒い肘掛チェアーと、ムートン(もともと自分も大好きでリビングのソファーでは使っているが)を 「真似しぃ」 しました・笑。 (^^;)ゞ

ただし、安いムートンを買ったので、チェアー全体を覆うまでには至らず…  

クッションに使っているのは、首にしわを作らないために使用することのなくなった 「枕」 です。 
でも、もともとは安眠のために、わざわざ本物の “テンピュール製” の 「低反発枕」( 姉が実際使用してとてもいい、家族全員そろえた、といっていたので) を購入したので、高価だったから、超もったいなくてクッションに。
カバーは、お気に入りの、ミッキーの枕カバーです。

足元は、お父さん犬 「カイくん」 の足温器カバーを、TVで見てほしかったので(本物はホットカーぺカバー)、真似して自分で作ったもの。
結構上手にできてるでしょ???   




さて、これらの new パソコンや、デスク回りで、作品をバリバリ? 書けるよーになるといいのですが・・・     

うーむ、「環境」 だけ整ってもね。     

しかも、店パソのデスク回りは、PCの画面が広くなったことにより、今まで使っていた本立てが置けなくなり、
どうしようかと 「未だ」 思案中  で、本や書類?が 段ボールに入ったまま… 

いったい、いつ片付くのやら・・・ 
(母には、あんなもの捨てろと言われた。  エーン、私にとっては、命の次の次くらいに大事なものなのに…  
ん? そうでもないか。 何が入ってたか、忘れた。  )




★ 追記 ★

デスクトップのほうがプロっぽいイメージがして、デスクトップのワープロを長年愛用してきた、とか書きましたが、ふと思い出したのだが、そういえば私、デスクトップのほかに 「ノート型ワープロ」 も同時に持っていたのでした、すでに東京時代に。そのノートはA4型の、ほんとに薄いノートサイズで、今のノートパソコンとほぼ同じような感じ。(機械が単純なのでPCより軽かったと思う)一応、どんな時に使うかは別として、携帯もできるように、という理由で購入したもので、実際、自宅とは別の場所で書くこともあったため、重宝しました。
そのとき、ポケットに入るくらいのミニワープロというものもあったので、よほどほしいと思ったこともありましたが…とにかく、A4サイズでもやや大きかったので、もう少し小さいのがほしいなあ、と思っていたので、小型PCがほしかったのは、このころの夢の延長でもあります。
結局、ワープロがPCにとってかわったので、もう手元にはないですが、どちらのワープロも、「文章を打つ」 という目的をかなり満たしてくれ、PCを購入するまでの長いあいだ重宝しました。
今は、原稿をメール添付できる、という意味合いからも、PCのほうが便利ですが(その他、ネット等で調べ物をしながら書ける点もちょー便利。)

そこでまた、フト思ったのは、ノートPC、打ちにくい…と書きましたが、この、ずっと以前に使っていたノート型ワープロ、そして、一代目の自宅パソ用のノートも、考えてみたら、キーボード、浅かったよなぁーと・笑。なにも、この浅さが、今に始まったことではないと思うのだが、さも、昨年購入したノートのキーボードが打ちにくい、と思い込んでいるのが、自分でも変だなぁーと・笑。

なぜ!!!??? (''?)





新しいパソコンについて  その2

2012年10月15日 | 本・文学・取材等
パソコンの、詳しいことはよくわからないから、どれもみな同じだろう、 「自分の条件」 にさえ、合っていたら… 


と、前回書いた、その 「自分の条件」 とは、なにか。 

じゃーん、

それは、 スタイリッシュであること!!        

ただ、それだけです。 

へへ。なんか、もっと高尚な条件だと思ってたでしょ。ぜんぜん、違います。 



思い起こせば、ン年前・・・

↑ 詳しいことをホントに忘れて、しかも記録にも残っていないため 
(たぶんPC教室に行っていたのがHPを開設する前年の2003年くらいだと思うから、それより前の2001年くらいかなぁーと、なんとなく思うだけで。)、

私が 「パソコン」 なるものを生れて初めて購入した時、その時は従兄のH君に付き合ってもらって、
松本のパソコンショップのようなところでブラウン管型のTVみたいな画面 の、
ほんとに旧式のデカいデスクトップ を、
旧式ゆえにかなり安くなっていたので 購入した。
ウインドウズの98である。



そのとき、H君がノートよりデスクトップのほうが故障しにくいし、安い、と言っていたのと、
東京のOL時代に、職場でも自宅でも デスクトップ型の 「ワープロ」 を長いこと使っていたので、 
デスクトップのほうがカッコいい (文筆のプロっぽい)  と思い込んでいたせいもある。 

