ないない島通信

「ポケットに愛と映画を!」改め。

イン・トリートメント1

2019-01-23 11:07:48 | 映画
(これは2017年7月2日の記事です)

アメリカのドラマでまたちょっと面白いものを見つけたので紹介します。(残念ながらHuluの配信は終了したようです)

「In Treatment」

セラピストによるセラピーを毎回紹介するという形のドラマ(フィクション)で、舞台はセラピストの診療室のみ。登場人物はセラピストのポールと患者たち。患者は曜日ごとに違います。

月曜日はローラ。
婚約者と結婚間近ながらも気がすすまない。セックス中毒の気がある。誰とでも寝てしまう。ポールに気がある。

火曜日はアレックス。
アメリカ空軍に所属していて空爆で学校を爆撃してしまい16人の子どもが亡くなったが、彼は何も感じなかったという。

水曜日はソフィー。
16歳。体操選手でオリンピック出場をめざすが、事故にあい両腕にギプスをはめている。メンタル面で問題があり、医師の診断が必要と言われポールのもとにやってきた。

木曜日はジェイクとエイミー。夫婦。
不妊治療の末、第2子を妊娠したがエイミーは出産をためらっている。夫婦の危機。

金曜日はポール。
セラピスト自身がスーパーバイザーのところに駆け込み、セラピーを受ける。これによりポールの家庭問題などが浮上してくる。

つまりまあ、アメリカのよくあるサイコセラピーの話なのですね。そして、驚くべきことに、回を重ねるたびに状況が悪化していき、にっちもさっちもいかなくなっていきます。

現在シーズン1の5週目に突入したところですが、患者たちがハンパない。セラピストに暴言を吐き、おまえはどうなんだと突きつける。ポールもいたたまれなくなり、スーパーバイザーであるジーンのところに駆け込みますが、ジーンも一筋縄ではいかない。ポールの妻は浮気をしており、ポール自身の家庭も崩壊寸前です。

つまり、セラピーを受けたために彼らは、結婚を解消し、流産し、恋人と別れ、凄惨な過去を思い出させられ、家庭が崩壊寸前で、状況は悪化の一途をたどる・・というお話。

と書くとまるでコメディのようですが、実際彼らの話はシリアスそのもので、傍から見ていても、この先どうなっちゃうんだろうと心配するほど。

でもまあ、考えてみれば、日本にはほとんどないこの類のセラピーを受け、深層心理を分析することによって、はたして状況は変わるのか? 少しでもいい方向に向かうのか? 非常に疑問ですね。

セラピー氾濫国家のアメリカを揶揄しているドラマなのだ、と思って見ると、なかなか興味深いですが。

何といっても、彼らは患者でありながら、毎回ポールの痛いところを突いてきます。16歳のソフィーですら例外ではありません。

それに対してどう感じたの? ときけば、なんでそんなことを聞くんだ、あんたはどうなんだ?

と質問に対して質問で答える。決してドクターと患者という立場でモノを言わない。相手はドクターで専門知識があるので、ここは遠慮しておこう、とかいう配慮は一切なし。空気なんて絶対読まない。専門家だろうが何だろうが、言いたいことは言う。相手の土俵には決して入らず、相手を自分の土俵に引きずり込む。見事なまでに。

だから、戦争が起きるのね。

そしてまた、こういう人たちと戦争はできないよなあ、とも思います。

決して相手にコントロールされまいとする。力の奪い合い。結局、そこにあるのは、恐れやコンプレックスなのでしょうが、彼らの誰一人として気づいていない。

一番いいのはセラピーを辞めることですね。

心理分析をやめて、ただ静かに山や海を眺めて一週間くらい暮らしてみると状況は変わるかもしれない。あるいは、変わらないかもしれないけれど、少なくとも悪化はしないでしょう。

セラピーは役に立たない、という皮肉をこめたドラマだと思って見ると面白いかも。
(実際はシリアスなドラマとして評価が高いようですが)

まだ最後まで見てないので、彼らの行く手に何が待っているのが興味ありますが、見ていて非常に疲れるドラマなので、この辺で見るのを辞めるかもしれないし、結局最後まで見るかもしれません。

セラピーや心理学に興味のある方にはお勧めですが、楽しいドラマを見たい方にはお勧めしません。

それにしても彼らは年がら年中セックスの話ばかりしているのだけど、これってどうなの?
人間として自然なこと? それとも中毒? 何かの代償?

