先日の日航機のトラブルについていろいろ報道されているが、それらを見ていて思ったことなどを・・・。
トラブルの原因についてはとやかく言うだけの根拠を持たないので触れないが、CAの対応においては問題が大きいように思う。
まあ、いろいろと突っ込みどころはあるのだが、一番感じたのは日航が CA の教育をまともにしていないのではないかということ。
報道された乗客が撮ったという動画 (撮影しながら脱出シューターを滑っているのに注意もしないといった事は置いといて。) を見て大きく気になったのは二点。
一点目は、脱出する乗客の多くが荷物を持っており、CA がそれを止める様子も注意する様子も見られなかったこと。
緊急脱出時の手荷物は邪魔になるどころか下手をすると凶器にもなりかねない。
更に、脱出シューターを傷つけ、使用不能にしかねない。
そうなるとそれより後ろの乗客の脱出が困難になってしまう。
人命に関わる問題である。
なのに、一切それを防止する行動が見られなかった。
脱出誘導時のアナウンスさえなかったように見受けられる。
二点目は、脱出後にすぐ機体から離れるように誘導しなかったことである。
今回のトラブルは機体内への煙の充満であり、エンジンからの出火炎上、最悪機体の爆発の可能性もあったと思われる。
まあ、爆発は滅多なことでは起きないとは思うが・・・。
それでも、炎上の可能性が有る以上、素早く乗客を機体から離す必要があったと思う。
なのに誘導しているようには全く見えなかった。
実際、乗客の多くは機体の側に留まっていたようだし。
これもまた、乗客の人命に関わる問題である。
確かに乗客の危機感の無さにも問題は有るように思うが、飛行機といえども公共交通機関で有り、いろいろな方が搭乗するのが当たり前だ。
子供、お年寄り、いろいろな障害を持った方もおられるだろうし、言う事を聞かない身勝手な人もいるだろう。
そんないろいろな方々に、一回のビデオ上映で緊急時の対応を求めるのは無理で有り、避難誘導はCAの対応に頼らざるを得ない。
つまり、CAには、それらの方を安全に避難誘導する事が求められるのだ。
まあ、ほとんどのCAの方はこんな緊急事態に遭遇するのは初めてだろうし、それで慌ててしまうのもわからないではない。
しかし、そのための訓練ではないのか。
実際の緊急事態で役に立たないので有れば、そんな訓練に意味はないと思う。
厳しい言い方かもしれないが、CAという職業にはそれが求められるのだ。
今回のトラブルの対応を見る限り、日航はまだまだCAの訓練が足りていないように思う。
これまでの日航のトラブルも顧みて、まだまだ信用に足るまで回復はしていないなと思った。
もうしばらく、日航の航空機には乗りたくないな。
一人の方は、旋回させながら高度と速度を稼いだ後、縦ループ (一般で言う宙返り) の練習をされているのだが、ループの頂点で回りすぎて、ループ開始時の高度より、かなり高い位置でループが終わっている。
曲技の縦ループは、綺麗な円を描く事が大事な為、初心者の方なのかなと思ってみている。
詳しくは知らない俺が色々と言える立場ではないのだが、ループの頂点では速度が落ちる為、前半のループより、後半のそれの方が旋回半径が小さくなる為、スロットルとエレベータ (昇降舵) の微調整が難しいらしい。

俺なんか、室内用の電動ヘリのおもちゃでも苦労している位だから、ちゃんと飛ばして着陸させるだけでも凄いと思うんだけどね。

先日は、別の方が飛ばしていて、この方は (素人目には) 上級者なのか、さっと離陸させたかと思うと、綺麗な縦ループをやっていた。

その後、いきなりテールスライド (機体を縦にして、プロペラの推力だけで制止させる技で、ヘリコプターで言う “ホバリング” ) をやっていた。
凄いなぁ。

余剰推力の大きいジェットならともかく、レシプロでやっているのは初めて見た。
この技は、前方からの空気の流れがない為、エンジンの冷却が出来ず、レシプロであろうがジェットであろうが、エンジンに凄く負担をかける。
車で言えば、クラッチを切ったまま (もしくはATでPかNレンジのまま) アクセルを全開にしているような物である。
思わず感心してしまった。