確か、液晶型の画面が、そろそろ出始めたころだったと思うが、ブラウン管型みたいな画面のものを買ったのである。




次に購入したのが、つい最近まで愛用していた 「デル」 のデスクトップで、
とにかく、液晶型の画面のものがほしくて、  その他のことでは特に故障とかはしていなかったと思うのだが、
なんとなく旧式で古臭い感じ (色はベージュ) が不満だったため、購入してそんなに年数もたっていなかったし、
何より、減価償却するほど使いこなしてもいないうちに  買い替えてしまったかもしれなかった。 

なので、やっぱり、 もったいないから安いのにしておこう 、と思って、デルにしたのである。

あと、 デル 、なんてメーカー、パソコンのできる人(プロ)っぽいイメージ もあったりして。 

そろそろ、パソコン本体が 「タワー型のスリムタイプ」 になり始めていたころだったが、
安かったので、  デカイタイプの本体 を選んだ。



それでも、“念願の”液晶タイプの画面だったことや 
安いものが購入できたこと (いい買い物をした気分)、   DVDが見られるようになったこと、
あと、自分でいろいろパーツみたいなのを選べたので、
CDやDVDの ダビングがしやすいようにと、ディスクトレイを2つつけたこと もかなりご満悦であった  が、

結局ダビングなんてやり方がわからず、一度もやることがなかった。 

(パソコンに詳しい方ならわかると思うが、多分トレイは1つあればダビングというものもできるのだと思うが、私は、昔 「ダブルカセット」 といって、カセットテープを入れる個所が二つ付いていて、簡単にダビングできるデッキというのが流行った、そんなイメージを持っていたのである。)
 ↑ ここでPCに詳しいヒト、笑わないで下さいよ・・・

デルというメーカーは、パソコンの組み立てを海外で行うことによりコストを抑えている会社なので、
『取説』が英語、もしくは日本語版でも 最低限のことしか書いてなくて、使いこなせなかった というのもある。   

もっとも、日本語版の、ちょー詳しい取説  がついてきたとしても、多分あまり読まないので、使いこなせなかったとは思うが。 

ただでさえ 「大ボケ」(理解力に乏しい ) のくせに、
「取説ぎらい」 とゆーよりは、 全く読まない  というんは、
いい根性しているというのか、致命傷なのだと、たまに思うが ( そのせいで幾多の失敗、過去に数知れず… ← なのに、ったく、学習しないヤツ  )

でも、読むの、

めんどくさいんだもぉーーーん!!!         

↑ 多分に、短絡的で、せっかち。めんどくさがりや。  




それでも、HPの 「なんイナ」 にも書いたように、かなり 「newパソ」 にゴキゲンな私だったのだが…  

その、買った直後くらいに、TV画面の後ろにパソコン本体がついていて 省スペースでスタイリッシュ  
おまけにキーボードとマウスは コードレス!! という

ちょーオサレ   な パソコンが出たことを知るのであった。     


がーん、がーん、がーーーーーん!!!   


え゛~~~!!! 

こっちのが、よかったぁ~。 

がっくし。 


そのときから、 次に買うときは、コレだ   とココロに決めてました。  


・・・

・・・


ま、まさか、こんなに長くなるとは、  
 
ええいっ!! いつになったら newパソコンが登場するんじゃぁ~、  ってカンジで、

自分でもびっくり、ですが、 

終わらないので、 

とりあえず、「その③」 に続きます。    







新しいパソコンについて  その1

2012年10月12日 | 本・文学・取材等
『TAO』 の続きをUPする前に・・・、 

そもそも、なぜに、newパソコンを突如として入れることになったかを、お話ししようかと思います。




「お誕生日」 のところで、お誕生日だから、とか、自己投資だとかご褒美だとか、

色々 「言い訳」 しては、いろんなものを買っちゃった 、 とゆーのは、実はパソコンではなくて…

パソコンを突然買うことになったいきさつは、全然別のところにあるのです。 



買った日は、突如思いついて、レディースデイの1000円だったから、と、 『天地明察』 を見に行った日、

つまりは9月25日の、お誕生日前日だから、いかにもありそうなコトですが・・・ 

そして、前回愛用していた、デルのデスクトップを購入したのは、メモはしてなかったけど、

HPのほうの 『なんとなく、イナカタル』 という、週替わりのエッセイ? を連載していた、2004年(約8年前) のことで、

6月16日付でちゃぁんと、 「わーい、わーい、newパソだぁ~!! 」という記事が残っていたので、確かです・笑。 (^^;)ゞ



そしてそこには、“自己投資だ、と称して” 店の経費から出してもらった、 と書いてあって、ちょーハズカシイっすが…(^^;)ゞ

今、はっきしいって 「酒屋ギョーカイ」 は、ヒジョーにきびしいのっすから、 

それどころではなくて、   

ちゃんと自分で、いや、自分のものだけど 勝手に “家計” から、 「ローン」 で 買っちゃいまシタ。  



「明日、店に新しいPCが入るので、朝からW(地名)のH君が来て、色々設定とかやってくれるから、私は朝早いんだから・・・云々・・・」

と、前日になって夫に報告はしたが、(パソコンが云々、というより、朝早くから家を出る、というほうを言いたかっただけなのだが・笑)

