鳥取遠征(後)大山と植田正治写真美術館

2012-03-28 | ◆Photo Diary

▲木立の間に大山が見えてきた


▲美術館外観(丸囲みした黒い点がレンズ部分)と1Fにあった植田さんの写真

また米子へ戻る海沿いの9号線を走るが、
時々雲まじりの青空と大山が姿を表し気分は上々…

植田正治写真美術館は、
大山の麓の田畑に囲まれた場所にポツンと佇んでいました。
ちなみにこの美術館の設計は、隣県島根生まれの高松伸さんのデザインです。
植田さんの写真は鳥取砂丘をステージにし、
モデルを砂丘に並べ、構成・計算された演出写真が有名ですが、
演出されていてもわざとらしさを超越した、
とても魅力的な作品に仕上がっています。
写真集も持っていてとても好きな写真家でしたが、
大山と素敵な美術館と一緒に、多くの作品が見られたのは
今遠征の一番の収穫だったかもしれません。
※ちなみにエンジン01鳥取のポスター(AD浅葉克己)も
 植田さんの代表的な作品が使われていました。


▲美術館案内と写真集(写真集の表紙はご本人とその家族です)


▲富士山を思わせる美しい大山の山容

建築や写真も素敵でしたが、
一番驚かされたのは映写ルームで、
解説映画を観た後にスクリーンとは反対の壁に
映し出された大山の映像でした。
それは何とこの部屋自体がピンホールカメラ(針穴写真機)となっていて、
壁に開けられた穴(2枚目の外観写真参照)から現在の外の風景(大山)が
映写側の壁に逆さで大きく映し出された事です。
今居る場所が、いきなりカメラの中に変わった事が何とも不思議で、
映し出された大山は威風堂々として見えたのが、
とても印象に残りました。


▲ビックリ!!映写の直後に映し出された大山の生写真
 この部屋はこの時カメラになっていました


▲外みたいですが実際は館内からで、人物の前にガラス1枚あります

写真と風景の観賞も満喫し、
高速で雪が降っているとの情報も入り、慌てて帰路につく。
帰りの高速は吹雪・渋滞・O君のぼやき口撃と
様々な難儀はありましたが、事故も無く
無事名古屋に戻る事が出来ました。

お誘いして頂いた皆さんとルルちゃん、
本当にありがとうございました!


▲写真作品と素晴らしい風景が同時に楽しめる美術館


▲帰りの高速道路は雪国、一時は吹雪も…

※後日、気がつきましたが、本文中で「ピンホールカメラ(針穴写真機)」と
 書いてしまいましたが、完全な私の思い込みで、
 形こそピンホール.スタイルですが、正確にはしっかりしたレンズを使った、
 カメラボックス・ルームでした。 大変失礼しました。
 詳しい内容はこちらでご覧下さい。

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鳥取遠征(中)水木しげる記念館&ロード

2012-03-27 | ◆Photo Diary

▲一晩をお世話になったペンション

宿ではおいしい食事をいただき、
風呂に入ってすぐ眠りにつく、しっかり9時間程寝るが
まだ寝たりない気分でした。
歳の所為か疲れがとれにくくなっている…トホホ

この日(3/25)は朝食をとりすぐに宿を後にし、
境港の〈水木しげる記念館〉に向かう。
天気予報はず~っと雨だったが、
日頃の行いが良いのか、結果オーライのハズレで、
寒さはあるが晴天で気持ち良い観光日和になった。


▲車を止めてすぐの水木ロード入口

▲記念館の展示物はどれも良く出来ていました

記念館には10時頃到着、子供の頃親しんだ漫画家と
キャラクター達が様々なかたちで展示してあり、
懐かしさと敬愛を込めた時間を過ごす事が出来ました。
そして、改めてその民俗学に対する造詣や描写力に驚かされ、
一つの事をやり続ける大切さや
尊さを知らされた気分でした。


▲中庭に飾ってあったおなじみのキャラ達

▲水木ロードのキャラ・オブジェ、アートです!