と疑問だらけです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「アンガー・コントロール」セミナーに行ってきました

2019-01-21 13:20:45 | 映画

久々にカウンセリングの話題を。
一昨年の夏から秋にかけて、カウンセラー養成の通信教育を受けていたことは、すでに書きました(ティグ・ノタロの「ワン・ミシシッピ」シーズン2など「ないない島通信」2017年の記事)。

この通信教育の会社が時おりセミナーを開催します。

今回は「アンガー・コントロール(怒りのコントロール)」がテーマだというので、
どんなんだろう? と興味をそそられ出かけていきました。

余談ですが、
セミナー当日、中央線で事故があり(中央線はわりとしょっちゅう事故があって遅れるのですが)この日は何と午後5時前に起きた事故の影響が夜遅くまで続き、行きも帰りも電車の遅延で、駅のホームは人でごった返し、久々に東京の混雑ぶりを味わわせてもらいました。

でもね、往路復路とも早い時期にわりと賢い選択をしたので、凄まじい混雑に巻き込まれることなく、しかもラッキーなことに、乗り換えるたびに座ることができました。
この遅延と選択もまた、興味深い経験でした。

さて、
「アンガー・コントロール・セミナー」ですが、最初に私が感じたのは、

この先生、なんで怒ってるんだろう・・

ということでした。

アンガー・コントロールなので、怒りを鎮める方法についてあれこれレクチャーされたのですが、その最中ずっと私が感じていたのは、講師の中の目に見えない「怒り」の存在でした。

人は言葉に出して表現するバーバルコミュニケーションと言葉にはしないノンバーバルコミュニケーションの両方を使っています。

ノンバーバルコミュニケーションは言語化されない表現、つまり表情や身振り、声のトーンなどで表されるもので、無意識に出てしまうことが多く、本人は気づかないことが多いのですが、周囲の人はわりと感じ取っています。

「あら、素敵なジャケットねえ、すごくお似合いよ」と口ではいいながら、内心では「バカみたい・・」と思っていたりすると案外伝わっているものなのです。

カウンセラー養成講座を受けた人たち相手のセミナーなので、こうしたことは皆すでによく知っているはず。

もちろん、経験豊かな講師に対して無遠慮な発言は一切ありませんでしたし、平穏のうちにセミナーは終了したのですが、講師はなぜか終始イライラして何かに怒っている、といった印象を受けました。

面白いなあ、と思いました。セミナーの内容よりもこちらのほうがずっと面白い。人って嘘つけないものなのね、と思いました。

そして、あることに気づきました。

つまり「怒り」に焦点をあててそれをどうやって回避するかを考えているうちに、私たちの無意識はいつのまにか「怒り」に取り込まれてしまうのではないか、ということです。

「怒り」の種類を幾つかあげて、それぞれの怒りの対処方法を示し、毎日今日はどんなことに対して怒ったか日記をつけるといい、と講師は言います。

それこそが「怒り」を助長する一番確かな方法なのではないか、それを実践してきたからこそ、この先生は「怒り」を克服できずにいるのではないか、と思ったのでした。

「怒り」を鎮めるためには「怒り」から目をそらす必要があります。

そもそも「アンガー・コントロール」をテーマとしたセミナーをすること自体、「怒り」にしがみついている証拠ではないかしら。

「怒り」を手放したかったら、もっと別なテーマを探したほうがいいのでは?

私たちはフォーカスするものに目を奪われます。

舌が常に虫歯を探すように、至らないところ、見たくないものについ目を向け見入ってしまう。怖いもの見たさ、みたいな感じかな。

でも、そうすると、怖いものはどんどん大きく成長するんですね。

私はそう感じています。

できたら、「怒り」ではなく「喜び」や「楽しさ」に目をむけてそちらの方向に進んでいくほうが、怒りから早く脱却できるのでは、と思いました。

でも、セミナーのおかげで、帰りの電車遅延に際しても、
「そうだ、ここで怒ってはいけない。賢い選択をしよう」
と冷静に考える私がいて、混雑した中央線をやめて、京王線に乗り換える決断をしたのでした。
これは賢い選択でした。

怒ったり焦ったりすると、いいことは何もないのですね。
もちろん怒るべき時には、しっかり怒る、ということも大事だと思いますが。

というわけで、電車の遅延も含めて示唆に富んだ一日でした。

人生ってこういうことを時に教えてくれるから面白いですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ティグ・ノタロの「ワン・ミシシッピ」シーズン2

2019-01-20 10:39:30 | 映画
(これは2017年11月10日の記事です)

しばらくのご無沙汰でした。
キャリカレの通信教育「メンタル心理カウンセラー」の試験に合格し、晴れてカウンセラーの資格を取得しました。いよいよカウンセラーとして第一歩を踏み出す・・と言いたいところですが、そうは簡単にいかないようです。