夫は、H君が来る、という方にしか興味がないみたいで、「そのパソコンはいくらしたの?」とか、「そのカネはどっから出たのか?」

などということを、全く聞かない。 

なので、こっちも、聞かれないことをわざわざ言う必要はないため、黙ってるんだけど…(^^;)ゞ

こーゆーときに、何事にも、人のことに 「無関心」 な夫、とゆーのは、


ちょー、らくちん!!  


なのデシタ。 

おまけに、自分でPCが全くできないため、彼の思考回路の中に 「パソコン」 というものが存在しえないみたいで、

PCとゆーもんが、いったいどんなもんか、いったいいくらくらいするものなのか、など、全く考えようともしないみたいだ。

あはは・・・ 



さて、いつものごとく、前振りが、ヒ、ジョーに長くなってしまいましたが、(^^;))))



えっとですね、そもそも 「newパソコン」 を買ったのは、

ある日、突如として、 「プリンター」が故障してしまったから  で、そのときもH君に電話で、どうもプリンタが変で、印刷できないんだけど…

と状況を説明して、解決策を聞こうとしたら (彼はパソコンのエキスパートで、それを仕事にしている人なのです)、「その状態だと、もしかしたら故障してる可能性が高いですね」  とゆーので、

そういえば、もうだいぶ前から色がきれいに出なくて、写真や画像をきれいに印刷したいものは、家パソでプリントしてたよな~、

と、思い出す。      

自宅にはPCもプリンターも、去年買い換えたもの(その前に使っていたのが、かなり前から調子が悪く、しょっちゅうネットがつながらないだの、色々と不便を起こしていたため、)があるのだが、

なにぶんにも、 「店」 のほうで使えないのは、ヒ・ジョーに不便なのである。  

( 家では、午前中は家事とかほかに色々やることがあるため、PCなどしてるヒマはない・・・。夜、帰宅後は基本的にやらないし。
だが、店というのは、一定の仕事が済むと、客さえ来なければ、店番の最中などはヒマができるため、もっぱら文章作成などは、店でやっているワタクシ・・・ ← てめーは何でメシを食わせてもらっとるんじゃぁ~      )



プリンタは今とても安いので、修理に出すより新しく買い換えたほうが安い場合もある、というので、

修理(=送ったり、点検したり、見積もったり、色々、めんどーだし、時間もかかる)

ええいっ!!  そんなメンドーなのはヤだから、新しいの買っちゃえぇ~~~!!!   

↑ 多分に、短絡的で、せっかち。めんどくさがりや。 



そうだ、ついでに、PCのほうも、前からネットでエラーばかりが出て、ちっとも操作がはかどらないから、

去年PCを買ったところ(修理もする)で、調べてもらう約束もしてたけど、そこは、ローンが利かないのと、

また、送ったり調べたり、、云々・・・は、ヒ、ジョーに面倒。
おまけに業者さんで、ちょっとした知り合いなため変に気を使う(ごめんなさい、その方はとっても気さくで親切で、いい方、なんですよ。でも、親戚の人よりは気を使うでしょー、人間として。(^^;)ゞ)

だから、プリンタ見に行ったついでに、新しいの買っちゃえぇーーー!!!   

だいぶ古いし。

↑ よく考えたら、PCはプリンタほど安くない、とゆーか、かなり高価なものであって (デルはまだ、安いほうではあったが)、 修理したほうが多分安く上がるはずだ、と、ゆーのを、うっかり忘れていた…。 

↑ 多分に、短絡的で、せっかち。めんどくさがりや。 

と、ゆーより、なんか、夫がもしもこの事実を知ったら、いつものごとく 「お前、(アタマ)足んねーんじゃね?」 と、小馬鹿、どころか、

大馬鹿、にされそーですが・・・ 



まぁ、買っちゃった、とですよ。  

いきなり。 

しかも、お店で店員さんには、「ちょっとだけ」相談はしたけど、ほぼ  即決     高いのに…

パソコンの、詳しいことはよくわからないから、どれもみな同じだろう、 「自分の条件」 にさえ、合っていたら…

と、ゆー理由で。


うーむ、やっぱ、足んない??? 