まぁ、散歩の途中なので立ち止まって見る事は無いのだが・・・。 (なるべく連続して歩いた方が、体力が回復に役に立つと思うので。)

俺なんか、室内用の電動ヘリのおもちゃでも・・・。


運動音痴の俺では、まあまともに飛ばす事も出来ないだろう。
あっという間に機体の残骸の山を作ってしまうのが落ちである。
と言う事で、資金が追いつく訳が無いので、羨ましく思いながらうちの中でちまちまと、電動ヘリの練習をしているところである。

ちょっとは上手くなったんだぞ。
ちょっとだけど・・・。

バランサーをへし折る回数も減ってきたし。


調子に乗って、昨日の続き。
昨日の写真と同じ複座型の機体。
シャッタースピードが稼げ無くって、止めるのが大変だった…。
露出時間 : 1/160秒
自動露出測光モード : スポット測光
端座型のF2。
この機体は、なぜか少しバンクさせたまま進入してきた。
露出時間 : 1/800秒
自動露出測光モード : 分割測光
露出時間 : 1/800秒
自動露出測光モード : 分割測光
露出時間 : 1/640秒
自動露出測光モード : 分割測光
今回のF2の写真では、こいつが一番のお気に入り。
露出時間 : 1/160秒
自動露出測光モード : 分割測光
ちょっと引き気味で、木の枝を前ぼけに使ってみた…けど、上手くいってないなぁ。
露出時間 : 1/200秒
自動露出測光モード : 分割測光
共通データ
機種 : NIKON D300
ソフトウェア : Capture NX 2.2.0 W
露出制御モード : 絞り優先AE
ISO感度 : 200
レンズの焦点距離 : 300mm
レンズ情報 : AF-S VR 70-300mm F4.5-F5.6G
日蝕を撮りながら、飛行機が近づいてくると、慌てて三脚から外し、モードを切り替え…、を繰り返してドタバタと撮った写真である。
忙しい事夥しい。
ああ、天気が良ければ最高だったんだけど…。
でも、久々に飛行機を撮れて楽しかった。
元々は、飛行機を撮る為のデジタル化だったんだけどなぁ。
皮肉な事に、デジタル化したとたん、撮りに行けなくなっちゃったけど…。
で、今回撮ってみて、一つ問題点が発覚。
AFを動体予測モードにして、“数打ちゃ当たる”方式で連写をするんだけど、撮影枚数が膨大になって、メディアの容量が足りない。
腕が無くって、RAWで撮っているから尚更容量を食ってるし…。
今回も、たかだか一時間弱で250ショット近く撮っている。
フィルムにして、10本分である。
今まで、航空祭で一日掛けて撮っていた撮影量だ。
このままでは、航空祭に行くと、何枚撮る事になるのか、考えただけで恐ろしい。
うーん、どーしよう。
年末までに、メディアを買い足そうかなぁ。
わざわざ築城基地の横まで出張って行ったもう一つの理由は…。
お察しの通り、「あわよくば飛行機が撮れるかなぁ。」と考えたからである。
で、結果として“ビンゴ ”。
海風が吹いていた為、着陸が北側からの進入になっており、着陸をする機体が真横を飛んでいく。
時間的にお昼前だった事もあり、結構頻繁に着陸してくるのだ。
いや~、久々に興奮したなぁ。
周りに人がいたから、押さえてはいたんだけど、ね…。
アプローチ体制で降りてくるF2A。
露出時間 : 1/800秒
自動露出測光モード : 分割測光
露出時間 : 1/800秒
自動露出測光モード : 分割測光
尾翼横のエアブレーキを開いている。
露出時間 : 1/125秒
自動露出測光モード : スポット測光
複座型のF2B。
訓練飛行に行っていたのだろうか…。
露出時間 : 1/200秒
自動露出測光モード : スポット測光
F15J。