まずは自分自身のカウンセリングをして、内面をクリアにしておかなくてはいけないし、もっと勉強も必要です。

現在「上級心理カンセラー」の勉強中です。
こっちの方がずっと面白いです。ようやく心理学の各論に入った感じで、交流分析とか論理療法とか認知行動療法なんかを勉強しています。カウンセリングは今しばらくお待ちくださいませ。

ところで、
先日も書いたティグ・ノタロの「ワン・ミシシッピ」(10月14日の記事)のシーズン2が早くもAmazonプライムで公開されたので見ました。

シーズン2は、ゲイや性的虐待の話などが中心で、シーズン1より見る人を選ぶドラマになっていますが、やはり面白いです。
(随所に笑いが散りばめられているのは同じ)

とはいえ、これ、ティグ・ノタロの自伝的作品。
彼女が実際に経験したことが描かれているわけで、アメリカという国の闇をまた見てしまったという感じです。
(ま、日本でも似たような闇はあるのだけど、日本じゃこんな作品はできないでしょう)

とはいえ、あいかわらずティグの飄々とした表情からは、なかなかシリアスさは伝わってこないかもしれません。そこが彼女のすごいところなんだけど。

今回は、DJの相棒のケイトに降りかかったある事件をきっかけに、ケイトもまたゲイかもしれない、という展開もあり、見応えあるドラマに仕上がっています。

また、なかなか恋人ができなかったレミ(ティグの兄)にも恋人ができ、しかも、あの堅物のビル(ティグたちの義父)にまで恋の予感が・・

というわけで、最後は家族全員がハッピーエンドでよかったね、という終わり方なのでご安心を。

それにしても、アメリカ南部って、いまだにこんなに差別的なのか、という驚きもあります。

たとえば、ビルが倒れて入院したという知らせを受けて彼女が駆けつけると、病院の受付の女性が、ティグにビルの病室を教えてくれない。
なぜかというと、彼女がゲイに見えるから。
ゲイは病院には入れない、とはっきり言われるのです。
マジで!

また、レミの新しい恋人のデゼリが、
「子どもって恐竜なんか信じてるのよね」という場面もあります。
ティグが「恐竜を信じてないの? だって博物館にいるよ」といえば、
「恐竜の骨だか何だか知らないけど、私は実物は見てないわ。見てないものは信じない」と断言する場面もあります。
進化論を否定するキリスト教もけっこう恐ろしい。

ティグはゲイというだけで差別され、性的虐待を受けたとラジオで発言したことでスポンサーが全部降りてしまい、散々な目にあいますが、あいかわらず淡々と飄々と、あわてず騒がず彼女のやり方を通します。実に見事です。

日本人はともすると、大多数の意見に流される傾向がありますが、ティグのように過酷な経験をした人にとっては(彼女は自分なりのやり方で乗り越えてきたのですが)、些細なゴタゴタはあまり気にならなくなるのかもしれません。

ともかく、
周囲から否定されているように感じたとき、自分だけのけ者にされていると感じたとき、ティグを思い出すといいかもしれません。我が道を行く、というのはこういうことなんだと。

それから、
ビルの恋愛が意外で面白かった。
人ってわからないもんですね。
だから、人生は面白いのよね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ティグ・ノタロの「ワン・ミシシッピ」

2019-01-18 10:16:00 | 映画
(これは2017年10月14日の記事です)

Amazonプライムで面白いドラマを見つけた。

「ワン・ミシシッピ」

コメディアンのティグ・ノタロの自伝的作品だといわれている。

ティグ・ノタロって誰?

というわけで、ネットで調べたら、モノタロウ・・が出てきたりして、日本じゃあまり有名じゃないってことがわかった。

ティグ・ノタロはアメリカでは有名なコメディアンで、「レズビアン界のトム・クルーズ」といわれてるんだって。たしかに似てる。横顔なんか特に。

「ワン・ミシシッピ」は、彼女の自伝的ドラマで、現在シーズン1(全6話)がAmazonプライムで配信されている。私は全部見終えてすぐに二回目を見た。

何しろ彼女の身の上に起きたことといったら尋常じゃない。乳ガンで両乳房を切除した直後に、母親が事故で危篤になる。まだ病み上がりでよれよれのティグがLAのラジオ局(ここでDJをやっている)から故郷のニューオーリンズに戻るところからドラマは始まる。