パソコンはね、もはや 「自己投資」 なんかではありません。

今の自分にとって、「商売道具」 というか、思考回路の一部、My hand の延長、のようなもので、 片時も? ないと困るもの、

「絶対必需品」 なのです。     

だから、仕方がないのよ~~~・・・ ← 言い訳     



と、言い訳をしたところで、続きを、お楽しみ? に・笑。 





引き続き・・・

2012年10月09日 | 本・文学・取材等
えっと、日曜日に、従兄のH君が来てくれて、無事新しいパソコンとプリンターが入りました。 

その日は色々頼んだので、ほんとに丸一日かかって、いろいろで疲れちゃって、
(遠方から来てくれたH君のほうがもっと疲れたとは思うが  )

次の日もぐったり・笑。 

そして、疲れながらも、新しいパソコンなため、使い勝手がよくわからない部分があり  
(ウインドウズのXPから7にしたため ← 家パソは昨年買い換えたから7なのだが、必要最低限のことしかやらないため、なんとかなっていた)、
そこでまた四苦八苦。      



そして今日は、午前中買い物と洗濯をし、午後は店の掃除や、自販機、ガラスなどを拭き、ペットの皮むきをしてから、

土曜日にある K地区のH神社のお祭り で頼まれた、子供みこしのお駄賃 (菓子袋) を40個作ったら、また、疲れてしまいました。  

おまけに、写真の縮小機能をうまくインストゥールできないので、ブログも思うように更新できず・・・、    

と、ゆーワケで、かなりグロッキーなため、もう少し休みます。  



ひきつづき、皆さま、ごめんなさい。   

ではでは。







お詫び

2012年10月06日 | 本・文学・取材等
あまりこういう、お詫びとか言い訳?みたいなことはしないのですが・・・(^^;)

『TAO公演』の続きの記事ですが、昨日か今日中にUPしたかったのですが、

店の仕事、他でなんとなくバタバタ(ダラダラ?)していて、取り掛かるのが遅れた上に、簡単に書けるだろうと思っていたら、思いのほか進まず・・・、

実は明日、松本の従兄(観劇友達でもあるK子ちゃんのお兄さん)が来て、新しいパソコンを取り付けてくれることになっているので、

明日の作業の敏速化のために、これから、この、今使っているPCを取り外しにかからなくてはならないのです。

なので、今日、明日と、たぶん書けないので、早くてもあさって以降になってしまうの・・・。

こういう続きの記事は、間が2日以上あくと変なので、一応理由をお話しておこうと思いました。(ほんとは新しいPCのことも、入るまで伏せておきたかったのになぁ~・笑 ← 自分、どこまで秘密主義者やねん。(^^;))




と、ゆーワケで、みなさま、しばらくは、ごきげんよぉ~~~。 

てか、ごめんなさい。 



あー、早く、とりはずしにかからなくちゃ。  時間がないわ・・・。 アセ、アセ・・・。  

古くてデカい、タワー型のデスクトップだから、線がね、ごちゃごちゃで、ワケ、わかんないの。     

あーん、わかってたことなのに、明日来るって・・・。    



なぬ!?    いつものことだって!?    えへへ。 (^^;)ゞ



その数分後・・・

あ゛~~~!!!、ちょっとまって、データ、移し変えなきゃいけないのよね?

だめじゃん・・・とりはずしちゃったら。たぶんね。

が、こんなときに限って、Hくんと連絡が取れない・・・。

店、9時半までしかいないのに、どーしよ!? 

しかも、ナゼカ、こんなときに限ってケータイまで家に忘れてきたっぽい。 ← 直接関係はないが、それだけで、不安。。。  ほとんど用のないケータイなのに・・・。


あ゛ー、もう9時だわ。

よしっ、やめた。

ハラをくくって、PCは取り外さないことにする。 

なんとかなるでしょ。

店の仕事もしなくちゃ、だし。 ( 閉店間際のビール詰め(売れたもの補充))


それではみなさん、さようなら。 

(ナニを書いておるのか、私・汗  みなさん、あきれて笑わないでください・・・ 







できました!! f(^^;)v

2012年06月30日 | 本・文学・取材等
本日シメ切りで書いていたやつ。 

あ゛~~~ぢかれだぁ~。

かなりヘロヘロで、放心、脱力状態です。 

ね、ねむい・・・ 

ナンも考えれんケド、みなさんご心配くださってるかも? ( てか、ネコタ、こんなに遊び歩いとって、だいじょーぶかいな、ホント間に合うんか?  と、気をもんでいてくれそーなんで・笑  )

と思い、

力を振り絞って? ( ← おおげさ・笑 ) ご報告です。 


でもって、

どーせ、アホのネコタ (サカタじゃないよ・笑) は、ギリで7時配送の夜間窓口まですっとんでった、と思ってるでしょぉ~? 

ノンノン。

きょーは、ちがいまっせ。 (^^)b 

と、いっても、5時過ぎの郵便集配に、ギリで間に合った、くらいの違いかしら?

エヘ。 (^^;)ゞ 
 
いやぁ~、だって、終わんないんだもん・・・。         


前回 9月のが、219枚を一ヶ月で仕上げたのに対して、

今回は 倍の490枚を、やっぱりほぼ一ヶ月で仕上げたのっすからね。

すごいでしょ? 

エッヘン。 

ふだんは、かなりサボッてますケド、   ネコタは、やるときゃぁ、やりますっっ。!!  

 ↑ だれもホメてくれないから、自画自賛・笑。   


でもって、今回はちょっと本気出しましたよぉ~。 

なんつったって、あの、ネコタが、昼間( 午前中は自宅で、午後は店番をしながら・笑 )はもちろんのこと、夜の帰宅後も 「飲まずに」 、ほぼ毎日、書いてたんですから!! 
( しかも、朝も早起き!  )

てか、単にこのままじゃ間に合いっこない、と思ったから、だけなんすが。   

でもって、ホントに飲まなかったのは前半くらいで、後半戦はひととおり書き終えたら、寝る前にちょろっと飲んでましたが。  ( 禁酒が目的ではなくて、あくまで、効率よく書くのが目的ですから・笑。v(^^)v 思考が鈍るので、書くときは絶対飲まないし。 )


ま、そんなこたぁ、どーでもいーんすが、 

とにかく、ヨカッタです。

できて。   


「龍王子ワイン」、まだもう1本あるから、この日のために、今回は忘れないように、3日前から冷やしてあるし、 (^^)b

今晩は、とりあえず、の、うちあげだぁ~。 



みなさまも、よろしかったら、ご一緒に喜んでくださいね。     



( して、直前まで手を入れてた最後のほう、気になるけど、直したい箇所を発見するとコワイから、しばらくは読み直すの、や~めよっと。    )




はまみつを先生を偲ぶ会

2012年05月28日 | 本・文学・取材等



5月27日(日)、松本の某ホテルで、昨年2月にご逝去された、 『 はまみつを先生を偲ぶ会 』 が催されたので行ってきました。

私は今年の始めに信州児童文学会より発行された、とうげの旗別冊 「はまみつを追悼号」 ( 上の写真で、会員の北沢彰利さん編集。 会員間では内容が良いとのことで好評です。 ) の販売係だったので、早めに会場へ。 ( 出席された方々は、ほとんどみなさん、お持ちの方ばかりなので、そんなに多くは出ませんでしたが。 )



午前中が 「 はま文学と人生を語る 」という、はま作品の朗読や、人となりや作品を語るパネルディスカッションなどを含む内容。

午後は会食をしながらの、各方面からのスピーチやスライド上映などがされるもので、

なかなかに、素敵で素晴らしい、とても良い会でした。


特に信州児童文学会会員の方々のスピーチは、さすが童話を書いていらっしゃるだけあって、みなさんお上手。

詩人で当会名誉会長であられる高橋忠治先生は、先の牛丸仁先生のご葬儀でも弔事を読まれましたが、その、文章のうまさだけでなく、切々と訴えられるような重みのある言葉(音声を含む)のひとつひとつに、じん、となります。まさに、絶品。

それから、同じく名誉会長であられる宮下和男先生と、会員であり、はま先生とも親交の深かった滝沢喜和子さんの訴えかけられるようなスピーチも、胸を打ち、はま先生がご逝去されて一年以上たつのだもの、まさか、と思いながらも、私は泣いてしまいました・・・。  
( はま先生の実弟であられる濱哲郎さん、ご子息の濱秋彦さんも、さすがはま先生の血筋、お声といい、話術といい、人を惹きつける名スピーチで、大変感動しました。ここでも、涙。  )



なかでも、一部の 「パネルディスカッション」 は、とてもよかったです。

パネラーは、はま先生がコラムを連載されていた新聞、市民タイムスの編集委員であり、数ヶ月に一度会食されながら論議を交し合うほどに、はま先生と親交の深かったという、赤羽康男さん、信州児童文学会より、一緒に会設立に加わり、親交も深かった和田登先生と、若手代表?の山崎玲子さんの3人。

はま文学やはま先生の人となりを、実に的確に、魅力的に、ご自身との楽しかった思い出話( はま武勇伝を含む )を交えながら、語ってくださいました。


中でも印象深かったのは、和田先生のおっしゃられていたことで、

はま先生は詩を沢山読まれていたせいか、語彙が豊富で、また 「直観力」 にも優れていたので、その直観力から続々と短編を生みだされた、ということ。


そして、はま先生は、

「 文学というのはつぐないである。救われたいがために書く。

文学というのは、悲しい心をもったもの、傷ついたものだけがわかればいい。

みんながみんな、わからなくてもいい 」、

とおっしゃっていたのだそうです。 ( なんか、共感しますよね。私もそんな気がする。)