記念館を出ると、アーケード街の水木キャラクターオブジェを
見ながらショッピング散歩をする。
アーケード街自体は日本中のどこにでもあるアーケード街ですが、
ここは日本一にぎやかなアーケード街でしょう。
日本中シャッターが閉り閑古鳥が鳴く通りが増える中、
一人の漫画家(最近は奥様の力もありますね)とそのキャラクターが
町を復活・活況させてしまったのは凄い事ですね。
子供の頃〈鬼太郎〉や〈悪魔君〉を読んでいた時期には
想像もしなかった世界がそこにはありました。


▲どこにでも有りそうなアーケード街ですが…

一通り町巡りを終え、港町ならではのマグロラーメンを食べ、
ここでA夫妻とは別行動に、O君と僕は
もう一人の鳥取が生んだ芸術家〈植田正治〉さんの
写真美術館に向かう事にしました。

つづく


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鳥取遠征(前)砂丘で卓球…は、しませんでした

2012-03-26 | ◆Photo Diary

▲深夜の長距離走に出発

昨年の新潟長岡雪上卓球大会に続き、今年は鳥取で開催(3/24)された
浅葉さん(アートデレクター)主催のリレー卓球に参加してきました。
※大会の詳細は以下サイトで…
砂上の卓球大会・アサバ杯

今回は卓球倶楽部〈ピータパン〉メンバーのA氏とO氏、
そしてA氏の奥様&飼い犬のおとーさん犬に、
“宴会だけ参加メンバー”の僕との4人と1匹で、
2台の車に分乗し鳥取へ向かいました。

鳥取までの日帰りは流石にキツいので、
今回は観光を兼ねて一泊の観光主体の参加かと思います。
それでも卓球の試合は土曜のお昼に始まりますから、
出発はちょっとキツいですが金曜深夜になりました。
大阪を通過する頃はかなり眠気が襲ってきましたが、
何とか我慢して走り続け、早朝には鳥取市近くに到着。
道の駅で少し仮眠を取り、とりあえず砂丘観光に向かう。


▲海が見える場所はすぐだったが、風雨が強くて…



砂丘はあいにくの雨で、海の見える丘まで歩きすぐに帰る。
その後海の見える温泉風呂に入り、食事をして会場に向かう。
鳥取環境大学の泥沼の様な駐車場に車を止め、
何とか会場入り。


▲相変わらずお元気な主催者の浅葉さん


▲何となくホノボノさを感じさせてくれる会場風景

「昨年は雪上卓球だったので、今年は砂丘の上か?」
なんて冗談を言ってましたが、
幸いと言うか雨でしたので、ルール以外は体育館でする
普通で平和な卓球大会でした。
ただこういう普通の場所でやると、へんなフロックは無くて、
僕の様な全然練習をしていないものは、
正直にそのままの実力が出てしまい、
案の定、しっかりチームの足を引っ張り、
予選リーグ敗退と少し申し訳ない気分でした。
今年は2組の親子チームが善戦していて、
見ていて思わず応援したくなっちゃいました。


▲はわい道の駅は見晴らしの素晴らしいところでした

この日の宿は、少し離れた米子に取ってありましたから、
決勝前に浅葉さんに挨拶をし、9号線で宿に向かいました。
途中、ソフトバンクCMで有名になった、
〈鳥取はわい〉道の駅で休憩し、高台からの絶景を楽しむ。
降ったり、やんだりしていた悪天候も、
西空の夕焼けが明日の好天を予感させてくれた…

つづく


▲明日の好天を予感させてくれた夕日



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早春の河川敷

2012-03-21 | ◆矢田川とびとび日誌

▲ヒドリガモ夫婦?


▲丸裸になってしまった越冬地の川岸

時間的余裕とちょっとだけの精神的余裕が出来たので、
やっとサボりにサボっていた河川敷散歩に出かけました。

もうそろそろ暖かくなっても…と思うが、
今年は相変わらず空気がひんやりしていて、
外に出るとブルッとする。
それでも河川敷に着くと、ここの主のヒバリが
いつもの様に騒がし気にさえずり迎えてくれた。

カモ達はどれくらい残っているだろうと気にしながら
いつものコースを走る。
パラパラとマガモの夫婦を見かけるくらいで
他のカモ達はほとんど見かけない。
珍しくサギもほとんど見かけなかった。

それでも東の折り返し地点まで走ると、
そこは越冬ガモの居住地で、
数は少ないがコガモ・マガモ・ヒドリガモが少しずつ
群れになって残っていてくれました。
ただ、オナガガモ達は一羽も見かけなかったので、
寒いと言ってもさすがに旅立った後みたいでした。
そしてコガモ・ヒドリガモも姿を消すのは、
もう時間の問題でしょうね…


▲コガモもあと少しで北へ… マガモは今が色艶最高?