日蝕撮影中にいきなり降りてきたんで、慌ててフィルターと三脚を外し、設定を切り替えて撮った写真。
露出時間 : 1/250秒
自動露出測光モード : スポット測光
今回、一番のお気に入り写真。
露出時間 : 1/400秒
自動露出測光モード : スポット測光
共通データ
機種 : NIKON D300
ソフトウェア : Capture NX 2.2.0 W
レンズF値 : F5.6
ISO感度 : 200
レンズの焦点距離 : 300mm
レンズ情報 : AF-S VR 70-300mm F4.5-F5.6G
シャッタースピードを稼ぎたかったんで、すべて開放絞り。
このレンズは、F値が暗い割に解放から安定した絵を吐いてくれるんで助かっている。
とは言っても手持ちで流し撮り、しかも飛行機を撮るのは三年?ぶりだったんで、上手く撮れてない。
で、傾き修正と、ある程度のクロップをしている。
いや、良い場所を見つけた。
日蝕中だったんで、シャッタースピードが稼ぎづらかったし、霞が出てたのがいまいちだったけど、300mm (135mm換算で、450mm相当。) のレンズで此処まで撮れるんだから、大満足である。
またまた調子に乗って撮ったんで、明日まで続きます。
今年の「航空祭」のスケジュールが発表になりましたねー。
”築城”は11/12、”新田原”は12/3の様だ。
但し、築城は前後一週間の移動は有るかも知れないとの事。
うーん、どっちに行こうかなぁ。
どっちにしても、一日は仕事を休まないと行けないんだな。
楽なのは”築城”。
特急列車が築城駅に臨時停車してくれるし、駅から歩いて五分ぐらいの距離だから、非常に楽。
遅くても6時過ぎには帰り着けるし。
ただ、その分金は掛かるが・・。
新田原は車で行かないといけないし、”オープニングフライト”から見ようと思ったら前の日の夜から行って、「車中泊」が必須。
しかも、朝早くに起きて並ばないといけない。
オマケに、帰りは大渋滞を覚悟しなければ・・、帰り着くのは夜中かなぁ。
「お帰り隊」(個人的にそう呼んでいる。航空祭に協力に来た他の基地所属の部隊が、帰投するための離陸して行くのだが、滑走路上空を低空、フルバーナーでフライパスをしてくれたりして、結構見せてくれる。レシプロの練習機が、離陸直後のズーム上昇から”インメルマンターン”をかましてくれた時は感動したぞ。
)の出発まで見たいしねぇ。
ロケーションは新田原の方が好きなんだけどね。
もっとも、築城が一週間ずれると、新田原しか行けなくなるんだが・・。
ま、どちらかには必ず行くけどさ。
一年に一度は、あの腹に響くフルバーナーのジェットエンジンの音を聞かないとね。
あの音を聞くと、燃えます、血が騒ぎますっ。
思わず「うぉーっっ!」と叫んで、走り出しそうになるくらい。
だから頑張って、万事繰り合わせて行ってきます。
ほんとはどっちも行きたいし、5月の米軍岩国基地の「フレンドシップデー」にも行きたいんだけど・・、先立つ物が・・ね。
どちらか一方に行けるだけでも良しとしとかないと。
とは言っても、まだ大分先の話。
でも、今から楽しみだーっっ!!
NHKの「その時歴史は動いた」で零戦の話をやっていた。
あんまり新しい話は出てきてないなぁ。
元々、海軍からの過酷な要求に応えるため、軽量化に次ぐ軽量化で、設計に余裕が無く、その為、急降下速度に制約があったってのは有名な話。
又、零戦の三二型が評判が悪く、すぐに機体形状が戻され(燃料搭載量の増加ってのもあるけど。)二二型になったってのも広く知られた話だよなぁ。
アリューシャン列島での不時着機を手に入れたアメリカ軍が、徹底的に調査をして、対抗する機体と対応戦法を開発したって言うのも既出の話だし。