空港で何度もトイレに駆け込まないといけないほどお腹の調子もよくない。実家には母親の同居相手のビルと兄のレミーが住んでいるが、ビルとティグたちの相性もよくない。

ビルは潔癖この上なく、しかも神経質で口うるさい男なのだ。レミーは実家の屋根裏に家賃を払って同居させてもらっている。

というわけで、ティグが母親の死を見届け、葬儀を終えて再びLAのラジオ局に戻るまでが描かれているのだけど、

この尋常ならざる状況にも関わらず、随所に笑いが散りばめられていて、時々お腹を抱えて笑い転げてしまう。

ビルの潔癖で硬直した性格、レミーの少しネジのゆるんだ性格、ティグのすべてを諦観した感じ、それらがあいまって実に微妙でおかしい家族関係を作りあげている。

母親の死に対しても、彼女は泣いたり嘆いたりしない。どこまでも淡々と身にふりかかる災いをブラックジョークと共にやりすごす。

しかも、所々に差し挟まれる母親との思い出には、美しいものもあれば苦いものもあって、とてもリアル。

やがて、母親が隠し通してきた秘密も白日の下に晒され、兄妹二人でやるせない気持に襲われる場面もあり、また、ティグの幼少期に起きた出来事も関わってきており、なかなか波乱万丈の人生なのだが、ティグはそれらを彼女独特のやり方で見事に切り抜けるのだ。

キュブラー・ロスの「死の受容の五段階説」に従うなら、ティグは最初から「受容」しているようにも見える。実際ドラマの中でティグとガールフレンドのブルックのこんな会話がある。

ブルック「(ビルの行動について)キーブラーの『死の否定』でしょ・・」
ティグ「キュブラーね。キーブラーは木に住む妖精で、クッキーを焼く・・クラッカーなんかも焼くよ」

冷血漢に見えたビルが実際は深く母親を愛していたことも次第にわかってきて、人間というのは見かけでは判断のつかないことが多いんだなあと実感させられる。

ティグはLAのラジオ局に戻るのだが、ここでも新人に取って代わられようとしており、結局最後のエピソードでは、ニューオーリンズの実家に戻り、地元のラジオ局でDJをすることになる、というところで終わっている。

シーズン2が日本に上陸するのはまだ先の話だが、とても楽しみだ。

人生の苦境に際しての対処のし方、やり過ごし方は人様々で、ティグのような受容の仕方もあるのだと、教えられるところが大きい。

ティグ・ノタロの作品はあまり多くない上に、日本ではまだ上映されていないようだが、今後もっと見られるようになるといいと思う。こうしたコメディは好きだなあ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幸せなひとりぼっち

2019-01-16 12:53:50 | 映画

スウェーデン発の素敵な映画を発見しました。

「幸せなひとりぼっち」(2015年スウェーデン)

英語じゃない言葉をしゃべっているけど、どこの映画? と思って調べてみたらスウェーデン映画でした。

しかもこれ、「スターウォーズ/フォースの覚醒」を抜いてスウェーデンで大ヒットした映画だそうです。

コメディであり、味わい深いヒューマンドラマでもあります。

オーヴェは妻に先立たれ、43年勤めた会社を首になり、妻の元に行こうと自殺を決意します。でも毎回邪魔が入ってなかなか自殺できません。

隣に引っ越してきた家族(妻がイラン人で子どもが二人、現在妊娠中)が毎回オーヴェの自殺の邪魔をします。
やれ梯子を貸してくれ、車を出してくれ、子どもたちの世話をしてくれ・・

このイラン人の妻が底抜けに明るくてお節介な人。

オーヴェは断わりきれず、この一家の騒動に巻き込まれていきます。その途中にオーヴェの回想シーンが入り、妻ソーニャとの出会いから別れまでが語られる、というストーリー。

オーヴェは一見ひどく偏屈な老人に見えますが、イラン人の妻に車の運転を教えるシーンでこういいます。

「2回も出産に耐えて、次は3回目。イランの戦場からここまでたどり着き、新しい言葉を学び、ダメ男と結婚までした。運転くらい何でもないはずだ!」

そしてまた、ゲイであることがバレて父親から勘当された少年を泊めてやったり、邪険に追い払っていた野良猫の怪我の手当てをしたことから、ついに家族に迎え入れるなど、徐々に彼も変わっていきます。
この猫が可愛いのよ~

不器用なオーヴェと明るい性格のソーニャの出会いと別れもとてもいい。

人生の深みというか、滋味深さをしみじみと感じさせてくれる秀作です。

前半は笑いっぱなし。そして最後は涙でぐちゃぐちゃ。この按配が実にいい。久々にいい映画を見たなあという感じでした。

超お勧めです!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする