夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

昭和の日と元号、天皇のお名前について考える

2009年04月29日 | 社会問題
 今日は昭和の日。つい近年までは「みどりの日」だった。そしてその前は「天皇誕生日」。言うまでもなく、昭和天皇の誕生日である。その天皇が亡くなられて平成の時代になって、「天皇」は常にただお一人しか存在しないから、当然ながら「天皇誕生日」は4月29日ではなくなった。では何でそれが「みどりの日」になり、「昭和の日」になったのか。そこに私は変に世論に気兼ねした、それでいて初心を貫こうとする姑息な心を見る。
 昭和天皇が亡くなり、その誕生日を「昭和の日」としては、いかにも天皇制万歳、のように思われてしまう。そして庶民としては国民の祝日が増える事は喜ぶが、減る事には猛反対する心境が重なる。そこで、昭和天皇は自然がお好きで、生物学などの研究もされていたから、「みどりの日」なら文句は出ないだろうと踏んだのではないだろうか。そして「昭和」が天皇とは離れて、単なる時代の呼び名となって来た事を踏まえて「昭和の日」と改名したのではないだろうか。たとえ、別に正しい理由があったとしても、私はこのように考えている。

 「○○天皇」と言う名前は本来は諡号(しごう)だから死後になって決まる。その天皇の業績などを主として適切な名前が考え出される。中には先の世の優れた天皇の治績を思い、自ら「後○○天皇」と称した天皇も居る。後醍醐天皇は醍醐天皇の治世を模範とし、後水尾天皇は水尾帝と称された清和天皇の治世を模範として、自らその名前を付けたと記憶している。持統天皇は自分の皇統のみの継続を願ってあれこれと画策した天皇なので、「持統」の名前が贈られている。本人は生前、そのような名前が付けられるとは予想だにしなかったはずだ。だから、歴史の本にあるような、「○○天皇が皇太子になった」などの記述は本当はおかしい。しかし後代に記述するとなると、それしか言いようが無い。本来は実名を使えば良いのだが、それは意外と知られていない。我々が知っているのは、天智天皇が「中大兄皇子」とか、天武天皇が「大海人皇子」など、一部に限られている。だから「○○皇子が」とは出来にくい。

 それが明治時代になって、元号が天皇一代に限られ、しかもその元号が諡号になった。変な話、それ以来、天皇御自身も我々も、生前にその天皇の死後の名前を知っているのである。これって本当におかしい。仏教では戒名とか法名とか宗派によって色々と呼び方が違うが、み仏の弟子となった人に贈られる名前がある。元々は生前にみ仏の弟子になるのが望ましく、そうして法名を授かっている人々も居る。しかし不信心の人が多くなったから、ほとんどが死後の法名になる。その点で、天皇は異例になる。しかも名付け親は学者なのである。皇室は神道だから仏教の法名は不適当だろうが、それにしても、宗教的な命名ではなく、学識による命名なのである。だからどうなんだ、とは言わない。だが、ごく当たり前のように思っている事柄に不思議な事が一杯詰まっている。考えてみれば、過去の天皇の諡号にしても、誰が付けていたのか、との疑問はある。
 この事を馬鹿にしてはいけない。私はずいぶん前だが、葬儀の本を作る時に、写真にするために白木の位牌に戒名を書いてもらおうとある寺の御住職にお願いした。ところが、架空の戒名は作れないと言う。なぜなら、死者の名前を見ると、その御住職には、その人の生前の事が分かり、それにふさわしい戒名が浮かんで来るのだと言う。真言宗の格式高いお寺さんからの紹介だったから、私は当然にその話を信じている。

 話は変わるが、私はこの元号が不便だと思っている。今年は2009年。その9年と平成21年がどうも混乱してしまう。今年が平成19年と時々勘違いしてしまう。お前が馬鹿なんだよ、と言われればそうなのだが、これがもしも今年が2019年だったら、どうなるか。混乱する人が絶対に増えると思う。元号はその時代を象徴すると簡単に思われる傾向があるが、短い時代ならそうとも言えるが、昭和のようにあの戦争を挟んで、世の中ががらっと変わってしまうと、絶対にそうとは言えない。戦前の昭和と戦後の昭和は大きく異なる。そうした元号が果たしてどのような役に立つのか。
 元号が良いと言うなら、日本国内の事柄に限っては元号で通すと言うのも一つの考え方である。我々にはそれで何の差し支えも無い。外国と密接な関係のある部署なら西暦を使えば良い、と言うだけの話ではないのか。我々の日常の買い物はすべて「円」で決済し、外国相手なら「ドル」や「ユーロ」で決済したりしているはずだ。我々にとって「100円(1ドル)」なんて表示が全く無意味である事を考えれば、全く同じとは言わないが、似た面があるのではないか。
 それとは反対に、巨視的に見れば、20世紀とか21世紀と言う方がずっと好ましいはずだ。だから西暦になる。
 元号を無くすと、天皇のお名前に困るなんて、馬鹿な事は言いませんよね。皇后陛下は死後に我々の初めて知るお名前を贈られる。それで誰も困ったりはしない。それに、昔から今も、今の天皇は「今上天皇」とか「今上陛下」としか言いようが無いのである。後の事は全く別の問題である。それとも、即位と同時にお名前を差し上げますか?
 考えてみれば、「元号=天皇の名前」の方式は、いやでも天皇を強く印象付けている。そうすると、天皇制反対とか君が代、日の丸反対を唱えている人々にとっては、元号は不倶戴天の敵になるのだが、そんな話はどうも聞いた事が無い。