海軍の首脳陣が”アホ”でにっちもさっちも行かなくなったってのも、又、広く知られた話。
元々、兵隊を”消耗品”として見だしたら戦争は負けだって。
うーん、やっぱり新しい話は全然出てきてないぞ。
あ、このラストに映った機体、呉の「大和ミュージアム」に有る機体だ、多分・・。
違うかな~?
某漫画雑誌に連載中のチューニングカー漫画で、今「現在の零戦」を創るって話をやってるが、なんか「零戦」に対するイメージが俺とは全然違う。
元々、零戦の出発点は「高出力のエンジンが無かった。」って所にあると思う。(”金星”型の使用構想の話は置いといて。)
使うことになった”栄”型エンジン(中島飛行機製)は千馬力級とは言っているが、実質950馬力程度しかなく(世界では楽に千馬力を超えていた。)それを補う為にギリギリの軽量化を行わざるを得なかったのである。
ただ、栄型エンジンは、出力の割にコンパクトに出来ており、前面投影面積が小さかった為、当時の空冷エンジン機の中では、機首が小さく空力的に洗練された機体となった。
この辺は、ほぼ同時に設計され、同じエンジンを使った「隼」のシルエットが、零戦と良く似ていることからも判る。
零戦は、”天才”堀越二郎主任設計士の卓越した才能と、設計陣の努力により超一線級の機体となったし、隼は独自開発の蝶型空戦フラップの採用により一線級の能力を手に入れている。
あ、実戦配備時に現地で、徹底したバグ出しと改良を行った技術陣の努力と、新型機の運用法を研究、普及させた用兵側(先見の明を持った一部の将校)の努力も忘れちゃいけないぞ。
つまり、俺の”零戦”に対するイメージは、「非力なエンジンを使用して極限の性能を目指した為、ギリギリの設計となった余裕のない機体。」(ネガティブな見方。)、「非力なエンジンを補う為の徹底した軽量化と、卓越した設計思想により、抜群の操縦性を誇る機体。」(ポジティブな見方。)、って物で、車に例えると・・・?
確かにホンダのスポーツタイプの車はイメージに近いけど・・、結構パワー有るしなぁ。
うーん、ううーん、AE86(特に初期の”藤原豆腐店”仕様。)が一番近いのかなぁ。
間違ってもランエボではないし、インプは「疾風」のイメージって話は前に書いたか・・。
S2000ってのは、何となく判る気もするけど、ちょっと違うって気もする。
折しも同じ三菱製の「F-1」支援戦闘機の退役の日である。(後1機、残ってるけど。)
個人的にあんまり好きな機体ではなかったが、その翼を血で汚す事が無く退役できるってのはめでたい事である。
零とは零戦、零式艦上戦闘機俗に言う”ゼロ戦”のことであり、四とは陸軍四式戦闘機”疾風”のことである。
て言う事で、今日は飛行機の話。
零戦と四式戦、共に第二次世界大戦時の傑作機である(と俺は思ってる。)
零戦は、三菱製の大戦前期の傑作機で、”天才”と呼ばれた設計技師「堀越次郎」氏を中心とした設計チームが、海軍からの過酷な要求に答えて作り上げた名機である。
当時、10年は遅れていると言われた日本の航空機を世界のトップに押し上げ、大戦前期に無敵を誇った。
大戦後期にはアメリカ軍から「ライター」と呼ばれ、怖くないと言われるようになったが、これはアメリカ軍がほぼ無傷の零戦を手に入れ研究し、対抗するための機体開発と、戦術を作り上げた結果である。
元々、厳しい要求に答えるため、ギリギリの設計とし、要求書に盛り込まれていない事はバッサリと切り捨ててあった機体のため、発展性に乏しかった面はある。
しかし、卓越した発想と徹底した軽量化で、当時としては考えられないほどの性能を発揮した、すばらしい機体である。
四式戦”疾風”は、中島飛行機が作り上げた大戦後期の傑作機である。