あと、自分は教員になりたくてなったわけではなく( 信州の会のほとんどの大先生方は、かつて小学校の教員をされていました )、教師くらいしかなるものがなかったから仕方なくなったという、挫折感から出発している、とおっしゃって、一時期は執筆と教員との両立に悩まれていたそうで、

毎日、睡眠5時間で執筆活動に、10年当たられていたということ、

また、同僚の出世に嫉妬したり苦しまれていたと言うこと、


など、初めて知ることも多かったが、自分と似ているところがあるのかなぁーと、おこがましくも思ったり、共感を呼ぶ部分が多くあった。



「 文学とは、ものにならなければ全人格を否定されてしまう。

だから、文学で成功しなければならない。 」

とおっしゃっていられたというが、

それは、全く同じことを私も常日頃思っているので、まさに同感だ、と思った。


自分が日ごろ文学( 書くこと )について思っていること、悩んでいることなどが、はま先生のおっしゃっていた、という言葉のひとつひとつによって、まさに実証されていくような、これでいいんだ、と実感していくような、そんな時間をもてたことは、大きな収穫でした。

じん、と胸にきました。  


ほんとうに、生前はま先生と、もっともっとお話をしたかったです。



お料理もおいしかったし、今度はちゃんと電車で行って、同じように 「しっかり飲まなかったらはま先生に怒られるから」 と電車で来た、という、久しぶりにお会いした・笑、松永さんと隣り合わせて、しっかり飲んで、   

二次会の 「お茶会(笑)」では、はま先生と宮口しづえ先生の、誰とケンカしただの、ケンカして会を途中で出て行っただの、その後しばらく会に来なかっただの、また、お酒を飲んだゆえの奇行、武勇伝 ( このお二方は、本当によく飲まれ、しかも飲んでなくても武勇伝が色々すごい・笑  )などの思い出話に花が咲き、( 大先生方のお話をただ聞くだけなのだが、これがおもしろいのなんのって。ああ、宮口先生に、生きているうちに一度でもお会いしてみたかった!!   女性なのに、すごい豪傑。しかも、あの、文章から想像できません。  )

楽しく帰ってきました。  


宮口しづえ先生を愛して止まなかったはまみつを先生ですが、このお二方は、豪傑ゆえに敵も多かったみたいですが、

でも、どこか憎めない、愛すべき方たちだったのだろうな、と思います。

その、純粋で真っ直ぐなお人なりと、情熱と才能と。

そして、なんといっても、努力と。



私には、才能はもちろんですが、情熱と努力が、まだまだ全然足りないなぁー、と思い知らされたことです。 



それで、数日前からの計画通り、

明日から書きます。  


ここで、はま先生を偲ぶ会に参加させていただき、はま先生の「誠の文士」(羽生田敏会長弁)たる、まさに命を削るように書いてこられた、壮絶な生き様に触れ、

また、他の出席された同人の方々からも色々と刺激を受けられたのも、ご縁に違いない。


神様は、どう考えても私に、「書くな」 という理由が見当たらないので、

これはもう、「書け!」 と言っているしかない、のだと思います。


ですから、書きます。

しかも、ちょっと本気出します。 



先日は、あとでわかったのですが、ちょっとPMS入ってたからとも思うのですが、どらちーのことでメソメソしていて、めちゃめちゃ暗くて、結果ご心配おかけしちゃったかもで、どーもすみませんでした。  

あと、書くことを第一として、書くことを中心に生きているので、何かにぶち当たるとすぐ、原点に立ち返って、こんな自分、「書けない」、とゆー発想にすぐ、なってしまうのですよ。これも、一般的にはわかりづらく、え゛~っ!?的(おおげさ)に見えるかと思いますが、しーませんです。

( 言い訳しますと、あとに書くものも詰っていたので、どうしてもあの日書かなくてはならなかったのですよ。で、書いてるうちに元気出てくるかも、と思って書いたのですが、ちょっとダメだったみたいです。読みが甘くてしーません・・・。今度は大丈夫です。書いてるうちに元気出てきました。  )




ネコタ、がんばりまぁ~~~す。!!!  

応援していてくださいね。 ( ちょっとブログも減りますが、ご容赦を。  )






偲ぶ会出席者に配られた、記念品の、

はま先生が生前愛用されていたと言う 「トンボえんぴつ(これは赤と黒が一緒になったもの)」 、罫線の幅がが太い 「ツバメノート」 、

そして、はま先生が 「福の神」 といって愛されていた 「フクロウ」 の寝付け。

はま先生のお義姉様( 奥様のお姉様 )が、出席者100人分、ひとつひとつ全部手作りしてくださったそうです。  ( す、すごい。ありがとうございます。 )



筆記用具は、もったいなくて使えないので、書斎に飾ってお守りに。 

フクロウの根付は、私にも幸運をもたらしてくれるでしょうか?   



