夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

思いやりとは何か、エレベーターで考える

2009年04月09日 | Weblog
 今日の東京新聞のコラム「筆洗」に「ちょっといい話」として、エレベーターで受けた親切が書かれている。70代の左足がやや不自由な男性が地下鉄の地上行きのエレベーターに向かっている時、その14メートル程手前で扉が開き、男性二人と女性一人が降りて来た。そして女性だけが小走りにエレベーターに戻り、再びこちらに向かって来る。
 すれ違った瞬間、「ごめんね、間に合わなかった」と言ったと言う。とっさには意味が分からなかったのだが、この女性はこれから乗ろうとする男性のためにエレベーターを止めておこうとしたのである。男性の足がやや不自由なのに気がついて、あわてて戻ったのである。男性がその事に気が付いた時には既に女性の姿は見えなくなっていた。
 ちょっとした思いやりが世の中を素敵にする、とコラムは語っている。

 この男性が全く普通の状態だったら、おそらくこうした情況にはならないだろう。ただ、こうした場合、エレベーターを止めてくれている事に負担を感じる人もいる。早く行かなければ、とあせってしまう場合だってある。だから、そんな思いをするのは嫌だから、なまじ止めておいてくれない方が良い、と思うかも知れない。それに、自分の足が不自由な事を殊更に注目されたのだ、と感じるかも知れない。
 私の住んでいる建物では、たまたまほとんど同時くらいに二人が入口を入り、一人が集合ポストに郵便物などを取りに行き、一人はそのままエレベーターに乗る場合に、乗って扉を開けて待っててくれる事がよくある。その乗っている人が例えば14階だったりすると、再び降りて来るまでに時間が掛かる。だから、遅れた一人は「御親切に有り難う」と感謝する。
 ただ、これだって、待ってくれているのが分かると、待たれる方は急がなくてはならなくなる。それが負担になる場合もある。だからこうした親切はなかなか難しい場面があるはずだ。

 他人同士で乗り合わせた場合、先に降りる人はたいてい、「閉まる」ボタンを押して降りる。これもまだ先に行く人への思いやりである。しかし純粋に思いやりだとばかりも言えない。これなど、まだ先まで行く人がボタンを押せば良いのである。急ぐつもりが無ければ、自然に閉まるまで待てば良い。何も先に降りる人がする必要は無い。
 しかし、だからと言って、ボタンを押さずに降りる事も出来にくい。ボタンを押して降りるのが当たり前みたいになっているからだ。
 つまらない事考えているなあ、と思うかも知れないが、そうでもない。と言うのは、この、先に降りる人が「閉まる」ボタンを押して降りる、と言うのは、そこに他人が居る場合に限られたりするからである。ほかに人が居ないと、押して降りたりはしない。なぜそんな事が分かるかと言うと、扉の閉まる時間が自然に閉まる場合と同じだからである。
 これがおかしいのは、他の階で待っている人の事など少しも考えていないからである。表示を見れば、待っている人が居れば、上下どちらかのマークが点灯しているから、すぐ分かる。それなのに、そのマークを見ようともしないで、そのまま降りてしまう。
 結局は他人の目を気にしているだけではないか。そんな事のために、押して降りないと非常識と思われるなどと考えてしまうとすれば、愚の骨頂である。でも、その愚の骨頂を実践しないと軽蔑されたりする。

 1階のポストに新聞や郵便物を取りに行って降りた時、たまたま乗って来る人が居る。エレベーターはそのまま上がって行く。そしてポストでの用事が終わり、エレベーターの前に行くと、すーっとエレベーターが降りて来る。なぜなら、その乗った人が1階のボタンと「閉まる」ボタンを押して降りるからだ。
 私の所では上がったままになっている事の方が多いが、いつも決まって下ろしてくれる人も居る。これなどは、その場に他人の目が無いから、変に気を遣う必要がなく、自然に出来る。相手が気付こうが気付くまいが、そんな事はどうでも良い。そうしたごく自然に当たり前のように出来る思いやりが本当の思いやりと言えるのではないだろうか。他人が気兼ねしたりするのでは、思いやりとは言えないと思う。
 えっ? 外出する人とそうでない人の見分けが付くのかって? 住んでいれば分かりますよ。
 このコラムの趣旨に反対するつもりは無いが、思いやりって結構難しいと思う。私はこれくらいの事は普通に出来ていて当たり前だと思っている。例えばエレベーターに両手に荷物を持った人が乗ってくれば、何階ですか? と聞いて階数ボタンを押すなどと言うのは、誰だって自然に出来るはずである。それを思いやりなどとは思いたくない。あまりにも世の中に思いやりが欠けていて、自分勝手な人ばかり増えてしまったから、当たり前の思いやりが目立ってしまうと言うような事が無い事を祈っている。