大東亜決戦機として短期間で大量に配備を行ったが、いかんせん遅すぎた。
既に設計性能を支えるだけの工業力を無くし、良質の燃料も供給できない状態では活躍のしようもなかった。
戦後、製造番号の若い機体をアメリカ軍がきちんと整備し、オクタン価の高い良質の燃料を使用してテストした結果、あまりの高性能に驚いたとの話が残っているそうだ。
大戦後期、敵軍のパイロットに「ゼロやオスカー(一式戦”隼”の事。)は怖くないが、プロの乗るフランク(疾風の事。)を相手にする奴は馬鹿だ。」と言わせた機体。
俺は、この二機が大戦前後期それぞれの最高傑作機だと思う。
スピットファイアも良い機体だと思うし、フォッケウルフ(特にTa152H-1などは)好きな機体なんだけどね。
俺は、中島飛行機の代表的な機体は”隼”ではなく”疾風”だと思う。
隼は、零戦と同じコンパクトではあるが、パワーがあまりない”栄”型エンジンを使っているため、必然的に零戦と良く似た機体になっている。
ただ、陸軍と海軍の要求の違いから、隼の方が余裕のある設計にはなっているようだ。
また、中島飛行機も零戦を作ってはいたが、これは三菱の生産能力が、軍の要求に答えられなかったため、中島飛行機に生産を振り分けたってのが正解。
ちなみに、中島製と三菱製の零戦、同じ設計図から作っていたのだが、作った企業風土の違いからか、微妙に出来が違っていたらしい。
えー、いきなりなんでこんな話をしたかと言うと・・・、気付いた人もいるかな?
続きは明日。 <-- 引っ張るんかいっっ!!
ああ、今年も航空祭の季節が終わってしまった。
前にも書いたが、俺はメカ物が大好きである。
よって、当然のように飛行機も大好きである。
特に戦闘機が大好きだ。
で、毎年航空祭に、カメラを抱えて出かけて行くわけである。
と言っても、あっちこっちに出向いて行けるほどの暇も財力も持ち合わせていないので、年に一回、築城か新田原のどちらかだけでも行くようにしている。
今年は築城基地の航空祭に行ってきた。
今年はきつかったー。
前日朝まで夜勤の勤務。
2時間も寝ないまま、夕方より友人と呑みに出る。
つまみの魚も絶品だったが、何より気の合う奴らと一緒にやる酒は格別にうまい。
一旦帰ってしまうと、翌朝列車に間に合う様、駅まで移動することが出来ない為、そのまま朝まで飲み倒す。 <-- おい。
結局、二晩ほぼ完徹+二日酔いという最悪の状態で航空祭に乗り込んだのである。 <-- 完璧に自業自得。
しかも大雨。
でもね、オープニングフライトが始まる頃に上がってくれたのさ。
その後も、降ったのはフライトとフライトの合間のみ。
らっきー♪
これも、俺の日頃の行いのおかげであろう。 <-- 違うって。
但し、寝不足と二日酔いで体はぼろぼろ。
それでも、バーナー全開のターボファンジェットの腹に響く音を聞くと血が騒ぐのさ。
「やっぱ、年に一回はこの音を聞かないと。」って心の底から思ってしまう。
たとえ吐きそうで、丸1日何にも食え無くってもね。 <-- 完全に病気。
いやぁ、昼休みには爆睡してましたわ。
その間に大雨が降ったらしいが、午後のフライト時には上がっていたのでOK。
やはり、俺の日頃の行いのおかげか? <-- だから違うってば。
イーグルもF-2もしびれるほどかっこいいっっ!!
当日撮った写真はここ。
湿度が高かったので、高機動時のベハーがすごい+雲が垂れ込めていた為、飛行高度が下がり、手が届きそうな距離を飛んでいく。
あ~、行って良かった・・。
正直、天気予報を見たときどうしようか悩んだんだけど、結果オーライって事で。
来年も絶対行くぞーっ!!!
P.S.
午後5時過ぎに帰り着いて直後からの記憶がない。
気がついたら次の日の朝でした・・・。