いつか、はま先生に認めていただけるようなものが、書けたらいいですね。



     *   *   *   *   *



■はまみつを・・・昭和8年、現在の塩尻市片丘に生まれる。信州大学教育学部を経て昭和30年より教鞭をとる。昭和31年、「とうげの旗」創刊に参加、以降、当雑誌編集長、信州児童文学会会長などを歴任。平成22年、朝日美術館にて「はまみつを童話の世界展」開催。平成23年2月、77歳にて病没。

主な著書:「北をさす星」(昭和39年、処女出版)、「わが母の肖像」(昭和45年)、「かぼちゃ戦争」(昭和55年、日本児童文学者協会賞候補)、短編集「ポンポン船」(平成20年)「信州むかし語り 山と民の話」(平成23年、絶筆)など多数。
「春よこい」(昭和54年)で第九回赤い鳥文学賞受賞、童話集「レンゲの季節」(昭和57年)第五回塚原健二郎文学賞、「赤いヤッケの駅長さん」(平成元年)で、第三七回産経児童出版文化賞受賞。

( ※ 追悼号は1000円にてお分けできます。読んでみたい方はネコタまでご連絡ください。私の拙文も載っております。  )





苦渋の?決断

2012年04月19日 | 本・文学・取材等
新調した 「ミッキー・パワーストーン・ブレスレット」 と、PCスタンドの光でも、効力は弱めでも充分にきらきらとキレイで、見ていると幸せな気分になれる 「サン・キャッチャー」 のお陰か?    

けっこう “絶好調?” で書き進めていた 「例の作品」 ですが、 

書いているうちに、

うーん、これは、どう考えても間に合わない・・・。 

しかも、

規定枚数に、どう考えても、こりゃ、収まらんわな。 



「付け焼刃てき」 なもので仕上げたくはないし、

う~~~む・・・      



と、ゆーんで、

数日間、色々考え、検討した挙句、

発想を変え、自分てきには 「苦渋の決断?」 をしまして、 

完成締め切りを、4月末日から、6月末日に変更しました。 

そして、そのことによって生じる、しわよせ?てきなものも、対象の方2人に確認を取ったりして、一応大丈夫ということになり、ほっとひと安心。 



でもね、これで終わったとか、解決したわけではなく、先に伸びた、とゆーダケで、  まぁ、前ほどモーレツに根を詰めなくてもよくなったのだが、 「中程度」 には “根詰め状態” が続くわけでして、 

4月いっぱいで解放されるか?と思った “根詰め状態” が、6月末まで続くのかぁ~、( あと、2ヶ月も・・・ひょえ~っ、こりゃ、しんど。 )

と、ゆーのと、

4月いっぱいのつもりで意気込んでいたのが、いざ変更になってみると、安心感というより、なんか、気ィぬけた、とゆーか、ちょぃ、自己嫌悪? ( サボッてたワケでもないし、見通しが甘かったとも思ってはいないが、単にできなかったという事実に対して )

そのせいかどうかわからないけど、なんか疲れが出て、今朝は中々起きられなくて、大幅寝坊、をしてしまいました・・・。 

( ひょっとしてPMSかもしれないけど・・・。 )


応援したり、励まして( はっぱをかけて? )くれた人もいたのになぁ~。


とほ。 




まぁ、ほんでも、

できなかったモンは、仕方あるめぇ~。   



気持ちを切り替えて、次なる目標に向けて、ガンバリます。 

納得のいくものに、したいですからね。    



落ち込んだり、気ィぬけてるヒマがあったら、今度こそ、ちゃんと仕上げよう!!




と、ゆーワケで、

引き続きの応援を、よろしくお願いいたします。  

てか、気長に見守ってやっておくんなまし。 








牛丸仁先生のこと

2012年04月02日 | 本・文学・取材等
きのう4月1日は、隣のA町で、信州児童文学会のK支部を、長い間たった一人で牽引してきてくださった、童話作家牛丸仁(うしまるじん・本名はひとし)先生のご葬儀があったので、他の会員の方たちとご一緒に行って来ました。

牛丸先生は、ずっとK町に住んでいらっしゃいましたが(私と同じS地区)、ご出身はA町だそうです。

お亡くなりになったのは、2月7日。ご長男のいらっしゃる三重県鈴鹿市でのことでした。

私は、信州児童文学会に入れていただいたのが2006年の夏。その年の秋に、会の60周年記念式典が信州・黒姫童話館であったので(泊りがけ)出席したのが最初で、その後は、明けた2007年3月の総会に参加。その年の夏の会は、体調があまりにも悪くて参加できなかった。

