夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

和歌山カレー事件の最高裁判決に対する報道は不用意だ

2009年04月22日 | Weblog
 判決は上告棄却。で、死刑が確定した。これがみなさん、全員納得とは行かないのはご存じの通り。問題は、動機が解明されずに終わり、状況証拠だけで犯人とされた事にある。だが、この「状況証拠」が今現在、決して明確にはなっていない。一審、二審では明らかにされていたはずだが、その「上告棄却」なのだから、ここでは一切問題視されていない。状況証拠をどのように扱うかだけが問題になっているのだから、そうなるのは当然だろう。
 けれども、我々庶民に対する報道ではそうであってはならないだろう。今からもう11年も前の事件である。我々がどの程度、きちんと記憶しているか。更には、それ以前に、マスコミ、特にテレビでは林被告の怪しげな行動ばかりを報道していたではないか。10ある状況を10すべて公平に報道するのならともかく、その内の一つとか二つだけを採り上げるのでは絶対に公平とは言えない。そうやって林被告の犯人としての印象が強められた感は免れまい。

 状況証拠での判決が裁判員制度に重い課題を残したのは確かである。ただ、その「状況証拠」が果たしてどのような物であったのか、について、きちんと確認して云々しているのならともかく、「状況証拠」との言葉が一人歩きをしているとも思える。
 林被告は以前からヒ素を使って、保険金詐取を企てていた事実は明確になっている。そして自宅にあったヒ素とカレーに入っていたヒ素が同一である事は検証されている。しかし同じヒ素がほかには絶対にあり得ないとの検証はされたのだろうか。そうでなければ状況証拠にはなり得ないのでは、と私は思う。「疑わしきは被告人の利益に」は裁判の大原則である。
 新聞紙上で出来る事は限られている。しかしだからと言って、現状のような報道のやり方で、最高裁の上告棄却について云々する事は危険だと思う。十分に不足している材料だけで、極めて重要な事を論議するのは本当に危険である。
 そうした事態で、これは東京新聞だが、作家・佐木隆三氏、ノンフィクション作家・吉岡忍氏、犯罪学専門の中央大学教授・藤本哲也氏の三人の意見を示した所で説得力は無い。この三氏の意見の見出しは次の通り。
・佐木氏
 状況証拠で判断は妥当
・吉岡氏
 動機分からず後味悪い
・藤本氏
 直接の物的証拠が必要

 一応、公平に意見を聴取している感があるが、詳細を知らないでこうした意見を読んでも役には立たない。我々が以前は詳細を知っていたとしても、いつまでその記憶がきちんと保たれていると言うのか。残っているのは当時受けた印象だけではないのか。
 ではどうやれとお前は言うのか、と言われるだろう。私なら最高裁の判決のみを報道する。その評価は改めてきちんと場所を用意してする。それしかやり方は思い付かない。