ただ今日走って気になったのは、昨年の秋の豪雨で川沿いの木々や
草むらがかなり流され、かたつけられたので、
環境がかなり変化していて、越冬しにきたカモ達も
かなり驚いていたんじゃないかと心配をしてしまいました。
川がむき出しで、カモ達が空から丸見えでちょっと危険です。
来年から場所替えされないか心配だ(苦笑)。

話は全然かわりますが、
昨日のサプライズはカモ達を観て帰る途中に出会った、
チョ~巨大な犬で、一瞬白熊かと思う程(ウソ)で、
居そうかと思うが、こんな大きな犬は初めて見た気がする。

ちょっと寒かったが、やっぱりここを走るのは気持ちイイ~
今年は、もう少し余裕が出来ますように…っと

そう言えば先日の名古屋女子マラソンのせいか、
女性ランナーと何度かすれ違ったというか
随分女性ランナーが増えていました。


▲どう見ても飼い主の倍近くありそう!?





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「どこでもピント」カメラ

2012-03-19 | ◆気になるコト・モノ・ヒト

以前も開発途中のカメラを記事にしたと記憶していますが、
一回シャッターを切ると、
ファインダーの中のあるあらゆる距離の被写体にピントを合わせ、
1カットで数枚の写真が撮れてしまうカメラが開発されました。
そして、なんともう商品になってアメリカで発売されてしまいました。

構図やアングルといった感覚的な失敗は別として、
写真を撮っていて、致命的だと思うミスは、
露出ミス、ぶれ、そしてピンぼけの三大ミスが、
特に悲しいミスかと思います。
露出は余程大きく外さなければ、事後修正も効きます。
ぶれは〈手ぶれ機能〉も装備されて、多少の悪条件なら
フォローしてくれるようになりました。
しかしピンぼけだけは、自動ピントになっても
相変わらず変なところにピンがいくミスがあります。
これはもう後からではどうしようもなくて、
特に二度と撮れない1枚だったりすると
ショックは大きく、しばらく落ち込む事もあります…_| ̄|○

しかし、今回の機能が色んなカメラに普及すれば
ほとんどのピンぼけミスは無くなるような気がします。
一度に各ピントで数枚ずつ撮る訳で、
当然、無駄な容量(1枚約30MBくらいとか)を
使うデメリットもありますが、
SDとかも随分安くなりましたから、
圧倒的にメリットの方が大きいでしょう。
意識しないで撮っても後で別ピンで見ると、
そっちの方が面白い写真がとれている可能性もあります。
色んな意味で後処理の作品になる可能性はありますが、
楽しみは増えるかもしれません…

フィルム写真の時代に比べると、まるで別のモノになりつつある
今のデジタル写真ですが、これも時代の流れという事で、
仕方ないというか、楽しんじゃわないとダメかもですね?!

便利になればなるほど、人間の想像力や創造性が
削られていく気がしますが、そこは別の部分で
頭を使っていかなければいけませんね。

ただ、これは他の電化製品や日用品にも通ずる事で、
楽になった分、最低限の仕組みくらいは理解して
使いこなせる知識くらいは持っていないといけません。
単純に機械に操られるだけのおバカさんには
なりたくないですから(苦笑)。


しかしカメラの進化も、
とどまる所を知らないように進んでいますが、
いったいどこまで行くのでしょうか?
そのうち眼で見た風景がそのまま
記憶装置に記録されるのも夢ではないかもしれませんね。
ただそこまでいってしまうと、
おそろしくて、迂闊に外出も出来なくなるというか、
人前で何も出来なくなりそうだ(苦笑)。

ピント後から調整のカメラ〈LITRO〉のHP
※上の〈PICTURE GALLERY〉をクリックすると見本の写真が出ます。
 見本写真のクリックした場所にピントが合います。

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物は壊れる人は死ぬ…

2012-03-03 | ◆大好き!!

▲解散を知った音楽雑誌[MUSIC MAGAZINE]と最初に聴いたアルバム[カメラ=万年筆]

ということで、世界一愛していたバンド“ムーンライダーズ”が
昨年末解散してしまいました。

今回のタイトルの言葉は、このブログの看板にもなっている
ムーンライダーズのアルバム[青空百景]の中の歌詞の一部で、
形ある物はやがて消えてゆくという事を、
生きる苦悩になぞって歌った歌詞で、
まさにこの詩が示唆していたように35年間続いてきた、
※1980年代後半の一時期、活動停止の期間もありましたが。
日本でもまれな長寿バンドも、ついに終焉を迎えてしまいました。

メンバーはもう皆60歳前後ですから(自分も歳をとるはずだ!)、
※「Don't Trust Over Thirty」と口ずさんでいたのが
 昨日の様な気がするんだけれど…
もうここまできたら、ストーンズのようにいくとこまでいくしかないと思い、
個人的には無責任にも解散など考えてもいなかったんですが、
どうも事情は違ったようでした。
何か311の影響でもあったのでしょうか…?