2008年の総会は、何とか頑張って参加したが、そのとき、牛丸先生の奥様がご病気で(2007年から)、看病のためだということで、牛丸先生は参加されなかった。奥様は、1年半の闘病ののち亡くなられたと聞いたが、そのとき同会名誉会長で詩人の高橋忠治(ちゅうじ)先生に「あのときだけは、この世には神も仏もないのか、と思った」と、おっしゃられたそうである。

その後牛丸先生ご自身も奥様と同じ病に倒られたと聞いたときは、本当にびっくりしたものである。その後退院されて、ご長男のいらっしゃる三重県に居を移されると聞いたときは、もっとびっくりした。
お一人になられ、今後も体調等のことを考え、ご長男の家に同居したほうが得策、と思われたようであるが、Kで生まれ育ち、職業柄(小学校教員)あちこち転勤して歩いてこられたとはいえ、長くKの地の文学を担ってこられただけに、断腸の思いであられたことは、想像するに難くない。

しかしながら、たまたまご長男のご友人の紹介で、「鈴鹿カルチャースクール」にて、文学のご講義をされることとなり、高橋先生からのご紹介で、牛丸先生のお元気なお写真などを会の全体メールで拝見し、ああ、さっそくもう彼の地でもご自分の居場所を見つけられて、ご活躍されていらっしゃるのだな、と安心していた矢先のことであった。




ご長男のお話によると、牛丸先生は、医者からの、ご自身のご病状や手術した場合に関するご説明などを受けて、考えた末に、「手術をしない」という選択をされ、Kの住み慣れた我が家を去るときも「これで最後だな」と感慨深そうにつぶやかれたそうである。

総てをご自分で決め、そのように生きた牛丸先生。

鈴鹿に来た時点でかなり症状としては重いと言われていたのを、カルチャースクールでの講義を生きる支えとエネルギーにし、医者も驚くほどの生命力で、最初のご講義を終え、昨年は宮沢賢治のご講義を展開。結局それが、最後のシリーズとなられたようである。

箸をも持てぬ指先で、最後まで万年筆を握ろうとしていたという、牛丸先生。

最後まで、文士であられたのだな、と胸が熱くなる思いがした。


また、大先生と犬とを比べてはあまりに申し訳ないが、手術をしない、という選択をされて生きたという牛丸先生のお姿に、どうしても、うちの愛犬ゴンの姿が重なってしまい、そんな意味でも涙が出そうになってしまった。



同じ町内に住んでいながら、私は、生前、先生にお会いできたのは、だから、たった2度。

60周年記念の会で初めてお会いして、そのとき事前に送らせていただいてあった、私の『松商ナインの本』のことをお褒めいただいたこと。2回目は翌年の総会で「K支部もずっと一人だったけど、やっと2人になったから、一緒に頑張りましょう。」と目を細めてくださり、私が節約のため鈍行を乗り継いでKまで帰るのだというと、「私はもう、そんな元気ないから特急で帰りますよ。」とおっしゃっていた、その快活そうな笑顔が、忘れなれない。

結局それが、牛丸先生との最後になってしまった。

信州の会に入れていただいてから、2度ほど先生のご講義の会などが、町主催で、せっかくK町で開催されたのに、ちょうど体調が一番悪いときで、参加することができなかったのが、今となっては悔やまれる。



引き物には、私の前にスポットの担当をされていた、当時(1989年)の信州児童文学会会長の宮下和男先生の解説文のコピーが同封されていた。


牛丸先生は、童話作家だと思っていたが、長編文学も書かれていたようで、自伝的文学の『風景』は、第十回塚原健二郎文学賞を受賞されたそうである。

それによると、牛丸先生の長編三部作、『けいべん』、『風景』、『塗師(ぬし)の峠』は、いづれもK谷に住む人々の姿を描いた、感動的な大作であったようだ。

Kの地を愛し、Kと共に生きてこられた牛丸仁先生。

Kの地を描いたお作品があったことを、私は今回めて知りました。

今、たまらなくその三作品が読んでみたい。




先生の御戒名は『仁道文芳居士』。

最後まで文士として生きられた先生にとても似合っている、いい御戒名だと思います。

最後まで愛して止まなかったKの地で、みなさんに見送られ、深い眠りにつかれました。

ご葬儀が行われたのは、眼下に名勝“寝覚ノ床”の望める、絶景のお寺です。




牛丸仁先生、宮口しづえ先生、そして大先輩?には、文豪島崎藤村がいます。
( 聞くところによると、宮口先生は、藤村を慕って、生まれ故郷である小諸からKに移り住んだらしいのだが。 )

この、切り立った崖の底を、針の先で引っ掻いたようなわずかな平地を切り開き、人々が細々と生活を送っているようなKの地で、私も生きています。



先人の大先生方の生きざま、考え方などに学びながら、私もちいさな声を、谷あいにこだまさせることはできるのだろうかと、小雪ちらつく、暴風の“寝覚ノ床”を背に、思ったことです。