正確には昨年末を持ってという事でしたが、
個人的に解散を知ったのは、
先月発売の雑誌[MUSIC MAGAZINE]ででした。
この情報化時代でも、この情報を知るまでの時間のギャップは、
相変わらず、このバンドが世の中の流れとは少し違った位置に
存在するという事を再認識させてくれました。
もちろん自分がちゃんとチェックしていれば、
すぐに確認はできた事なので、自分の気のゆるみもありましたが…

最初にムーンライダーズの曲を聴いたのは
ちょうどYMOがヒットし始めた頃で、1980年頃かと思います。
もうムーンライダーズのアルバムは6枚ほど発売されていて、
当時、最新盤の[カメラ=万年筆]のアバンギャルドなつくりが気に入って、
過去のアルバムも遡って全て聴いていました。
[カメラ=万年筆]はシンセサイザーを駆使してつくられた
ニューウエイブなアルバムで、YMOとは一味も二味もちがった
魅力的なバンドでした。
このアルバムのコンセプトは仮想映画音楽で、
それらしきタイトルで、それらしき11の曲がつくられていました。
今でも、時々思い出したように聴く一枚です。


▲一時発売中止になった[マニア・マニエラ]と代わりに発売された[青空百景]

ただ当時から、マニアックな曲作りが一般受けせず、
常にレコード会社と衝突する事が多く、
ファン層も限定された一部の層にしか受け入れられていなかったのは、
解散するまで変わらなかったところですね。
個人的にはアバンギャルドさと微妙なポップな感じが
見事に融合したロックで聴きやすいと思っていましたが、
世間的には最後まで受け入れられず、
ベスト盤を含めれば30枚以上のアルバムを発表したにも関わらず、
メジャーヒットは1曲もありませんでした。

象徴的だったのが、1982年のアルバム[マニア・マニエラ]の発売に
レコード会社からクレームがつき(過激的・売れない…)、
急遽ポップス指向のアルバム[青空百景]が
緊急制作され、代替発売されました。
結果的には、[青空百景]の方が多少聴きやすいかな…
と思う程度でクオリティの高さは全然変わらず、
ライダーズファンには楽しみが倍になっただけの大喜びの2枚でした。
と言うのは、結局[マニア・マニエラ]も後日CDとして発売されました。
ただ、時代はまだレコードからCDの転換期で、
CDの国内版も発売され始めたばかりの時期でしたし、
ハード(プレイヤー)の方も高価で購入できず、
しばらくは聴きたくてもお預け状態でした。
※その後、[マニア・マニエラ]はカセットブックとしても発売され、
 個人的には、そちらで先に聴く事となりました。

知らない人も多いし、ヒット曲もなかったバンドですが、
個人的には最強の才能集団だと信じています。
信じる我道を突き進む姿は最高でした!!
メンバーそれぞれがオリジナル・アルバムも発表しているし、
CM・映画音楽・プロデュース・バックアーティストと
活動の場は枚挙に遑がないが、
その活躍ぶりは裏方仕事が多く、
熱烈なファンにしかその活動を知られなかったのが、
ちょっと残念でしたね…

ムーンライダーズの詩は難解なものが多いんですが、
ちょっとしたフレーズが頭にこびりついたり、
いろんな風景が見えてきたり、想像させてくれる事がとても好きで、
勝手ながらブログのタイトルに
アルバム名[青空百景]を拝借した次第でした。
※マニア・マニエラも考えたが…やっぱり解りにくいかな… 
 と思ってしまった(苦笑)

解散は残念と言えば残念ですが、
バンドとして残してくれた30枚近くのオリジナル・アルバムと
各メンバーとその関係する、
膨大な量のアルバムがあれば生きていけます(笑)。

今後は6人が全て集まるのは難しいかもしれませんが、
変則的なセッションはあるはずだし、たとえ一人ひとりでも、
ムーンライダーズの精神は不滅だと信じています。
新しいもの好きで、ちょっと屈折した個性派の6人、
今は、35年間素晴しい楽曲と創造を提供してくれた事に、
本当に感謝したい気持ちで一杯です。

とりあえず最後のアルバム(Ciao!)を買ってこなくちゃ…

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